蛸芝居[たこしばい] (5)魚屋[さかなや]が来[き]た場面[ばめん]

台本[だいほん]

    魚喜[うおき]「魚喜[うおき]よろしー」
    定吉[さだきち]「向[むこ]うから来[き]た、あれ、魚屋[さかなや]でんな。」
    亀吉[かめきち]「ああ、ほんまでんな。わたいら芝居[しばい]したら怒[おこ]られますよってにな、あの魚屋[さかなや]に芝居[しばい]させまひょか。」
    定吉[さだきち]「芝居[しばい]しますか?」
    亀吉[かめきち]「すきでっせー!むこうからな、肩[かた]でのれん割[わ]って入[はい]ってきますよってに こっちから声[こえ][か]けたら必[かなら]ず芝居[しばい]しまっせ。来[き]た来[き]た来[き]た来[き]た来[き]た!! よっ! さかなやー!」♪鯛[たい]や~
    魚喜[うおき]「へッ、お旦那[だんな]さま。本日[ほんじつ]のお魚[さかな]はいかがでごわります。」
    [だん]さん「また、こんなん来[き]たでおまえ、うちはそれでのうても、役者[やくしゃ]が多[おお]て難儀[なんぎ]してんのやがな。外[そと]から増[ふ]えられたらどもならんな。それで、何[なに]があんねん。」
    魚喜[うおき]「へい。豊島屋[てしまや]ゴザを開[あ]けますれば、市川海老十郎[いちかわえびじゅうろう]、中村鯛助[なかむらたいすけ]、尾上蛸蔵[おのえたこぞう]・・・」
    [だん]さん「おかしな名前[なに]つけないな。鯛[たい]なら鯛[たい]でええねん。よし、ほんならな、その鯛[たい]もろとこか。」
    魚喜[うおき]「へい。ありがとさんでおます。」
    [だん]さん「そいでな、それ、三枚[さんまい]におろしておいてもらえるか。片身[かたみ]は焼[や]きもん、片身[かたみ]は造[つく]りにしてな。残[のこ]りは潮[うしお]にするよって。」
    魚喜[うおき]「承知[しょうち]しましたんで。旦[だん]さんどうです、蛸[たこ]いっときまひょか、蛸[たこ]。」
    [だん]さん「蛸[たこ]~?もろうてもええけどなぁ・・それ食[た]べたがために、後[あと]から黒豆[くろまめ]三粒[みつぶ][た]べなならんてことにならんかえ。」
    魚喜[うおき]「なんでんの?その黒豆三粒[くろまめみつぶ]て。」
    [だん]さん「知[し]らんか?昔[むかし]から蛸[たこ]に当[あ]たった時[とき]には黒豆[くろまめ]を三粒[みつぶ][た]べたら治[なお]るっちゅうねん。」
    魚喜[うおき]「あ、そんな話[はなし][き]いた事[こと]ありますけど。いやいや、そんな古[ふる]い蛸[たこ]やおまへんねん。これ、今朝[けさ]明石[あかし]の浦[うら]で上[あ]がったとこ。まだ生[い]きてまんねんで。」
    [だん]さん「生[い]きてんの?あ、そう。それやったら当[あ]たる気遣[きづか]いもないやろな。 ほな酢蛸[すだこ]にするよって、すり鉢[ばち]へ伏[ふ]せといてくれるか。」
    魚喜[うおき]「へぃ。 承知[しょうち]しました。君[きみ]のお召[め]しじゃ鯛[たい]、蛸[たこ]両名[りょうめい]、キリキリ歩[あゆ]めッ!」
    [だん]さん「歩[あゆ]めへん、歩[あゆ]めへん。」
    魚喜[うおき]「歩[ある]かんさかい、下[さ]げていきま、下[さ]げていきまんねんけどな。えぇとぉ・・・、まずは、鯛[たい]やな。鯛[たい]は…井戸端[いどばた]へ持[も]って行[い]て。蛸[たこ]からやな。蛸[たこ]はすり鉢[ばち]へ伏[ふ]せとかなあかんな。こういう風[ふう]に、蛸[たこ]はすり鉢[ばち]へ伏[ふ]せてやな、鯛[たい]は、こうひっかけてやな、井戸端[いどばた]へ持[も]って行[い]て。これをこう置[お]いてやな。ちょっと井戸[いど]かりまっせー。キリキリキリキリ(井戸[いど]の釣瓶[つるべ]を上[あ]げる音[おと])よいしょと、ザブーン(水[みず]を掛[か]ける音[おと])あと半分[はんぶん]は、井戸側[いどがわ]へ置[お]いといて。この鱗[うろこ]を、ペーリ パリポリ、ペーリパリポリ(鯛[たい]の鱗[うろこ]を取[と]る音[おと])あ!ペーリパリポリ、ペーリ パリポリ・・と。、ペーリパリポリ、ペーリパリポリ、ザクッ。あーっとほら、勢[いきお]いのえぇ腸[はらわた]やな。新[あたら]しいだけあるわい。な、これな。 まてよ。腸[はらわた]もってする芝居[しばい]なんぞなかったかいな。…あるある、忠臣蔵[ちゅうしんぐら]の六段目[ろくだんめ]や。勘平[かんぺい]の腹切[はらき]り。ちよっとあそこ、やったろか!「勘平[かんぺい]、血判[けっぱん]」「血判[けっぱん]、確[たし]かにぃ~」わぁ、えらい血[ち]ぃや。」

    [て]を振[ふ]りますというと、横手[よこて]のちょうど釣瓶[つるべ]にポ~ンと手[て]が当[あ]たった。釣瓶[つるべ]はもんどりうって井戸[いど]の中[なか]へキリキリキリキリキリ。これ見[み]るなり何[なに]を思[おも]いよったか魚喜[うおき]、井戸側[いどがわ]へ片足[かたあし][か]けて……

    魚喜[うおき]「あら、怪[あや]しやー!」

    丁稚[でっち]が走[はし]って来[き]よって。

    定吉[さだきち]「訝[いぶか]しやなぁー」
    魚喜[うおき]「このところに水気流々[すいきりゅうりゅう]と現[あら]れたるは」
    定吉[さだきち]「旦那[だんな]さんの褌[ふんどし]が落[お]ちたんやろか。」
    魚喜[うおき]「それともお清[きよ]どんの腰巻[こしまき]がはまったんやろか。」
    定吉[さだきち]「いずれにもせよ」
    魚喜[うおき]「不思議[ふしぎ]なきざしが」
    二人[ふたり]「見[み]えるがなあ。」
    [だん]さん「何[なに]を言[い]うとんねん。もう、どうにもならんな。魚喜[うおき]そんな所[ところ]で芝居[しばい]している場合[ばあい]やないぞ。表[おもて]に荷[に][お]きっぱなしやろ。赤犬[あかいぬ]が出[で]て来[き]てハマチくわえて逃[に]げてったぞ。」
    魚喜[うおき]「ゲゲこりゃなんと、ハマチの一竿[いちかん]を!」
    [だん]さん「まだ芝居[しばい]してんのかいな・・早[はや]くいかんかいな。」
    魚喜[うおき]「遠[とお]くは行[い]くまい、後[あと]、追[お]っついて、おお、そうじゃ」
    定吉[さだきち]「どうれ、この定吉[さだきち]も」
    [だん]さん「これ定吉[さだきち]、いずれへ参[まい]る」
    定吉[さだきち]「はて、知[お]れたこと魚喜[うおき]一人[ひとり]で心[こころ]もとなし。この定吉[さだきち]も後[あと]より行[い]って加勢[かせい]せんため。」
    [だん]さん「そちが行[い]くこと、まだらまだらと待[ま]っていようや。」
    定吉[さだきち]「じゃと申[もう]して。」
    [だん]さん「血気[けっき]にはやるは猪武者[いのししむしゃ]。待[ま]てと申[もう]さば、これ、待[ま]ちおらぬか。」
    定吉[さだきち]「うーん、行[い]くにも行[い]けぬか。命[いのち]みょうがな赤犬[あかいぬ]め。プー。」
    [だん]さん「屁[へ]こくやつがあるかいな。さあ、もう芝居[しばい]の真似[まね]は終[おわ]り終[おわ]り。ちょっとな、蛸[たこ]を酢蛸[すだこ]にするよって。酢[す]がない。酢[す]を買[こ]うてきて。」
    定吉[さだきち]「へーい。」