連吟[れんぎん]「草紙洗」[そうしあらい]



    ◆あらすじ
    宮中[きゅうちゅう]で開[ひら]かれる「御歌合[おうたあ]わせの会[かい]」で、大伴黒主[おおとものくろぬし]は、いつも素敵[すてき]な和歌[わか]を作[つく]る小野小町[おののこまち]と対戦[たいせん]することになりました。
    どうしても小町[こまち]に勝[か]ちたい黒主[くろぬし]は、小町[こまち]の歌[うた]を盗[ぬすみ]み聞[ぎ]きします。そして、古[ふる]い歌[うた](万葉[まんよう]の歌[うた])が沢山[たくさん][か]かれている本[ほん](草紙[そうし])に小町[こまち]が作[つく]った歌[うた]を書[か]き加[くわ]えてしまいます。
    歌会[うたかい]の当日[とうじつ]、小町[こまち]が歌[うた]を詠[よ]むと、黒主[くろぬし]は、「小町[こまち]の歌[うた]は本[ほん]に書[か]かれているものと一緒[いっしょ]です。ほら、ここに書[か]いてありますよ!」と、みんなに本[ほん]を見[み]せます。「おかしいな…」と思[おも]った小町[こまち]は、「本[ほん]の文字[もじ]は新[あたら]しく書[か]いた文字[もじ]みたい…、洗[あら]えば流[なが]し落[お]とせるかも!」と思[おも]い、「私[わたし]に本[ほん]を洗[あら]わせてください。」とお願[ねが]いします。小町[こまち]が洗[あら]った本[ほん]からは、黒主[くろぬし]が書[か]いた文字[もじ]が流[なが]れて行[ゆ]きます。小町[こまち]の潔白[けっぱく]が晴[は]れて、みんなは楽[たの]しい気分[きぶん]で歌会[うたかい]を終[お]えます。

    * このサイトでは、小町[こまち]が文字[もじ]を洗[あら]い流[なが]す場面[ばめん]をご覧[らん]いただきます。
    * この能[のう]に登場[とうじょう]する小野小町[おののこまち]、大伴黒主[おおとものくろぬし]、紀貫之[きのつらゆき]は、本当[ほんとう]は同[おな]じ時代[じだい]に活躍[かつやく]していません。「もしも、このメンバーが一緒[いっしょ]に参加[さんか]する歌会[うたかい]が開[ひら]かれたら…」という視点[してん]で作[つく]られた、夢[ゆめ]の共演[きょうえん]の作品[さくひん]です。

◆謡[うたい]のことば
シテ[して][かり]がねの
地謡[じうたい][つばさ]は文字[もじ]の数[かず]なれどあと定[さだ]めねばあらは[わ]れず
頴川[えいせん]に耳[みみ]を洗[あら][い]しは
シテ[して][にご]れる世[よ]をすましける
地謡[じうたい] 喬苔[きうたい]の鬚[ひげ]を洗ひしは
シテ[して] 川原[かわら]に解[と]くる薄氷[うすごおり]
地謡[じうたい][はる]の歌[うた]を洗[あら][い]ては霞[かすみ]の袖[そで]を解[と][こ]うよ
シテ[して][ふゆ]の歌[うた]を洗[あら][え]ば 冬[ふゆ]の歌[うた]を洗[あら][え]
地謡[じうたい][たもと]も寒[さむ]き水鳥[みずとり]の。上毛[うわげ]の霜[しも]にあらは[わ]ん。
上毛[うわげ]の霜[しも]に洗[あら][わ]
シテ[して][こい]の歌[うた]の文字[もじ]なれば 忍[しの]び草[ぐさ]の墨[すみ][き]
地謡[じうたい][なみだ]は袖[そで]にふりくれて。
[しの]ぶ草[ぐさ]も乱[みだ]るゝ[る] 忘[わす]れ草[ぐさ]もみだるゝ[る]
シテ[して] 釈教[しゃっきょう]の歌[うた]の数々[かずかず]
地謡[じうたい][はちす]の糸[いと]ぞ乱[みだ]るゝ[る]
シテ[して] 神祇[じんぎ]の歌[うた]は榊葉[さかきば]
地謡[じうたい] 庭火[にわび]に袖[そで]ぞかは[わ]ける
シテ[して] 時雨[しぐれ]にぬれて洗[あら][い]しは
地謡[じうたい] 紅葉[もみじ]の錦[にしき]なりけり
シテ[して] 住吉[すみよし]
地謡[じうたい] 住吉[すみよし]の。久[ひさ]しき松[まつ]を洗[あら][い]ては
[きし]によするしら浪[なみ]をさっとかけてあらは[わ]ん。
[あら][い]/\[あらい]て取[と]り上[あ]げて。
[み]ればふしぎやこはいかに。数々[かずかず]の其歌[そのうた]の。
作者[さくしゃ]も題[だい]も文字[もじ]の形[かたち]も 
[すこし]しも乱[みだ]るゝ[る]こともなく。
[い]れ筆[ふで]なれば浮[う]き草[くさ]の。
文字[もじ]は一字[いちじ]も。残[のこ]らで消[き]えにけり。
有難[ありがた]やありがたや 出雲[いずも]住吉[すみよし]玉津嶋[たまつしま]
人丸[ひとまる]赤人[あかひと]の御恵[おんめぐみ]かとふし拝[おが]み。
[よろこ]びて龍顔[りょおがん]にさしあげたりや。