◆仕舞[しまい]「井筒[いづつ]



    ◆あらすじ
    [たび]の僧[そう]が大和国[やまとのくに]の在原寺[ありわらでら]に立[た]ち寄[よ]りました。昔[むかし]、ここに在原業平[ありわらのなりひら]とその妻[つま]が住[す]んでいましたが、もうその面影[おもかげ]はありません。
    [そう]が業平[なりひら]夫婦[ふうふ]を弔[とむら]っていると、里[さと]の女[おんな](実[じつ]は業平[なりひら]の妻[つま])が現[あらわ]れます。女[おんな]は僧[そう]に業平[なりひら]との馴初[なれそ]めを、井筒[いづつ]を見[み]つめながら話[はな]します。
    「昔[むかし]、幼[おさ]なじみの男女[だんじょ]がいました。 二人[ふたり]は井筒[いづつ]の傍[そば]で話[はなし]をしたり、水面[みなも]に姿[すがた]を映[うつ]して遊[あそ]んでいましたが、 年頃[としごろ]になると疎遠[そえん]になってしまいました。大人[おとな]になったある日[ひ]、男[おとこ]はどうしても幼[おさな]なじみの女[おんな]を自分[じぶん]の妻[つま]にしたいと思[おも]い、歌[うた]を贈[おく]ります。男[おとこ]から歌[うた]を贈[おく]られた女[おんな]も同[おな]じ気持[きも]ちで二人[ふたり]は結[むす]ばれます。」
    その晩[ばん]、床[とこ]に着[つ]いた僧[そう]の夢[ゆめ]に、業平[なりひら]の形見の衣装を着けた女が現れます。
    [おんな]は、在[あ]りし日[ひ]の業平[なりひら]のように、静[しず]かに美[うつく]しく舞[まい]を舞[まい]い、昔[むかし]を懐[なつ]かしみました。

    * このサイトでは、女[おんな]が夢[ゆめ]の中[なか]で業平[なりひら]となって昔[むかし]を懐[なつか]しむ場面[ばめん]をご覧[らん]いただきます。
    *『伊勢物語[いせものがたり]』 23段[だん]「筒井筒[つついづつ]」に取材[しゅざい]した作品[さくひん]。「井筒[いづつ]」とは、井戸[いど]の周[まわ]りの木枠[きわく]
      主人公[しゅじんこう]の女[おんな]にとって、ここは子[こ]どもの頃[ころ]に夫[おっと]と遊[あそ]んだ思[おも]い出[で]いっぱいの場所[ばしょ]です。

◆謡[うたい]のことば
シテ[して] つゝ[つ]井筒[いづつ]
地謡[じうたい] つゝ[つ]井筒[いづつ]。井筒[いづつ]にかけし。
シテ[して] まろがたけ
地謡[じうたい][お][い]にけらしな
シテ[して][お][い]にけるぞや
地謡[じうたい] さながら見[み]みえし昔[むかし][おとこ]の。
[かむり]直衣[なおし]は女[おんな]とも見[み]えず。
[おとこ]なりけり。業平[なりひら]の面影[おもかげ]
シテ[して][み]ればなつかしや
地謡[じうたい][われ]ながらなつかしや。
亡婦魄霊[ぼうふうはくれい]の姿[すがた]
しぼめる花[はな]の。
[いろ][の]うて匂[にお][い]
[のこ]りて在原[ありわら]の寺[てら]の鐘[かね]も 
ほのぼのと。
[あ]くれば古寺[ふるてら]
松風[まつかぜ]や芭蕉葉[ばしょうば]の夢[ゆめ]も。
[やぶ]れてさめにけり
[ゆめ]は破[やぶ]れあけにけり。