受賞記念講演(日本語訳)
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人類進化過程における合唱歌唱の起源

ジョーゼフ・ジョルダーニア
(メルボルン大学名誉研究員、トビリシ音楽院教授、同伝統多声楽研究センター国際部長)

通訳:森田稔(宮城教育大学名誉教授)
東京 2010年5月27日


(冒頭に一言、日本語で挨拶をする)。
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   私は民族音楽学者の家に生まれました。父親のミンディア・ジョルダーニアは、グルジアの指導的な民族音楽学者の一人でした。私の弟も、その妻も民族音楽学者です。 妻ニーノ・ツィツィシヴィーリは博士の学位を持つ民族音楽学者で、本一冊を含み、数多く出版しています。というわけで、私にとって小泉文夫民族音楽賞を頂くことは、私が民族音楽学に貢献したことを認められるだけでなく、私の一族全体の貢献が認められることにもなるわけです。
    家族の他に、私の民族音楽学の先生である、故グリゴール・チュヒクヴァーゼ教授と、私の先輩であり、教師・保護者でもある、スタンフォード大学のイザーリイ・ゼムツォーフスキイ教授にも、深い感謝の念を申し上げます。

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   世界の政治的及び経済的結びつきが、だんだんと現実となりつつある現代において、諸民族は自己の伝統文化の要素が自分たちのアイデンティティにとって、もっとも強力なシンボルであることに気付きつつあります。グルジア人にとって伝統的な声楽ポリフォニーは、何百年にもわたって、自分たちの文化的アイデンティティの中心部分の一つとなってきました。ここで、グルジアのポリフォニーの三つの短い例をお聴きください。これらはグルジアの様々な地域に由来するもので、ポリフォニーの様式もそれぞれの地域で異なっています。グルジアの地図をご覧ください。
            [グルジアの民族別地図を示す]

   最初の例は、北西グルジアの非常に山深い地域、スヴァネチアの輪舞です。スヴァネチアのポリフォニーは三声体が特徴的です。歌い手たちは同じ歌詞を一緒に発音しますが、各声部は非常に不協和な和音を響かせます。
            [音楽例1:スヴァネチアの輪舞]
   2番目の例は東グルジア、カヘチア地方の宴席の歌です。この地域は、ワイン醸造の伝統で有名です。この地方のスタイルでは、ペダル音を背景にして、二人の歌い手が自由なリズムのメリスマ的旋律を歌います。
            [音楽例2:カヘチアの宴席の歌]
   3番目の例はグーリアという西グルジア地方のものです。グーリアは対位法的なポリフォニーと、この地で「クリマンチュリ」と呼ばれる特徴的な裏声とで有名です。非常に古い録音をお聴きください。
            [音楽例3:裏声を伴うグーリアの歌]
   私は明日、東京音楽大学でグルジアのポリフォニーについて90分の講義を予定しています。しかし今日は私の伝統的ポリフォニーの起源に関する研究全体の成果をお話ししなくてはならないので、グルジアのポリフォニーの音階、和音、終止型、対位法的技法、その他、グルジアのポリフォニーの特徴的な要素に関しては、触れません。

   それでは、人類進化の過程におけるポリフォニーの起源に関する私の研究成果を論じましょう。
   私が他の民族のポリフォニーの伝統に興味を抱き始めたのは、1980年代のことでした。当時は、ソ連の枠を超えて旅行することは不可能でしたし、外国の同僚への手紙はKGBによって開封されました。その上、ソ連の国立図書館が所蔵する文献は、国際的な出版物に関しては、非常にお粗末でした。私達は1980年代にグルジアで、伝統的なポリフォニーに関する国際会議を3回開催しました。異なる文化に属する同僚たちの集会は、私にとって、異なるポリフォニー伝統に関する知識を得る上で、非常に役に立ちました。1989年に、私のポリフォニーの起源に関する最初の本が出版されました。1995年以後、オーストラリアに移住して、様々な文化の資料入手はずっと容易になりました。私はほぼ25年にわたって、伝統的なポリフォニーに関する情報を集めて、世界のポリフォニー分布図を纏めました。この地図は『人類の文化と進化における合唱歌唱』という本に、掲載される予定です。
            [世界のポリフォニー分布図]
   この地図を見ると、ポリフォニーの伝統を持つ地域の分布が分かりますし、世界の様々な地域にどんな型のポリフォニーが分布しているかも、少し詳しく分かります。ポリフォニーがもっとも豊かな地域は、サハラ砂漠以南のアフリカと、オセアニアです。東及び北アジア、アメリカの大半、オーストラリアは、ほぼモノフォニーです。世界のポリフォニー分布について詳細に語ることはできませんが、それがいかに複雑であるかは分かります。

   音楽学者や民族音楽学者の既存のモデルによれば、ポリフォニーはモノフォニーの歌唱から生まれたことになっています。このような考え方はいくつかの基本的矛盾を孕んでいます。良く知られているように、例えば、中国や古代ギリシャのように、非常に古い起源と洗練された職業音楽の伝統を持つ文化は、ポリフォニーを持っていませんでしたが、反対に、中央アフリカのジャングルに住むピグミーとか中部パプア・ニューギニアの諸民族は、複雑な形式のポリフォニーを持っています。私は自分の研究が進むにつれて、だんだんと、ポリフォニーの起源がモノフォニーにあるという理論は正しくない、という結論に到達しました。歴史資料を検討していく中で、私は、世界のあらゆる地域で、ポリフォニーの伝統が消滅したケースは多いが、モノフォニー文化の中に、新しいポリフォニーの伝統が生じたケースは、一つも見出すことができないという点に着目しました。そこで私は、だんだんと、ポリフォニーは非常に古い現象であって、それは漸次、全世界から消えていくものである、という結論に達しました。このようにして、私は、初期人類の進化過程における合唱歌唱の起源の問題を、研究し始めることになりました。

   最初に私は、様々な動物種における歌唱という現象について情報を集め、人間の歌唱行動に何らかの特徴があるかどうか、を調べました。5400種もの異なる動物種が歌います。そのほとんどが鳥類ですが、中には、いくつかの霊長類、クジラ、イルカ、それにアザラシもいます。私が着目したのは、ほとんどの歌う種が木の上高くに住んでいて、いくつかの歌う種は水の中に住んでいますが、地上に住みながら、歌う種は全くいないということです。地上に住みながら歌うことのできる唯一の種が、われわれ人間なのです。このような事実は、自然環境の違いと係わりがあるのではないかと、私は考えました。

   歌うことは非常に危険な行為です。食肉動物は歌を聞いて容易に獲物のいどころを特定します。木の上高くに住んでいるものは、はるかに安心して歌うことができます。木の上ではどんな動物種も自分の体重に従って生活しています。例えば、50キログラムのヒョウは15キログラムの猿が高いところで、細い木の上で歌うのが聞こえますが、猿には手が届きません。つまり、木には、いくつかの「階」のようなものがあって、様々な動物がその体重によって、「異なる階」に―より重い動物は低い枝の上に、そしてより軽い動物は、より高い枝の上に―住んでいます。
   地上に住む動物たちの間では、状況は全く異なります。1キロの兎から、50キロの豹、150キロのライオン、さらには4トンの象も、全てが同じ「地上階」に住んでいます。従って、地上階に住んでいて、もし歌い始めれば、自分を非常な危険に曝すことになります。地上に住む動物が歌わない主要な理由は、安全にある、と私は考えました。それが、森の中でわれわれが聞くほとんどすべての音が、木々の中からや、様々な鳥からであって、地上に住む動物からではない理由なのです。人間の遠い祖先は木の中に住んでいたので、人類が地上に住むようになった時に、彼らがすでに歌っていたと推測するのは、自然です。

   もっとも重要な問題は、人類の祖先が危険な地上に降りてきた後でも、なぜ歌うのを止めなかったのか、彼らが例えばチンパンジーのように、日常生活の中で、なぜ静かにしていなかったのか、理由を見付け出すことです。この問題を検討しながら、私は人類には歌うことが、食肉獣から身を守る上で、もっとも重要な要素になったという結論に達しました。
   人間の間における大声のグループ歌唱は、肉食獣から身を守る上で、非常に重要な二つの機能:(1)内面的機能と(2)外面的機能とを持っている、と考えました。
   大声のグループによるリズム歌唱の内面的機能は、人間の心理を変容させ、彼らをトランス状態、つまり恐怖や痛みを感じない状態にすることです。このような状態になると、人間はわれを忘れて、個性を失い、集団の一部となります。この状態になると、人間はグループの利益に従い、共通の目的のために自分自身を犠牲にすることさえできます。死の危険に直面すると、人間はこのような状態に陥りました。私はこのような状態を「戦闘トランス」と呼びます。戦闘トランスは、個々の人間を、個人の利益よりも集団の利益をはるかに上位に置く、献身的な戦士の集団に変容させます。多くの軍隊が、戦闘に行く前には、叫び声を上げたり、大音響のリズミカルな音楽の演奏や聴取をしましたし、今でもしています。21世紀においても、現代の(例えば、イラク戦争における)戦闘部隊の間では、リズミカルな音楽を聴くことは広く実践されています。イラクのアメリカ兵たちは大音響のリズミカルな音楽を聴くことが、彼らを心理的に戦闘へと準備してくれると告白しています。一緒に歌うことは、敵との戦闘に行って生命を賭けるものたちだけに有効なわけではありません。一緒に歌うことはどんなグループの間でも、大いに信頼を高めます。会社の社歌を持つという日本の会社の伝統と、全員がそれを歌うこととは、同じ機能を果たします。この伝統はとても深い心理的根拠を持っていると、私は考えます。従って、集団歌唱の内面的機能は、人間を特別なトランス状態のようなものに導くことであり、彼らを集団に纏め上げて、個人の利益よりも集団の利益を優先させ、生存本能よりも上位に置かせさえすることです。
   大声のリズム歌唱の外面的機能は肉食獣を怖れさせることでした。多くの動物種が肉食獣や競争相手を怯えさせるために、音を出します。大声で叫ぶ、武器を持たない人間たちの集団が、飢えた人食い虎やライオンから逃れることができることも、良く知られています。肉食獣から身を守るだけでなく、われわれの祖先は食料を得るために大声のリズム歌唱を用いました。一緒になれば彼らは肉食獣を追い払い、殺すことができました。
   このモデルは、音楽を行うのに、人間の脳のもっとも古い回路、つまり、生きていくのに緊急な場合にのみ用いられる脳の回路が用いられることと、首尾一貫しています。戦闘でのトランス状態を達成したり、肉食獣を恐れさせるために、われわれの祖先が、大声のリズム歌唱とは別に、リズミカルな身体運動や身体彩色をも用いたことを、私は示唆しました。リズミカルな身体運動も、身体彩色も、上述したような、内面的及び外面的機能を持っていました。それらは人間が「戦闘トランス状態」に入るために、精神状態の変容を達成するのを助けてくれたのです。このような防御システムは、視覚及び聴覚の諸要素に基づいていたので、私はこれを「聴覚・視覚脅迫表明」(AVID)と名付けました。

   2006年の本で、私は合唱歌唱の起源が、人間の言語や知性の起源と密接に係わっている、と提唱しました。人間と動物の精神的能力の間にある、中心的な認識上の違いは、疑問を呈する能力であると、私は提案しました。類人猿は実験室の中で人間の言語の一部の要素を理解する能力を示し、人間の質問に正しく答えることができますが、彼ら自身が質問を発することはできません。重要なのは、質問を発するのに文法はいらない、ということです。幼児が発する最初の質問は、疑問の抑揚を用いるだけです。意思疎通上の対話形式に基づく応答歌唱は、人間のグループによる歌唱のもっとも一般的な形式ですが、私は応答歌唱が人間の質問を発する能力を生んだのではないかと考えました。

   ここでわれわれは非常に重要な疑問に答えなければなりません。もしアフリカから移動を始めた全ての人間集団が、多声による歌唱を持っていたとすれば、何故、今日、世界の一部の地域では多声的なのに、他の地域ではもっぱら単声的なのでしょうか?
   この疑問に対する答えは、分節された発話の進化にあるとわたしは考えました。ほとんどの学者が、言語と発話とは極めて異なる現象であると考えています。言語は発話がなくても(例えば、記号言語やモールス信号によって)伝達することができます。伝達のもっとも有効な形式として、発話が生まれたのは、それよりも遅かったのです。多声的歌唱という古い伝統がすたれたのは、分節された発話が生まれた後である、と私は考えました。もし最初の人類がアフリカから出てきたときに、まだ分節された言語を持っていなかったとすれば、様々な地域の様々な人類の集団が、異なる時代に分節された発話へ転じた可能性は大きく、あるものは早く、あるものは遅くなった、と私は考えました。 もしこれが正しいとすれば、分節された言語に早く転じた地域では、多声的歌唱の伝統がいっそう多く失われたに違いありません。言語はまた、人間の顔の骨格の現代的特徴が生まれた主要な原因であると信じられています。そして非常に重要なことなのですが、世界の様々な地域もまた、現代の人々と同じ地域の化石的証拠とは、非常に異なる地域的連続性を示しているのです。
   東アジア(とくに中国)は現代人類の化石時代の祖先とのもっとも深い地域的連続性を示しています。このような連続性は、30万年以上も前にまで遡ります。その次のケースがオーストラリアの原住民で、続いて、ヨーロッパ人、そして最後に、サハラ砂漠以南のアフリカの人々です。地域的連続性の時間的相違は巨大なものです。―極東の人々の場合は30万年以上、ヨーロッパ人では約4万年、そしてサハラ砂漠以南の人々の場合は、約1万1千年です。もし分節された発話が、極東アジアにおいてもっとも早く発達し、ここでは話し言葉が30万年以上も前に意思疎通の機能を持ったとすれば、極東にはなぜ多声的歌唱が欠如しているか、その理由を説明することができます。一方、ヨーロッパで、そしてとくにサハラ砂漠以南において、話し言葉が音楽的伝達に取って代わるのがずっと後の事であったとすれば、それによって、多声的歌唱の豊かな伝統が現存することを説明することができます。

   このような新しい視点は、吃音とか失語症のような、発話や読解の病理に関する、通常では非常に考えにくい、いくつかの提案に導いてくれます。人類の進化において、吃音と失語症が発話と読解の遅い出現と係わっていることは、ほとんどの学者によって受け入れられています。もし東アジアの人々がより早い段階で、分節される発話に転じていたとすれば、東アジアにも、そしてオーストラリアやアメリカの原住民にも、吃音とか失語症がより少ないに違いありません。一方、吃音と失語症はヨーロッパ人や、とくに、サハラ砂漠以南の人々に多いはずです。大多数の言語病理学者は全ての人類が同様な吃音分布を持っているに違いないと信じていますが。吃音の比率が国民によって非常に異なることを示す、いくつかの重要な研究があります。ほとんどのヨーロッパ人の間では、吃音の比率は1パーセントです。一部の西アフリカの住民では、異常に高い吃音の比率(5,6パーセントから9.2パーセントにまで達する)が見られ、いっぽうアメリカ・インディアンやオーストラリア原住民の間では、吃音の数は極端に低いのです。吃音は日本人の間では極めて一般的ですが、私は中国人の間における吃音の問題に、とくに興味を抱きました。なぜならば、日本人にはアイヌという下位区分があって、彼らは非常に異なる起源(おそらくコーカサス系)であると信じられています。中国人の吃音の比率に関する情報は全くありません。そこで私は、アメリカのキーン大学の言語病理学者、シェリー・リース教授と共に、試験研究を行いました。
   われわれの研究は、32名のシンガポールの言語病理学者の支援を受けて、シンガポールの中国人住民の間で、吃音が極端に低い比率であることを指摘しました。この予備研究が示唆しているのは、様々な住民の間で吃音の比率が異なる上で、重要な役割を果たしているのが、遺伝学的な要素であるかもしれない、ということです。ここで、世界の様々な地域における吃音の優位性の分布図を示しましょう。データの確認が必要な場所には、疑問符が付けてあります。
            [吃音の分布地図]

   もう一つの興味深いケースは、失語症あるいは、朗読困難の場合です。 分節された発話への移行の時期が異なる結果、ヨーロッパと、とくにサハラ以南のアフリカで失読症が多い可能性を、私は示唆しました。一方、私は東アジア、オーストラリア・アボリジン、そしてアメリカ・インディアンの間では、失読症の比率が低いはずであることを、予測しました。失読症の優位性に関するデータは、世界の多くの地域で得ることができません。しかし日本や中国の一部の学者が、失読症が日本や中国の子供たちでは、ずっと低いことを示唆しています。多くの(しかし全てではない)失読症の専門家は、失読症の優位性の差は、書き方のシステムの違いと関係があると考えています。しかし私は異なる民族は、同時に失読症に対する遺伝的傾向も持っていると考えます。

   もう一つの興味深い要素は、様々な文化の子供たちにおける、音韻体系の獲得です。
   もし東アジアの人々がずっと早い時期に分節された発話に移っていたとすれば、これらの人々の子供は、世界のポリフォニー地域の子供たちよりも早く音韻体系を発達させたはずです。ここに、日本とアメリカの子供たちにおける音韻体系発達を示す図表があります(中島とメニュークの報告による)。
            [日本とアメリカの子供の音韻体系獲得―図表]
ご覧のとおり、日本の子供たちは、アメリカの子供たちがこの過程に入ろうとする時期に、すでに音韻体系の獲得を終わろうとしています。

   そろそろお話を終わらせる時間ですが、このように数多くの発想を短い時間で概観したことをお詫びします。
   多声的歌唱の起源が、音楽文化の後期の発達段階とは関係していないことを、私は明らかにすることができたと思います。私の考えでは、声楽ポリフォニーの起源は、初期人類進化の、広範にわたる様々な問題と深くかかわっているのです。幸せなことに、音楽の起源の領域における指導的な学者たち、例えば、アフリカ・ポリフォニーの専門家、フランスのシムハ・アロムや、「音楽の起源」のエディタで、カナダのスティーヴン・ブラウンが、人類進化との関係に合唱歌唱の起源を求める私のモデルに対して、高い評価を与えてくれています。
   私はまた、伝統的なポリフォニーの研究が民族音楽学の主要な話題の一つになってきつつあることを、非常に幸せだと感じています。今年後半に、伝統的ポリフォニーに話題を絞った国際会議が二つ予定されています。
   私達の進化の歴史の遺産であり、人類の社会的本性の遺産である、人間の合唱歌唱が、人々を互いに結び付ける上で重要な役割を果たし続けることを確信します。



このページは、2010.6.6 にアップデートされました。
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