リサーチ活動

Ⅱ.各国報告

1.アメリカ調査報告

中田 朱美

音楽研究科リサーチセンターでは海外調査として2008~2010年度にかけてアメリカ調査を行った1。アメリカは受理される音楽系博士論文の数が世界的に際立って多いことで知られるため、まず音楽系博士論文の実態調査に着手し、続いて音楽系博士課程をもつ大学数の調査、教育システムの調査を行った。以下は基本的にこの期間の調査結果をまとめたものである。

§1.教育システム

アメリカでは4年制の学部で学士の学位を取得した後、大学院に進み、2年以上をかけて修士、さらにその上で博士の学位を取得する三段階システムが敷かれている。しかしその中身にあたる具体的な単位数・試験方法・履修カリキュラム・修了論文の施行などは千差万別である。その理由に、この国の教育システムの特色として、日本の文部科学省にあたるような諸大学を統括し、基準を一元的に管理する機関が存在しない点が挙げられるであろう。こうした政府機関の代わりに、アメリカでは大学それぞれの質を保証するための認証評価システムが機能している。認証評価を行う認定団体は複数存在し、そのすべてが民間の非営利団体である。各大学は独自色豊かに自らの基準を定め、この基準に即して認定団体から評価を受けることで、質と誠実さが対外的に認められる仕組みになっている。こうした機関から評価を受けることは義務ではなく任意であるが、研究助成金や学生の奨学金獲得などの面で有利となる。

音楽に関わる認定団体には、全米を6つの地域に分けて管轄する地域認定団体があるほか、音楽の専門性を認証評価する唯一の団体として、NASM(National Association of Schools of Music)がある。NASMは1924年に設立された認定団体で、2008年11月の時点では585の音楽系大学が加盟している2

NASMでは、「音楽とは元来、多様な道に向かう主観的、探求的な経験にもとづくものであるため、大学の目標は各校によって独自に定められ、達成方法も個々に決定される」(NASM 2009)という姿勢を取る。各大学はNASMへの加盟が認められると、初回は5年、その後は10年の間隔で認証評価を受ける。評価は大きく自己評価と外部審査の2つの過程からなり、外部審査は他の加盟大学に所属する教員たちからなる審査委員会が行う。つまり外部審査とは他大学の同じ専門領域における教員たちによって相互評価しあうことを意味する。これにより上述のような各大学の自由な方向性、ひいては諸大学の多様性が認められるとともに、専門性に対して適正な評価が下されている。

§2.ボローニャ・プロセスへの対応

ヨーロッパの音楽系大学からなるAEC(European Association of Conservatories)では、ボローニャ・プロセスを受けて「ポリフォニア・プロジェクト」を立ち上げ、演奏・作曲・指揮といった音楽実技系の領域における三段階化(学部・修士・博士課程からなる三段階システム化)の拡張に際し、音楽実技系博士課程の教育システムの方向性に一つの指針を見出すために、研究調査やカリキュラムの試行を進めている3。一方、アメリカでは、NASMとAECの質保証に関する共同宣言は出されているものの4、こうしたポリフォニア・プロジェクトの連合の動きに対応するような音楽系大学間の具体的な合同活動は今のところ見られない。

しかし米国高等教育研究の第一人者であるクリフォード・エーデルマン5によると、全般的に2008年頃よりボローニャ・プロセスに関連する動きがアメリカで急速に注目され始めたようである(Adelman 2009)。数々の学会、シンポジウムなどが開催され始めたほか、ボローニャ・プロセスの可能性をアメリカの状況に置き換えて検証する大学間の研究グループも立ち上げられている模様である。またエーデルマンは、ボローニャ・プロセスの現状にみられる諸問題を指摘しつつも、ボローニャ・プロセスが向かおうとする先は標準化ではなく協調化であると指摘し、その目的が達成された暁には、国境を越えた信用保証と、学生たちの飛躍的な国際間の流動がもたらされるだろうと述べている。さらに、ボローニャ・プロセスの核となる諸特徴は、今後20年の間に、高等教育において支配的なグローバル・モデルになる勢いを持つとも予測している。

§3.調査結果

前頁の表は、2009年度の調査で明らかになった、この時点の音楽実技系博士課程をもつ大学の数・認定団体の内訳・学位名称をまとめたものである。アメリカでは1950年代にBoston Universityで初めて音楽実技における博士課程(D.M.A.)が開設されて以来、数多くの大学がこれに続いたが、上述の通り大学の統括機関がないため、音楽実技系博士課程をもつ大学の総数を把握することが難しい状況にある。そこで2009年度、NASM、GradSchools.com、ProQuest の全データを調査したところ、何らかの音楽実技系博士課程をもつ大学は85校(重複を除く)見つかった6。このうち81校が総合大学で、音楽に特化した専門大学(含、音楽院)7は4校、芸術分野(音楽の他、美術・舞踊・映像など)の専攻のみをもつ芸術系大学は0校であった。

大学数 認定団体内訳 学位名称
総合大学 81 NASM 60 D.M.A. (Doctor of Musical Arts) 67
音楽専門大学(含、音楽院) 4 地域認定団体 80 Ph.D. (Doctor of Philosophy) 26
芸術系大学 0     0 D.M. (Doctor of Music) 3
合計 85     D.A. (Doctor of Arts in Music) 1

またこれらの85校のうちNASM から認証評価を受けている大学が60校、地域認定団体から認証評価を受けている大学が80校であった。音楽専門の認定団体であるNASMよりも地域認定団体から認証評価を受けている大学が多いのは、アメリカのほとんどの音楽高等教育機関が州立の総合大学の中に設置されている状況とも関わっていると考えられる。

認証評価を受けるか否かは任意であるため、Juilliard SchoolとManhattan School of Musicのようによく知られる音楽院であってもNASM からの評価を受けていない。またNASM、地域認定団体のいずれからも評価を受けていない大学は4校あり、City University of New York、Rice University、Stony Brook University、University at Buffalo - The State University of New Yorkであった。おそらくこうした大学では、これまでの方向性や強い独自性を保持するために、あえてNASMなどからの認証評価を受けないスタンスを取っているものと推測される。

さて音楽実技系の博士学位の名称はどうかというと、D.M.A.(Doctor of Musical Arts)が67校ともっとも多く、続いてPh.D.(Doctor of Philosophy)が26校、D.M.(Doctor of Music) が3校、D.A.(Doctor of Arts in Music)が1校であった8。Ph.D. が授与される専攻を見てみると作曲が24校ともっとも多い。作曲以外では、Case Western Reserve University の古楽演奏(ただし音楽学的研究を課する)、New York University の中にあるSteinhardt School of Culture,Education, and Human Development のジャズ・金管楽器・打楽器・ピアノ・弦楽器・木管楽器、Texas Tech Universityの指揮・演奏、University of Floridaの指揮で、Ph.D.が授与されている。

最後に、1872年にアメリカで音楽において最初に設立された学位授与機関で、音楽実技系博士課程を設置した最初の機関でもあるBoston Universityの修了要件を紹介したい9。ボストン大学には演奏・作曲・指揮で博士課程(D.M.A.)があり、学位は7年以内に取得することが定められている(延長を認める特例措置あり)。博士課程の学生は最低48単位を取得し、30単位を取得した後、音楽理論と音楽史の筆記・口述からなる資格試験を受ける必要がある。この資格試験ではそれぞれ6時間かけて4~5題の問題に答える。演奏の学生の場合にはさらに3回のリサイタルと1回のレクチャー・リサイタルの開催が課され、リサイタルは2回が60分の独奏、1回が室内楽と設定されている。レクチャー・リサイタルは博士論文を執筆した後で論文に基づいて行われる。長さは演奏30分・レクチャー30分で、参考文献表・発表概要・配布資料を事前に審査委員会に提出することなどが定められている。このように口述試験、レクチャー・リサイタルが重要視されており、音楽実技系学生に対して、研究方法の認識や言葉を使ったプレゼンテーション力の習得も求められている様子が窺える。

アメリカでは音楽修業と大学における学問研究が早くから融合しながら、音楽実技系博士課程の圧倒的な数の多さを誇ってきた。大学数の多さと多様性が併存してきた背景としては、相互評価による透明な認証評価システムが各機関の専門性を保証してきた点、また多くの留学生を受け入れてきた点が挙げられるであろう。しかしヨーロッパにおける昨今の高等教育改革の波によって、EU内でも第三システムをもつ音楽系大学が急速に増え、単位互換制度など学生にとってより便宜の図られた研究環境が整いつつある今、アメリカの特長は明らかに薄れつつある。今後、アメリカの音楽系大学において、ヨーロッパの大学との姉妹校提携が加速する可能性や、NASM などの機関を軸としながら、ポリフォニア・プロジェクトに対抗するような連合の動きに向かう可能性はきわめて高いと思われる。

【関連サイト】
【言及資料】
  • Adelman, Clifford. The Bologna Process for U.S.Eyes: Re-learning Higher Education in the Age of Convergence. Washington, DC: Institute for Higher Education Policy, 2009.
  • National Association of Schools of Music, 2009 Directory. Reston, 2009.
  •  
  • 1:『東京藝術大学大学院音楽研究科リサーチセンター平成21年度活動報告』pp.58-60. 『東京藝術大学大学院音楽研究科リサーチセンター平成22年度活動報告』pp.66-69.
  • 2:専門学校や短期大学を除く、学部・大学院のある学位授与機関。NASMでは主に演奏・作曲・音楽学・音楽教育の専門領域を取り扱う。なお音楽教育に特化した認証評価団体はNASM以外に複数存在する。
  • 3:Tomasi, Ester and Joost Vanmaele. Doctoral Studies in the Field of Music: Current Status and Latest Developments.http://www.unideusto.org/tuningeu/images/stories/Third_cycle/POLIFONIA-3CYCLE.pdf
    『東京藝術大学大学院音楽研究科リサーチセンター平成22年度活動報告』pp.12-23.に邦訳あり。
  • 4:AEC - NASM Statement on the Characteristics for Quality Assurance in the Field of Music. 2011.[http://www.arts-accredit.org/site/docs/pdf/15-MSMAP-AEC-NASM/Statement-CommonBodyKnowledgeSkills.pdf
  • 5:Institute for Higher Education Policy, senior associate.[http://www.ihep.org/about/bio-detail.cfm?id=18
  • 6:本調査では、地域認定団体(6地域)のウェブサイトに掲載された大量のデータ調査も開始したが、約1/6を調査した時点で、上記の85校中地域認定団体ウェブサイトのみに掲載されている大学は0校であった。そのため、地域認定団体に認証されている大学は、NASM、GradSchools.com、ProQuestのいずれかに含まれていると判断し、地域認定団体のサイト調査は中止した。85校の一覧は、『東京藝術大学大学院音楽研究科リサーチセンター平成21年度活動報告』p.60.に掲載。
  • 7:Peabody Instituteのように、もともと音楽院として創設され、今も音楽院として広く認知されている機関であっても、現在、総合大学の一部に改組されている機関は総合大学として積算した。
  • 8:たとえばTexas Tech Universityには、演奏・作曲・指揮のそれぞれにD.M.A.とPh.D.のカリキュラムがある。このように複数の学位をもつ場合、すべての学位を積算した。
  • 9:Boston University College of Fine Arts School of Music. Graduate Student Handbook 2012-2013.http://www.bu.edu/cfa/files/2012/08/BU-SOMGrad-Handbook-2012-13-v1a.pdf