入試

以下の体験談は参考例にすぎません。本HP『楽々rara』は、以下の記述を参考に受験した場合の結果に対して、一切責任を負いません。  2003年5月 『楽々rara』編集人

NEW!
 高校1年の頃から少し芸大の楽理科に興味を持っていました。受験に必要な科目を早いうちに調べていたので、ほぼ高校3年間をかけて準備することができました。当初ピアノがあまり得意ではなかったため、高校1,2年次はピアノを、3年次は勉強系の科目を中心に生活しました。
 受験学年では、勉強系の科目(小論文、和声等を含む)にけっこう時間をとられるため、ピアノを練習する時間はとても限られていました。そのため、限られた時間の中で集中して、効率的に練習するようにしていました。楽理科の受験課題はたくさんあるので、万遍なく準備するのがとても大変でした。ただ、受験に必要な課題全てに毎日触れるようにしました。準備が偏らないために、短くてもいいので、毎日すべての科目に触れておくとよいと思います。また、常に勉強の計画を立てるようにしました。3か月単位くらいで勉強等の計画を立て、そこから逆算して、1日の勉強の量や時間を決め、紙に書いて見えるところに置いておきました。計画は、1日この科目を何時間(もしくは何分)、この教材を何ページなど、具体的なものにしておくといいと思います。できなかった分は、その前後の日などで埋め合わせます。少しの空き時間も無駄にせず、単語帳や楽語など、すぐに見て勉強できるものを持ち歩いていました。
 最終的には、どれだけそこに行きたいと思っているかが鍵になると思うので、自分を信じて頑張ってください。
2011.7.25 学部1年 オレンジ

NEW!
 試験勉強を全て独学で行っていたことが非常識であったと知ったのは、入学後の話でした。ソルフェージュや和声は先生に教わるのはもちろんのこと、人によっては小論文も個別指導を受けていたという方もいます。なのでこれらの科目、特にソルフェージュは誰かに教わることをおすすめします。ソルフェージュは独学ではかなり厳しい科目だと思ったからです。英語・国語と小論文は一応独学でも可能ですが、苦手分野は学校や予備校などでカバーした方がいいと思います。因みに私は国語を予備校で補強しました。和声と楽典は市販の問題集などを解くのが効果的ですが、苦手な科目があれば特別な対策を練った方がいいです。私はソルフェージュや和声を苦手としたまま試験会場に入って後悔したので、苦手ジャンルの克服が重要であることを強調しました。
 本番では体調管理が大事です。それまで行ってきた勉強の積み重ねを、意識が朦朧としている中で発揮できる人は少ないと思います。試験前日や当日は基本的なポイントの確認だけでも良いと思います。芸大での試験が行われる2月下旬〜3月上旬は風邪も流行る時期なので用心が必要です。私の時は一次試験の時から風邪気味の方が多く、私自身も二次試験は万全の体調では臨めませんでした。
 最後に。芸大の試験には小論文に関する口述試問があるため、小論文には余計なものはいれないように!自分で何を書いてるか分からないような論を書くと、口述試問の際に試験官の方々に見破られます。例を挙げたならなぜその例をその場面で挙げようと思ったのか、といったことも考えながら小論文の練習を行うと、口述試問の際に助かります。
2011.7.25 学部1年 ストレンジャー

 とにかく、情報収集が肝要。受験を通じて、私が痛感したことです。ただし、情報は鵜呑みにせず取捨選択することが必要です。
 私が実際に役に立ったと思ったのは以下のものです。
【総合】赤本、ネット上の芸大志望者が集まる掲示板(検索すれば見つかります)
【センターや二次の学科試験】大手予備校などにある過去の受験データや模擬試験その他
【副科実技、和声、ソルフェ、小論文】芸大関係者や芸大受験に詳しい先生など
 楽理科の入試は科目も多く、ともすれば勉強の大変さに圧倒されたり、学科と実技の両立に悩んだりしがちです。一般の受験のための予備校のように、受験科目すべてを体系的に学べるところもありません。
 質のいい情報を得て、よく吟味し、受験までの道筋を組み立てること。冷静にそれらを見渡せば、合格のためには今後何が必要か、わかってくると思います。その上で、時々に目標を立てつつ勉強を進めていけば、余裕をもって受験生活を送ることができるのではないでしょうか。
2004.5.11 2004年学部入学 赤い星

 楽理科のためだけの入試対策というものはしたことがありませ んでした。小論文については、すべての文章、一字一句に至る まで「自分の言葉」で書いたほうがいいと思います。自分でも わかっていないような難しいことを書くと、あとで口頭試問で つっこみを入れられて、ぼろを出すことになりますよ。難しい ことを書かなければ、難しいこともきかれません。運が良かっ たと思うのは、それ程専門的なテーマが出なかった(テーマは 「ゴリラが歌を歌うことについて」だったかな?)ことで、音 楽学の素人の私にも取り組めたということです。ただ、私は控 え室で、まわりの受験生達が、まるで宇宙語のような訳のわか らない難しい音楽学に関するらしい会話を交わしていたのを聞 いて、「ああこれで落ちたな」と落胆したものです。
2003.10.2 1992年学部入学 きらきら

 楽理科に入りたいと考えたのは高1の夏だった。進学校に進んだが音楽への興味は強く、勉強と音楽の両立の道を探っていて、楽理科が音楽を学問的に扱うところと知り、その両立ができると感じた。すぐに和声とソルフェージュを習い始め、高3には大手予備校で英語、国語、社会に力を入れた。音楽史を読み自分なりに論文を書いた。そして受験。センターは約八割だったが芸大の試験が良く出来ず結果は不合格。しかし楽理科に期待するものは大きく、浪人を決めた。そして苦戦した英語、和声、聴音に勉強時間の大半を割いた。毎日聴音・視唱・ピアノ練習、週二回センターと学科対策、週一回論文と英語特訓、隔週でピアノと和声&ソルフェージュに通った。この浪人生活は大変有意義なものとなり、自分がやりたいことが見えてきた。私は音楽と音楽に対する自分の見解を伝えるジャーナリストになりたい。そしてそのために何を芸大で学びたいかも分かってきた。今は芸大で自分の好きな事ばかりをしながら充実した生活を送っている。音楽も勉強もしっかり続けたい人は楽理科にぜひ!
2003.5.29 学部1年 アヒル二号

私の楽理科入試
・受験にあたってどのような準備をしたか。
☆センター試験 センター試験の傾向に慣れるために、12月からセンター対策に絞って過去問5年分を繰り返し解き、土日を弱点克服にあてました。
☆2次対策 英語に関しては、とにかく沢山の英文を読み、要約をしていました。和訳は塾の先生に添削をして頂きました。国語は非常に苦手だったので、塾で現代文論述と古文論述を取り、予習・復習を欠かさずやりました。小論文は過去問をやり、添削をして頂きました。和声は作曲科を卒業された先生に、ピアノとソルフェージュは週1回、以前からお世話になっている先生に指導して頂きました。
・試験の体験談 英語、国語の試験は2時間あるといってもあっという間でした。時間配分と問題を解く順序は重要だと思います。試験は緊張しましたが、どの試験でも「これが出来なければ落ちる」と自分に言い聞かせて頑張りました。
2003.5.6 学部1年 アヒル一号

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楽理科への留学

 日本に留学前の私の日常は一心不乱に大学と古箏と格闘する毎日であった。ある日自分の音楽活動について「何かが足りない」という感慨に苛まれる日々に直面していた。更に、私には東京芸大修士課程留学まで、様々な紆余曲折があり、とても焦っていた。しかしその逆境を持ち前の楽天的な性格をバネとして克服し、ついに北京から初 のストレート合格の希望が叶い、ある日柘植指導教官に案内されて「小泉文夫記念資料室」を見た。その書庫の中には自分が長い間探求していたタイトルの書物があり、驚愕しつつも、その場ですぐ本を貪り読みたい衝動にかられ身震いした。
 現在その何かとは、自分の音楽に対する位置付けの問題として理解でき、楽理科と小泉文夫記念資料室において研究テーマ調査に余念がない毎日である。今日充実した研究生活を送る事が出来ているのも、私の天命がこの良き勉学の環境の楽理科に導びいてくれた為と自覚し、音楽家としてこれらの諸問題を学術的に極める努力をしている。
2003.6.22 博士一年 李東博 (りとうはく)

 今年の四月から楽理科に研究生として勉強しています。ロシアではロシアの民族楽器を専攻しながら、日本語を第二外国語として習いました。このお蔭で日本の伝統音楽について大変強く関心を持つようになりました。いつか日本へこれを研究しに行こうとか、自分で和楽器をやりたいとかと叶わぬ夢としてしばしば頭の中に浮かんだことがあります。
 いま芸大で勉強できている私は本当に運がいいと、ほとんど毎日思っています。一番印象深いことは芸大の雰囲気です。多分言葉ではっきり表しにくいと思いますが、この周辺は実に楽曲世界、美術世界だという感じが強くします。先生方も学生たちも皆、自分の分野に熱中し、苦しみながら学問に励むというよりも、楽しんで一生懸命頑張っています。
 一体、現代日本では邦楽の伝統はどこにあるかと日本に来る前に考えました。今、毎日、皆と一緒に創造力を受けたり、与えたりしあいながら芸大というのは日本の伝統の心が生き生きしているところに違いないと嬉しく感じています。
2004.6.11 研究生 ニキタ ロモフ

楽理科に留学しています・・・
 私はイギリス人です。ケンブリッジとロンドンで大学を卒業しました。現在東京藝術大学の博士課程で研究しています。専門は日本の民俗芸能、とくに太鼓と民俗芸能における文化財保護の問題です。私の博士論文のテーマは八丈島の太鼓についてです。卒業後は日本かイギリスで大学の教職に就きたいと思っています。
 日本の博士課程の制度はイギリスとは少し違います。イギリスでは講義やゼミに出席する必要はありません。博士課程の一年目に私は五つの授業を取りました。イギリスでは発表する機会は少なく、論文の方が中心です。これに対して、日本の大学では発表が多く、最初、日本語の発表は大変難しかったです。しかしだんだん慣れてくると、やがて一時間の発表を問題なくこなせるようになりました。また、東京芸大の楽理科にはティーチングアシスタントという制度があります。いつも博士課程の学生がいて、質問に答えてくれます。イギリスでは助けてくれるのは自分の指導教官だけで、とても忙しいので、なかなか助言が受けられません。
2003.5.10 博士課程1年 Heron

私の知っている楽理科
 2003年4月東京芸術大学大学院音楽学専攻に入った私は、福健省(中国大陸と台湾一番近いところ)生まれです。音楽との接点は小学校の3年生からで、雅楽楽器(笙)を学び始めました。その後来日し、武蔵工業大学(MIT)情報学部に進学しました。理工系大学では楽器しかできなかった私が異色だと言われてきましたが、この楽理科でも異色であるかもしれません。
 さて、このホームページを見ている皆さんのなかには、楽理科について何も知らない人が多いと思います。私も自分が楽理科に所属するまで、つまり最近まで、よく知りませんでした。その原因は、大学のパンフレットや入学案内が、楽理科について詳しく説明を載せていないからだと思います。
 他専攻の学生にも楽理科が難しいというイメージがあり、研究の範囲がつかめないと言われたことがあります。今の私も正直なところうまく説明ができませんが、私の所属している第3研究室の研究領域は東洋音楽史で、今年は東洋音楽学研究の大先輩である小泉文夫先生のちょうど20年忌であるため、研究テーマは『小泉文夫先生の研究再発見』です。
2003.5.8 修士課程1年 draw

楽理科を楽しむ
 私は一人の留学生として中国から芸大の楽理科の大学院・音楽学専攻に来た。勉強といえばゼミが中心で、日本人といろいろな外国の留学生と一緒に、それぞれが持っている音楽知識の紹介、音楽理論的な研究と議論など。非常に楽しい。柘植元一先生は私の指導教授で、ゼミでは厳しい、でも日常では非常にやさしい先生だよ!年に1、2回先生のお家でホームパーティーが行われ、美味しいイラン料理を作っていただいた。学生に対する先生の愛情がよく伝わってきた。こんなすばらしい先生の所で勉強できて、幸いと思う。楽理科研究旅行(通称古美研)はとても楽しい、いろんな新発見と初体験ができるよ。勉強にもなるし、是非行くべき。そして留学生の年一度の研修旅行、日本の有名所の観光、研修、いい思い出づくり!さらに、人気なのは温泉とお料理だ、最高だよ!また私は講師として中学校の授業に参加して、中国の楽器の演奏をした経験がある。中学生の驚き、うれしそうな笑顔は今まで忘れられない。実際に国際交流ができた。学内の演奏会もあり、昨年の芸術祭(東京芸大の大学祭)のとき、奏楽堂での独奏によって私は夢を一つ果たした。楽理科での留学生活は豊かな、楽しく貴重な人生経験だと思う。
2003.5.8 修士課程2年 Jiajia

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楽理科からの留学

留学準備
 留学のための奨学金獲得に必要なのは、根気である。応募はひとりではできない。先生方に推薦状をお願いし、外国語のエッセイの添削を語学の先生にお願いし、親も巻き込んでありったけの人脈を頼り、面識のない外国の大学の先生にも勇気を出して強引に自己宣伝する。これを出願のたびに繰り返す。
 応募に必要な条件や書類や、選考時に求められるものは、その都度まったく違う。自分の知らない価値観に翻弄される。選考が不平等に見えることもある。時にはあまりの煩雑さに「もうやめようか」とおもうが、多くの人の力を借りてはじめたことだ、安易にやめるわけにはいかない。  やがて、思いやりとやや誇張を含んだ先生からの推薦状や、きわめて多くの誇張を含む自己宣伝文を眺めているうち、また自信を取り戻す。そして、新しい助っ人を見つけ出して、新たなお願いをするのである。
 今回わたしが奨学金を頂いて留学できるのは、本当にたくさんの方々のご好意とお力添えのおかげです。精一杯学んで参ります。
2004.6.4 博士課程2年 M

アメリカの修士課程
 ニューヨーク州立大学に留学して約1年半がすぎ、そろそろ卒業というゴールが見えてきた感じです。音楽史という学科に所属していますが、演奏や作曲の人たちといっしょの授業が多い点は芸大と似た雰囲気です。いちばん違うのは、授業1回ごとの宿題の量。毎週論文5−6本、100ページ以上読んで、エッセーを書かなくてはなりません。あと、授業中の飲食は当然というのにもびっくりしました。
 ニューヨークですごいと思うのは、世界中から人が集まっているところ。例をあげれば、週末に弦楽四重奏で遊んでいるのですが、メンバーはアメリカ人・ドイツ人・ロシア人・日本人各1名。こういう環境で重要なのは何と言っても自己主張です。下手な英語でも根拠をもって堂々と交渉すれば、意外に通ってしまうという経験をずいぶんしました。
 昨年秋には学会の全国大会を見学して、参加者の多さ、議論のレベルの高さに圧倒されました。西洋音楽史を学ぶなら本場ヨーロッパ、と思いがちですが、じつはアメリカのほうが研究がすすんでいる分野も多いのではないでしょうか。楽理科の皆さんも、アメリカ留学に挑戦してみませんか。
2004.3.24 H. 2002修士課程修了

留学体験談
 トルコ、アンカラの朝は白チーズとオリーブとパンから始まる。熱いチャイ(紅茶)を片手に、アパートの窓から見える青い木々を楽しむ。学校に通う子供達の歓声を遠くに聞く。昼食は、音楽院帰りに寄るドネル・ケバブ屋での牛肉サンド。大串に突き刺ささり、ポタポタと油が落ちる牛肉を薄くこそげ落して、パンにはさんでかぶりつく。玉ねぎとピクルスの酸味が次への一口を誘う。夜はオリーブオイルとイタリアン・パセリ、それに屠殺場直送のフレッシュな鶏肉炒めとする。すりおろしたニンニクをヨーグルトに混ぜ、少しリンゴ酢をたらす。キュウリとトマトのサラダにレモンをたっぷりと。
 …音楽の話がない?いやいや、音楽も食も人間の根源にあるもの。トルコ音楽は、トルコ食文化の反映である。逆もまたしかり。美味。混沌。感嘆。そして感得。
2004.3.11 修士3年 とまと

ベルリン留学記
 私は2000年10月より3年間、ロータリー財団国際親善奨学生として、ドイツ、ベルリン工科大学に留学しました。ドイツの作曲家ディーター・シュネーベルの作品を調査することが目的で、ベルリンではシュネーベル自身と連絡をとりつつ、取材やワークショップに精力的に参加しました。大学では博士課程のコロキウムで発表を重ね、日本でまとめる予定の博士論文を準備しました。かねてから切望していた留学が実現し、憧れの海外生活のためにベルリンへ飛び立った時は、まさにバラ色の気分でした。しかし現実とは想像以上に厳しく、最初の一年間は特にドイツ語で苦労しました。ヨーロッパ人特有の考え方や気質に慣れるのにも骨が折れました。しかしそれらを克服して、研究が次第に充実したのは思わぬ成果でした。またベルリンという都市の持つ自由さや多様な文化に触れ、音楽のみならず、舞踊、演劇、建築、美術等にも興味が広がり、大いに触発されました。そして週末の午後には、緑の芝生を散策ならぬ全力疾走し、なんとサッカーにも汗を流していました。
2004.3.11 博士課程4年 A.N

楽理科からの留学
 芸大楽理科からの留学は多くの場合、まず奨学金試験を受けることから始まる。これが第1の難関で、種類としては国際ロータリー、各国政府の奨学金、民間の奨学金などがあり、学内の掲示板等で情報収集をする。大学院のゼミや授業を受けながら、これらの準備を行っていくのはなかなか大変な労力だが、留学前の準備もまた一つの成長過程である。私はロータリー財団より奨学金をいただき、フランスに1年間留学した。留学はもちろん、自分の研究を深め、外国の音楽学のシステムを理解し、 紙の上の「音楽学」を実際にその国の風土と歴史の空気の中で確認することができるという点でも、非常に意義深い。でもそれ以上に、視野を広げ、多彩な人々と交流し、精神的に成長できる格好の機会である。留学をしたいという強い思い、新しい世界に飛び込む勇気、そして行動力、これさえあれば、楽理科にいる人たちにはみな、留学のチャンスがある。フランスでの留学体験は、甘いものも苦いものも、目に見えない宝物として、心の一角に常に残っている。
2003.11.20 博士課程1年 ねこ

私の留学体験
 フランスの大学は、日本の大学システムとは少し違う。日本の「学部」にあたるのは3年間で、4年目が「メトリーズ」と言われ、日本の修士課程に相当する。博士課程の前には博士準備課程にあたるDEA課程(1年間)がある。私はパリ第4大学のメトリーズ課程(音楽学専攻)に留学し、講義、ゼミ、エクスポゼ(口頭発表)、レポート作成など一通りの大学生活を体験して帰国した。音楽学で留学をして感じたことは、一つは芸大楽理科のレベルが、決して世界的に見て低いものではないということ、それから、フランスでは分野に関わらず、常に「言葉(=フランス語)」が最も大切な要素となることである。フランスでは音楽学は徹底して「学問」領域に入れられ、実技はコンセルヴァトワールで別個に教育される。そのため学問上の厳密性が弱い私は大いに苦労したが、演奏家や作曲家と肩を並べてまさに音楽の中で学べる芸大楽理科の環境はいいものだな、と改めて認識した。
2003.11.20 博士課程1年 マスカラード

 アートマネジメントに強い関心を持っていた私は楽理科を卒業後一度企業に就職、その後愛知県立芸術大学の大学院(音楽学)を経て、特にファンドレイズ-資金調達-とマーケティングを学ぶべくニューヨークにあるコロンビア大学院芸術経営学科修士課程に留学した。実際に留学先で痛感したのは、そこが高度な実践力を身につけキャリアアップを目指す場所であるということ。研究者としてアカデミックな知識を高める楽理科とは状況を異にする。ラフな言い方をすれば質より量、難解さより分かりやすさ、論文よりプレゼンテーション、個人研究よりグループ・プロジェクトとアプローチが全く違う。しかし楽理科で受けた訓練は論文、プロジェクト等をまとめていく思考プロセスに大きな助けとなった。
 アメリカの大学院のもう一つの特徴は、MBAプログラムを始め、多くの学科でインターンシップが必須、これも卒業生が早くから良い就職が狙えるための配慮である。外国人である私はアメリカ人に対抗できるようかなり早くからニューヨーク・フィルやカーネギーホール等大手での勤務経験を積む様努力した。
2003.7.17 1991年学部卒 環
*「環」さんの現職については就職の体験談をどうぞ

私の留学体験
 イタリアに留学?オペラを学びに?答えは否。オペラを中心としたクラシック音楽の国というイメージの強いイタリアは、実は民俗音楽の豊かな宝庫でもあります。わたしは二年間イタリアのボローニャ大学で民俗音楽の現状を広く学んで、その間に独自な文化圏であるサルデーニャ島で現地調査(フィールドワーク)を行いました。サルデーニャにはユニークな楽器や歌があります。わたしの研究のテーマであるラウネッダスは、世界でも他に類をみない三管の葦笛を組み合わせた楽器です。フィールドワークではデータ・資料を集め、演奏者へのインタヴューを重ねていきました。そしてラウネッダスを使った音楽が舞踊と密接に結びついていることに加えて、舞踊がサルデーニャ社会で極めて重要な意味を持っていたことがわかってきました。音楽は音楽のみにてあらず、音楽がどのように文化と社会の網の目の中に織り込まれ、形作られてきたかを解明するのが、わたしたちの学問、音楽民族学の一つの課題と言うことができるでしょう。最後にフィールドワークで大事なこと:一に体力(基本)、二に気力(熱意!)、三に語学力(涙)、四に知力(?)、そして五に酒に強いこと。
2003.5.22 博士課程1年 アウレリオ

留学についてはガムラン演奏の体験談もどうぞ。

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教育実習

 四年生になると多くの学生が教育実習に行く。私も六月の二週間、芸大附属高で実習を行った。曜日によっては活動の多くが集中する芸大での日々とは違い、毎日八時半から授業が始まる高校での久々の生活は第一に体力勝負だった。
 前期の実習生は全部で五人、それぞれが二週間でソルフェージュを10時間(50分授業)と音楽理論または音楽史を2時間担当した。ソルフェージュは能力に応じて細かくクラス分けされていて、担当するクラスによって内容が異なるため、その都度課題を準備をする必要があった。
 また私は、三年生の「音楽史」授業の担当となり、「新ウィーン楽派」のシェーンベルク、ベルク、そしてウェーベルンのそれぞれの創作の変遷を中心に二回の授業を行った。一回の授業は50分という短い時間だが、前もって準備に費やした時間は、その何倍にも及んだ。
 たった二週間だったが、温かい先生方、生徒そして実習生に恵まれ、とても充実した日々を送ることができた。その間の時間はとても長くも短くも感じられる期間だった。
2004.7.2 学部4年 N 

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楽理科夏合宿

 1994年から2000年まで7年連続で参加しました(現在遠隔地居住のため、連続参加は途切れています)。私の場合、参加の目的や意義などといった難しいことはまったく考えず、幹事さんたちが選んでくれる場所への、数日間の休暇のノリの参加でした。幹事さんたち、お世話になりました。私自身は出不精で、こういった行事に便乗しない限り、首都圏を離れて、車で3〜4時間ぐらいで行ける景勝地を訪れることもまずありませんでしたから。7年も続けて参加していると、以前学部1年生で参加していた人たちが、修士1年生として幹事を務める、ということを目の当たりにします。最後の年にいたっては、私が卒業してから学部入学した学年の人たちが、幹事をやっていました。時の流れを感じたものです。
2003.10.10 1992年学部入学 きらきら

 5年ぶり4回目の合宿に参加させていただいた。
 以前からそうだが、OBの参加は非常に珍しく、知った顔はほぼ無し。生来の人見知りの激しさから、私は緊張してむしろ口が軽くなり、しゃべりすぎて喉を痛めてしまったが、もともと声の通りが悪いので、「おとなしい」または「クール」と思わせることに成功したと思う。
 特に嬉しかったのは1年生の方々に「20代前半に見えますよ。」とか言われたことであったが、よく考えれば5歳くらいは少なめに言ってくれてるのでここで喜んでいるようでは負けだ。美肌対策は今後も続けて勝負に臨みたい。 大食いの芸を持った男子が数人いたのは大変心強いのだが、極端な芸は身を滅ぼすので注意したほうが良いだろう。字数の都合もあり、楽しさをすべて伝えきれず残念だが、最後になにか良いことを書きたい。
 卒業生と、1年生以外の参加が少なかったのは残念だ。仕事、プライベートの別無く、生きている上でもっとも楽しく、かつ重要なのは人との繋がりであると常々感じている。ここでだれかと仲良くなろうなどと意気込む必要はないが、音楽の周辺で一生を過ごすなら、自分の名前を参加者皆の脳味噌の片隅に置いてもらうだけで、充分な成果だろう。今回、楽理科には音楽に関して優秀な人材が揃っていることを再認識し、交流に刺激と喜びを感じた。将来性ある音楽人とこれほど一挙に知り合える機会は他にない。
 今まで参加のない方も、来年からは参加されてはいかがだろうか。
2003.9.10 1999年卒 實方康介 PTNA(全日本ピアノ指導者協会)web担当
 メール(jitsukata@piano.or.jp)

 今年のがくり合宿2日目、私はハイキングコースに参加しました。これがなかなかスリリング!珍道中をご紹介します。
 それは根場民宿村から富岳風穴、鳴沢氷穴、そして紅葉台に登って富士山を心ゆくまで眺め、温泉・いずみの湯でゆったり疲れを癒すというコースでした。出発時は涼しかったのですが次第に日差しが強くなり、汗もにじんできたところで風穴に到着。洞内平均気温3度という風穴のおかげで、汗もすーっとひきました。それから歩くこと一時間。氷穴に到着すると「現在の氷穴内の気温0度」の看板が・・・。氷の壁に包まれた洞内はまさに天然冷蔵庫で、洞窟から出てきた先生方の眼鏡は真っ白にくもっていました。ここから樹海を通って紅葉台に向かい、見晴らしのよい展望台で記念撮影。しかし帰りのバスの時刻が迫っていることに気づいて慌てて下山。終バスの時刻に間に合わなかったはずでしたが、その日に限ってバスが大幅に遅れたため、全員無事に乗車できました。バスが到着すると、もう拍手喝采!それにしても楽理科生の運の強さには驚かされます。いずみの湯で疲れを癒し、お肌もつるつるになり、あとはバスで宿に戻るだけと思いきや、バスが遅れてなかなか来ない。一時間ほど待って乗ったバスは楽理科の貸しきり状態に。大渋滞でしびれを切らした運転手さんは「他にお客さんもいないので、途中のバス停に止まらずにウラ道を通って宿に直行します」と、もの凄い速さで車を飛ばしてくださいました。お腹を空かしていた私たちは早く夕食にありつけて嬉しい限りでしたが、途中のバス停で待っていたお客さんはどうなったのか、未だに疑問が残ります。
2003.9.3 修士1年 三日坊主

摂氏38度の夏
 合宿前日から突如として熱が出た。楽しみにするあまりの知恵熱なのか・・・。悪寒を抱えながら参加する。一日目はなんとか。2日目はつらかった。灼熱の太陽のもと美術館の門を入るやひどい頭痛に急遽宿に引き返す。皆が楽しく自然を満喫しているであろうなか、私はじっと眠るしかなかった。「皆今ごろは温泉か〜」などと、心だけは遠くに飛んだ。6時頃、ぽつぽつと幹事の皆が戻ってくる。少し熱も下がったので、その夜のコンパの初めだけお邪魔することにした。1年男子によるヴァイオリンの熱演。その後、なんとコンパ開始から15分で「では、私はそろそろ・・・」と呟きヨロメキながら退出する院生を、ぴかぴかの一年生がなんとも呆気にとられた顔で見ていたのが思い出される。御免なさい、皆ともっと触れ合いたかったです。役立たずの私ではあったけれど、それでも優しい声を掛けてくれる皆の暖かさはほんとうに身に染みました。暑い熱い合宿の思い出です。
2003.9.3 修士1年 音度丸子

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藝祭

NEW!
 芸大のビッグイベントのひとつである《藝祭》を楽しみにしている人は少なくないでしょう。私も毎年楽しみにしているうちの一人です。様々な音楽に触れあい、今まで見たことのない作品に出会える機会です。
 しかし、私たち楽理科が忘れてはならないのが「がっくり亭」です。楽理科の一年生が毎年恒例で出店しているお店ですが、楽々HPの過去記事によれば、塚原先生が学生でいらっしゃった時もこの名が使われていた、とあります。とても長く続いているお店であることがわかります。私も一年生の時に「がっくり亭」を出店しました(ちなみに看板メニューは焼きそばツイスターでした!)大学生になると「皆で一つの物をつくりあげよう!」という機会が少なくなりがちですが、仲間と一緒に「がっくり亭」を作り上げることで友情がより強くなったと感じました。とても良い思い出です。今後も長く、長く「がっくり亭」が続くことを願っています。今年の「がっくり亭」はどのようなお店に仕上がるのか楽しみですね。
2011.7.25 学部3年 ちびたりあ

がっくり亭
 7月に入り芸大生のビックイベントの1つである「藝祭」に向けて、藝祭委員を中心に本格的な活動が始まっています。そんな中、私たち楽理科1年も毎年恒例の「がっくり亭」出店に向け準備を進めているところです。毎年恒例とは一体いつ頃からなのでしょう?先輩から引き継いだ資料の膨大さにあっけにとられていた私ですが、さらに驚いたことに私たちの担任、塚原先生の時代もがっくり亭だったとのこと。これはかなり老舗のようです(笑)。がっくり亭は楽理生なら必ず通る道、これを経験してこそ楽理生、そんな行事なのかもしれません。
 今年のメニューはチヂミです。もちろん味では「がっくり」させません!明るくパワフルな1年の総力を結集し、成功を収められるよう頑張りたいと思います。これをご覧の在学生の皆さん、卒業生の皆さん、そして楽理科を受験しようと考えている皆さん。ぜひぜひ藝祭、そしてがっくり亭におこし下さい。おいしいチヂミを用意してお待ちしております。
2004.7.27 学部1年 がっくり亭(2004)店長

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研究演奏会

 12月9日に行われた楽理科研究演奏会で、現在行われている能の観世流の謡と古い謡である京観世を再現するという企画があった。現行の観世流の「高砂」と京観世の謡「山姥」(現在伝承されている京観世の謡を五線譜に書き取ったもの)、それに「高砂」(京観世の理論を能の楽譜に当てはめて再現したもの)を謡ってしまおうというこのビッグな企画は、参加者13名のうち謡のノウハウを知っているのは企画者のお二人と先生だけという悲惨な状況からスタートしました。けれども、能楽専攻生二人を無理やり巻き込み、彼らの丁寧な指導と皆の練習の頑張りのお陰で、なんとか無事発表することが出来ました。能の楽譜が読めなかったり、専攻生の言うことが理解できなかったりして苦労もしましたが、特に私はこれから西洋音楽を専攻していこうと考えているので、そういう人にとっては自分の専門以外の文化に触れるチャンスになって、とてもよい企画だったと思います。
2004.1.13 学部3年 N

楽理科研究演奏会(2003年12月9日)でのシタール
 今回のシタール出演者は、きっとこれまでにない苦境に立たされていたと思う。演奏会直前に「東洋音楽演奏」の授業で私たちを指導しておられるスシュマ小俣先生が(私たちがあまりにふがいないために諦めてしまわれたのか)帰省されてしまったのだ。大量のヴァリエーションと素敵なサリーを置いて先生はネパールへ・・・
 思えばこれまでも苦難の連続だった。それは、受講生の顔ぶれが前期とまるで変わってしまったことからもわかる。理由はやはり「痛い」! 弦もピックも針金製である上に、弦の上から下へ指をすべらせたり、あの独特の揺れた音を出すために引っ張ったり。指がある程度硬くなるまでは、はっきり言って拷問である。だからといってまごまごしてはいられない、スシュマ先生は全身全霊をかけて私たちに指導してくださるのだ。容赦ないヴァリエーションのシャワー。覚えても覚えても先生の即興は尽きない。
 しかし、最後まで残った私たち、負けん気と開き直りでここまで来たようなものだ。ある者はシタールを自宅に持ち帰り、ある者は採譜し、皆で「Ga〜GaReGaMaPaMa・・・」と歌いながら帰った。
 そして当日。先生に教えていただいた着付けを思い出しながらサリーを身につけ、晴れの舞台へ。あの高揚感、お客様と共有できたのだろうか。そんなことを考えたら、この指の生傷も私にとっては勲章に思えるのだ。
2003.12.12 学部2年 スシュマの娘

楽理科学内演奏会で・・・
 昔むかし、声明で舞台にたちました。準備には気合いが入ってましたよ。声明パフォーマーの方を先生にお招きし、みんなで習いましたし、練習用テープもあったから、家でも練習できました。しかも、いくつかの宗派の声明をほんの少しずつやるだけ。でも、みんなと一緒じゃないと、とても歌えません。でも、お気に入りの東大寺の修二会の散華だけは暗記しました。
 当日は肌襦袢の上に長い布を袈裟風に巻き、にわか坊主に変身。虎の巻はお経本風に細工したので、はたから見ても立派です。そうそう、日本音楽史の専攻の方々って、和服なんてさっさと着れるんですね。ワタシ、その時はじめて、足袋は最初にはいておくものだということを知りました。  そして、本番。 やはり、演奏というのは、日頃の練習がすべてです。
その日のワタシは、散華のところだけ、「コウミョウシジョウ・・・」と高らかに唱えながら、はらはらと散華していました。それ以降、十八番の声明は、東大寺の修二会の散華です。生涯忘れません。
2003.6.27 博士課程3年 ぞ

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楽理科研究旅行

NEW!
 楽理科研究旅行は一生忘れることのない思い出です。奈良や京都、大阪のお寺を沢山巡りながら、日本の文化というものを大人になった自分の目で改めて見るという、大切な経験であったと思います。また萬福寺に泊まって聴いた早朝4時過ぎに行われる法要の響きは、非常に神秘的であり、自分が普段寝ている時間にこのようなことが日々繰り返されているということに不思議な気持ちになりました。その他にも長谷寺や延暦寺、四天王寺、春日大社などを訪れて、声明や雅楽に浸りました。自分が普段西洋音楽に熱中している分、研究旅行での体験は本当に特別なものであり、「私は日本人である」という当たり前のことを深く見直すことの出来る素晴らしい時間でした。
 しかし、楽理科研究旅行の楽しさはそれだけではありません!!!やはり友達と笑いあった時間は本当に楽しかったです。バスの中で合唱をして美しいハーモニーを奏でたり、お酒を飲みながら人生ゲームをしたり、夜遅くに東大寺まで自転車で集団サイクリングをしたり、奈良公園で鹿と戯れたり(襲われたり?)、素敵な思い出が沢山出来ました。中でも宴会でのみんなの一発芸は忘れません。「懇親会係」であった僕は、みんなに一発芸をやってもらうのは申し訳ないな、とちょっぴり思っていました(女性も多いことですし)。けれどみんな楽しい一発芸を用意してくれて本当に嬉しかったです。普段学校では見ることのできない友達の一面を覗くことが出来て、みんなのことをまた一つ身近に感じられるようになりました。
 この旅行では「東京芸術大学」と大きく書かれた小さなバスで大部分を移動したのですが、今でも「またみんなであのバスに乗りたいな」と思い出したりします。
2011.7.25 学部4年 川口成彦

 楽理科研究旅行 8月31日、萬福寺に泊り込んで声明を聴聞させて頂く。着いた途端、緊張感に身が引き締まる。まず、参拝道の真ん中に敷かれている敷石。ここは一番偉い僧のみが踏むことを許されているので、うかつに踏むと怒られてしまうのだ。午後9時、消灯。耳をすますと開枕という、太鼓と鐘によるリズミカルな合図が聴こえてくる。夜半、蚊取り線香の強烈な香りに悩まされる。翌朝は午前4時起床だが、3時45分に起きることをお勧めする。というのも4時に行われる巡照という、皆を起こして回る日課を見られるのだ。外で待っていると、若い僧が信じられないほどのスピードで駆け込んできて、詠唱しながら木版を打ち鳴らし、あっという間に去っていった。4時30分、本堂で法要を聴聞する。1時間にわたり立ったまま聴聞するのだが、みるみるうちに惹きこまれ、無心に聴き惚れる。6時30分、朝食。空きっ腹にお粥がしみわたる。すべてがCDや譜面では知りえることのない生の体験。萬福寺の声明は、ピリピリとした緊張感と境内の心地よい静けさと共に、いつでもリアルに蘇ってくるのである。
2004.11.2 学部3年 和風人

 楽理科研究旅行 8月31日、萬福寺に泊り込んで声明を聴聞させて頂く。着いた途端、緊張感に身が引き締まる。まず、参拝道の真ん中に敷かれている敷石。ここは一番偉い僧のみが踏むことを許されているので、うかつに踏むと怒られてしまうのだ。午後9時、消灯。耳をすますと開枕という、太鼓と鐘によるリズミカルな合図が聴こえてくる。夜半、蚊取り線香の強烈な香りに悩まされる。翌朝は午前4時起床だが、3時45分に起きることをお勧めする。というのも4時に行われる巡照という、皆を起こして回る日課を見られるのだ。外で待っていると、若い僧が信じられないほどのスピードで駆け込んできて、詠唱しながら木版を打ち鳴らし、あっという間に去っていった。4時30分、本堂で法要を聴聞する。1時間にわたり立ったまま聴聞するのだが、みるみるうちに惹きこまれ、無心に聴き惚れる。6時30分、朝食。空きっ腹にお粥がしみわたる。すべてがCDや譜面では知りえることのない生の体験。萬福寺の声明は、ピリピリとした緊張感と境内の心地よい静けさと共に、いつでもリアルに蘇ってくるのである。
2004.11.2 学部3年 和風人

 夏の夜、静寂(しじま)に響く太鼓の音。
そのリズムに忘我し、軽いトランス状態におちいる。
ふと我にかえり周りを見回すと、やはり皆一心に聞き入っている。
これは2003年8月に楽理科の研究旅行中に京都の萬福寺で行われた、夜の法要での出来事である。楽理科では毎年夏に研究旅行が行われ、普段決して目にすることができない音楽や舞踊など様々な技を肌で感じることができるのだ。「普段目にすることができない」というのがポイントである。 とはいえ何の対価も支払わずにこれらを体験できるわけではない。夏の暑い中を歩いたり(ご存知とは思うが関西は盆地が多く、夏の暑さはなかなかツライものがある)、夜中とも明け方とも判断のつかない時間に起きたりしなければならない。
研究旅行では萬福寺での法要の他にも、四天王寺の舞楽などを鑑賞する機会がある。さらに、これらに携わる方々と直接話をすることもできる。プロフェッショナルの人と話すことは研究者心をくすぐられるなぁと感じながら、京都、大阪をあとにした。
2003.11.7 博士課程1年 猫好き

 3年生になると、楽理科研究旅行に出かけます。これは、奈良、京都あたりのお寺や施設をめぐって、実際に法要を聞いたり所蔵品を見学したりできるという何とも貴重なものです。萬福寺に泊まって早朝に法要を聞かせていただいたり、三味線の皮を作っていらっしゃる方にお話を伺ったりという経験はなかなかできないものだと思います。音楽を研究するというのは、このように実際に観て聴くということも本当に大切だというのを実感できました。
 この旅行でもう一つ忘れられないのは、やはり、8月の下旬という暑―い時期にこんな楽しい人たちと6日間も一緒に過ごしたことでしょうか。奈良の芸大の宿泊施設に泊まるのですが、近くには春日大社や奈良公園、 東大寺などがあり、 自転車でふらふらと出かけることもできます。また、卓球や一輪車で遊んだりもしました。毎日お酒を調達してきては飲んで語ったりもしましたねー。近くにはおいしいお店もあって、おもわず住みたくなりました。楽理科でよかった、この人たちと会えてよかったとしみじみと感じました。
2003.5.10 学部4年 ブースカ

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論文発表会

NEW!
 卒論を提出後、私は人生で初めての論文をただ書き上げるので精いっぱいだったので、その過程で自分の力で発見できた様々なこと、それを形にした達成感だけが残っていました。それをたくさんの方の前で発表する機会を頂いた時、喜びと不安が半分ずつくらい起きたのを覚えています。私は学会での発表の機会も頂いていたため、そちらを終えてからもう一度準備し直しました。論文発表会では10分という限られた時間で、一番伝えたいことをまとめなければなりません。指導教員の先生のもと、発表者で集まってプレ発表会を行いました。最初の原稿はひどいもので、まったく伝わらない、わかりにくいものでした。たくさんある情報の中で、何を強調し、どう話せば、聴き手の思考の流れを自然に私の結論に持っていけるのか、伝えられるのか。発表の準備、当日を含めて、大変勉強になったことでした。当日は、私のレジュメから卒論で取り上げた人物の肖像画が抜けてしまい、慌てて助手さんがコピーして配ってくださるというアクシデントがありました。やはり肖像画ひとつあるとないとで、イメージや伝わり方は違うね、と一緒に発表した同級生に言われたのを印象深く覚えています。発表会では分野の違う方たちからの興味深い質問も頂き、研究の新たな視点を持つことができました。
 論文を通して、なにかひとつ、どんなに小さなことでも明らかにできたら、次はそれをどうやって人に伝えるのか。この論文発表会は、大変多くを学んだ場でした。発表できたことに感謝しています。
2011.7.25 修士課程2年 香耀

 論文発表会とは、毎年、年度末になると開かれる楽理科恒例行事の一つです。恐れ多くも、私は前年度の卒業論文発表者の一人に選ばれ、また実際に発表したわけですが、今振り返ってみると一番大変だったのは発表の準備だったように思われます。特に60000字の卒業論文を20分の発表で説明し(だいたい4000字)、A3のレジュメ1枚にまとめるという作業に苦労しました。なにしろ私の卒業論文は、ガンバ音楽、しかもマラン・マレ(1656〜1728)の性格作品(18世紀前半のフランス器楽に好まれたジャンルで、具体的にはタイトルが付いた作品)に限るというかなりマニアックな領域だったので、どの程度ガンバについての説明を加えるかに悩みました(20分しかなかったので、結局、みんながガンバについて多少の知識は持っていると信じ、楽器についてやマレの生涯といった基本的なことは説明しませんでしたが(笑)。ちなみにガンバはフランス・バロック音楽に欠かせない弦楽器で、6、7本の弦とフレットを持っています。そしてマレは質、量ともにガンバ音楽最大の作曲家で、その生涯は映画『めぐり逢う朝 Touts les matins du monde』にもなっています!)。この苦労をしたおかげで、限られた時間を使ってどれだけ的確に自分の意見を伝えるかということ、聴衆の反応に合わせて発表を進めるということを念頭に置きながら発表することができました。いずれにせよ今は、あの発表で聞いていた人たちにガンバ音楽の面白さや、私がガンバを大好きなことが伝わっていればよいなぁと思います。
2003.5.30 修士課程1年 ゴルゴ

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卒論提出

NEW! 卒論準備
 卒業論文の準備は早いに越したことはありません。芸大の院試を受ける人の場合は、実際に集中して論文に取り組めるのはせいぜい2ヶ月くらいです。なので、自分のテーマに関連する先行研究などの情報収集は夏休み前にしておくとあとが楽です。論文のまとめ方は色々な方法があるとは思いますが、大事なのは先行研究(あるいはフィールドワーク、インタビューなど)の情報を分かりやすくまとめ、その情報に自分の見解を自分の言葉で付加することだと思います。字数を増やそうと思って気の向くまま綴るような「随筆」になってはいけないし、かといってオリジナリティの薄い文献や情報の「整理」だけで終わってしまっては味気ないです。論文の書式については手引きにほとんど書いてありますが、細かなレイアウトなどは過去に先輩方が書いた論文を閲覧して参考にしました。最後に、バックアップはこまめに、万全に!バックアップを忘れてパソコン事故が締め切り間近に起きたら、「万事休す」です。
2011.7.25 修士課程1年 P

私の卒論提出
「卒業論文執筆は、楽理科の学生生活で最大のイベントです。卒論のために、まさに全身全霊を注ぐといっても過言ではないほど濃い付き合いをすることになります。私はのんびりしているために、気づいたら秋も深まっており、中間発表で半ばハッタリの経過報告をした後で、言ったからにはやらねばの精神で部屋中を楽譜やら書物やらでめちゃくちゃにしつつ研究に没頭しました(たぶん)。自分の経験をもとに言うなら、研究には計画性と冷静かつ地道な努力が必要だと思います。そうでないと、前日に本文を書き直して譜例を全部変える、なんて危険なことをするはめになったり、提出期限5分前に校門前を全力疾走してました、と噂になってしまいますよ。それから、あまり籠ってやりすぎると頭がいかれてくるので、時にはお散歩したり、友達と他愛のない話をしたり、遊びにいったりすることをお勧めします。
 この一大イベントを乗り切ったことで、人間として大きく成長できると思います。ひとつのことを、時間をかけてやり遂げることは、なかなかできない貴重な経験です。情熱をかけたらかけた分だけ、手応えを感じることができるはずです。これからの人は、ぜひ楽しんで卒論に取り組んでください。
2003.5.10 修士課程1年 パワーガール

卒論執筆について
 学部生にとって、卒業論文のプレッシャーはとても大きなものです。私は「いい論文を書きたい」という実力以上の気負いがあったのか、どこから手をつけていいかわからず出遅れてしまいました。その反省から私が言えるのは、まず等身大の自分と向き合うことが大切だということです。どんな小さなことでもいいので、とにかく自分のできることから始めてみましょう。自分の中で考えがまとまったら先生に見て頂こう、などと考えていたら、いつまで経っても論文なんてとても書けません。先生や先輩のような知識も経験も豊富な方と話しているうちに、不思議と自分の考えが見えてくるものです。どんどん恥をかきにいきましょう。
 卒論執筆は孤独で苦しい反面、ある意味クセになる楽しさも持っています。あの苦しさを知りながらまた論文を書く道に進んだ大学院生たちをみれば、その魅力は一目瞭然! さらに、この苦難を共に乗り越えた同級生との絆も深まります。私の学年は、提出直前はみんな夜中までパソコンに向かっていたので、毎晩ネット上で励ましあっていました。ちょっとしたことですが、精神的にだいぶ救われました。
 これからの人は、そんな未知な体験を楽しみに臨んでくださいね。
2007.1.30 修士課程1年 はなめがね

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