インタラクティブなフィクションとしてのビデオゲーム
松永伸司(東京芸術大学)
matsunagashinji@gmail.com
- 『美学』所収の美学会全国大会発表要旨のHTML版です。
- 発表後にちゃんと書いたものです。
- より細かい内容は発表資料。
松永伸司「インタラクティブなフィクションとしてのビデオゲーム」 『美学』63:2, p.141 (2012)
ビデオゲームのプレイヤーの行為を記述する際、われわれは虚構世界内の行為をプレイヤーに帰属させる文(以下、FA文)をしばしば使う。たとえば、「プレイヤーはクッパを倒した」、「プレイヤーは車を盗んだ」といった文である。FA文は直観的に受け入れられるものだが、意味論的に見れば明らかなカテゴリ錯誤を犯している。その主語が現実の存在者を指示する一方で、述語は虚構的性質を示しているからである。このFA文をどのようにして意味論的に擁護可能な文にパラフレーズできるか。
グラント・タヴィナー(Grant Tavinor)はこの問題について以下のように説明する。ビデオゲームのようなインタラクティブなフィクションの受容者は、自身がその虚構世界の中に存在し、その中で行為していると想像する。これは伝統的なフィクションでもありうるが、インタラクティブなフィクションでは、受容者自身が作品内容に影響を与えることができるがゆえに、その想像内容が正当化される。
タヴィナーの議論はFA文をプレイヤー自身についての虚構文としてパラフレーズするものだが、これは説明として不十分であり、また部分的に直観に反する。インタラクティブ性はたんに作品の例化にかかわる特徴であり、作品の実例の受容における特定の想像内容の正当化を説明するものではない。また直観的には、FA文を使うとき、われわれは虚構世界上のプレイヤーではなく現実のプレイヤーについてなんらかのことを主張しているように思われる。
そもそもビデオゲームにおけるFA文をインタラクティブなフィクション一般の観点から説明する戦略は適切なのか。インタラクティブなフィクションは模倣的なものと操作的なものに分けられるが、少なくとも操作的なインタラクティブなフィクションに関してはFA文は通常成り立たない。そして、ビデオゲームは明らかに操作的なインタラクティブなフィクションに属する。FA文は、インタラクティブなフィクション一般の問題というよりビデオゲームに特徴的な問題であるように思われる。したがって、ビデオゲームのもうひとつの上位概念であるゲーム一般の観点からの説明を検討すべきだろう。
あるゲームのプレイヤーによるなまの現実上の動作は、そのゲームのルール内行為(以下、RA)として同定される。たとえば、将棋のプレイヤーが駒を指でつまんで動かすとき、その動作は〈飛車をとる〉や〈王手をする〉といったRAとして同定される。RAをプレイヤーに帰属させる文にカテゴリ錯誤的難点はない。
RAは、虚構世界を描くビデオゲームについても言える。虚構的ビデオゲームの特徴は、ゲーム状態やルールを虚構世界の再現を通して間接的に表示する点にある。これはRAの記述にも反映される。つまり、特定のRAを記述するのに、たとえば「車を盗む」といった虚構的内容を示す語彙が使われるのである。
この観点にもとづけば、「プレイヤーは車を盗んだ」というFA文は、「プレイヤーは、『車を盗む』という虚構的内容によって表示されるところのルール内行為をした」というRA文にパラフレーズできる。そして、この文は意味論的に擁護可能である。