仕舞[しまい]「熊野[ゆや]




    ◆あらすじ
    熊野[ゆや]は、平宗盛[たいらのむねもり]に仕[つか]える女性[じょせい]です。春[はる]になり、宗盛[むねもり]は大好[だいす]きな熊野[ゆや]と清水寺[きよみずでら]へお花見[はなみ]に行[い]く事[こと]を楽[たの]しみにしています。
    そんな時[とき]、熊野[ゆや]の故郷[こきょう]から「お母[かあ]さんが病気[びょぅき]だから帰[かえ]って来[き]てほしい」と手紙[てがみ]が届[とど]きます。熊野[ゆや]は宗盛[むねもり]に「故郷[こきょう]へ帰[かえ]らせて下[くだ]さい」とお願[ねが]いしますが、宗盛[むねもり]は聞[き]き入[い]れません。熊野[ゆや]は、悲[かな]しい気持[きも]ちのまま宗盛[むねもり]とお花見[はなみ]へ出掛[でか]けます。
    お花見[はなみ]をしていると、雨[あめ]が降[ふ]り、桜[さくら]を散[ち]らしてしまいます。それを見[み]た熊野[ゆや]は、お母[かあ]さんを思[おも]う和歌[わか]を詠[よ]みます。宗盛[むねもり]は、その和歌[わか]がとても気[き]に入[い]り、熊野[ゆや]を故郷[こきょう]へ帰[かえ]します。

    * このサイトでは、熊野[ゆや]がお花見[はなみ]で舞[まい]を舞[ま]う場面[ばめん]をご覧[らん]いただきます。
    * 『平家物語[へいけものがたり]』巻十[まきじゅう]「海道下[かいどうくだり]」に基[もと]づくといわれています。

◆謡[うたい]のことば
シテ[して][わし]のお山[やま]の名[な]を残[のこ]す。
地謡[じうたい][てら]は桂[はしら]の橋柱[はしばしら]
[た]ち出[い]でゝ[て][みね]の雲[くも]
[はな]やあらぬ初桜[はつざくら]
祇園林[ぎおんばやし]下河原[しもがわら]
シテ[して][みなみ]を遥[はる]かに眺[なが]むれば
地謡[じうたい] 大悲擁護[だいひおおご]の薄[うす]がすみ。
熊野権現[ゆやごんげん]の移[うつ]ります
御名[みな]も同[おな]じ今熊野[いまぐまの]
稲荷[いなり]の山[やま]の薄紅葉[うすもみじ]の。
[あお]かりし葉[は]の秋[あき]
また花[はな]の春[はる]は清水[きよみず]の。
[ただ][たの]め頼[たの]もしき
[はる]も千々[ちぢ]の花[はな]ざかり。