蛸芝居[たこしばい] (6)蛸[たこ]とやりあう場面[ばめん]

台本[だいほん]

    説明[せつめい]丁稚[でっち]は酢[す]を買[か]いに行[い]きます。旦那[だんな]は隣[となり]の部屋[へや]で一服[いっぷく][す]いつけとう。辺[あたり]りがシーンと致[いた]します。と、この様子[ようす]を聞[き]いておりましたのが、すり鉢[ばち]の中[なか]の蛸[たこ]。こっからが、この話[はなし]の不思議[ふしぎ]なところです。付[つ]いて来[き]ていただきたいのでございますが。この蛸[たこ]が、ものを言[い]うわけでございます。

    [たこ]「何[なに]?わしを酢蛸[すだこ]にする?旨[うま]いお方[かた]じゃ蛸[たこ]などあがれ…あがられてたまるかい。誰[だれ]もおらんな。よし、いまの間[ま]に逃[に]げてごましたれ。」

    [だん]さん[たこ]め、ぼちぼちすり鉢[ばち][も]ち上[あ]げだしよった。
    説明[せつめい][たこ]の見得[みえ]というやつでございますな。
    八本[はっぽん]ありますうちの二本[にほん]を前[まえ]でこうくくりまして、丸絎[まるぐけ]の帯[おび]というかたち。
    連木[れんげ]、すりこぎを持[も]って参[まい]りまして、これをポーンと差[さ]しまして、一本刀[いっぽんがたな]の代[か]わり。
    ププププフ、身体[からだ]に墨[すみ]を吹[ふ]きかけまして、これが黒四天[くろよてん]の装束[しょうぞく]でございます。
    布巾[ふっきん]を持[も]って参[まい]りまして、これでホウカムリ。
    出刃包丁[でばぼうちょう]で、壁[かべ]の軟[やわ]らかい所[ところ]をぼちぼちこじ開[あ]けにかかっとる。

    [だん]さん「うちはほんまにやかましい家[いえ]やな、ほんまに。えー・・ちょっと生臭[なまぐさ]い物[もの][お]いといたらすぐにも、猫[ねこ]が出[で]てくんのんやでー。誰[だれ]ぞおらんか、ちょっと、誰[だれ]ぞおらんか。猫[ねこ]がおるみたいやで。誰[だれ]もおらんのかい。しゃーないな。わしが行[い]かんと。あーあほんまに、どうにもならんな。猫[ねこ]やと思[おも]ったら、蛸[たこ]や。うちは妙[みょう]な家[いえ]やなー。皆[みな]が芝居好[しばいず]きやと思[おも]たら、買[こ]うた蛸[たこ]まで芝居[しばい]してんねん。高[たか]い銭[ぜに][だ]して買[こ]うたんや、逃[に]げられてたまるかいな。」
    説明[せつめい]旦那[だんな]も後[うし]ろから行[い]きましてね、すりばちですっと伏[ふ]せたらそれで良[よ]かったのでございますが、根[ね]が芝居好[しばいず]きでございますからね、そーっと寄[よ]って行[い]きまして、連木[れんげ]の小尻[こじり]

    [だん]さん「ぃやー!」

    説明[せつめい][すみ]を吹[ふ]いたもんでございますから、辺[あた]り一面[いちめん]が真[ま]っ暗[くら]け。芝居[しばい]でいう暗転[あんてん]になりまして、ここから、蛸[たこ]と旦那[だんな]の暗闇[くらやみ]での探[さぐ]り合[あ]い、だんまりという形[かたち]になります。だんな……たこ……蛸[たこ]の肩[かた]を……どこが肩[かた]やらわかりませんけど。
    [だん]さん「ぃやー!」
    [たこ]「ふんー!」
    [だん]さん「ぃやー!」
    [たこ]「ふんー!口[くち]ほどにもない、もろいやつめ。いまの間[ま]にちょっとも早[はや]よぉ明石[あかし]が浦[うら]へ。おぉ、そぉじゃ~ッ」♪

    説明[せつめい][たこ]の六方[ろっぽう]というやつでございます。疲[つか]れる落語[らくご]なんでございます。

    定吉[さだきち]「旦[だん]さん、酢[す]ぅ買[こ]ぉて来[き]ましたで。旦[だん]さん、酢[す]ぅ買[こ]ぉてきました……、あ、誰[だれ]もおれへんで…、ああ、あんなとこで旦[だん]さん倒[たお]れてはるで。旦[だん]さん、旦[だん]さん、お旦那様[だんなさま]いのぉー。」
    [だん]さん定「さ、定吉[さだきち]か?遅[おそ]かった遅[おそ]かったぁ、もう、一足[ひとあし]はやかりせば、かく闇々[やみやみ]と討[う]たれまいものを無念[むねん]、残念[ざんねん]、くくくっ口惜[くちお]しー」
    定吉[さだきち]「何[なに][い]うてますねん。いつまで芝居[しばい]してますねや。どないしましたんや。」
    [だん]さん「ああ、定吉[さだきち]、黒豆[くろまめ]三粒[みつぶ][も]って来[き]て。」
    定吉[さだきち]「どないしましてん。」
    [だん]さん「蛸[たこ]に当[あ]てられたんや。」