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竹内久一と石川光明 - 明治の彫刻展

展覧会概要

竹内久一作「伎芸天」修復工程報告

修復工程
左肩後部
腰部分

竹内久一について
竹内久一略歴

主な出展作品
伎芸天
神武天皇
韋駄天
久米舞


石川光明について
石川光明略歴

主な出展作品
牧童
鹿
豊臣秀吉像
寿老人


出展作品目録
出展作品目録
竹内久一 (たけのうちひさかず) 号 久遠



※本展では「久一」のよみとして当時の通称やシカゴ万博でのよみである「きゅういち」を採用しています。
安政 4年(1857)
浅草舎中天王門前山川町に生まれる。
明治 2年(1867)
堀内龍仙に象牙彫刻を学ぶ。翌年師の死去により、川本州楽に弟子入り、象牙彫刻を学ぶ。
明治11年(1878)
師より川州の号を与えられ、象牙彫刻開業。
明治13年(1880)
観古美術会で奈良興福寺の古像に感動し、象牙彫刻を廃し、木彫刻を目指して奈良に遊学する。
明治14年(1881)
第二回内国勧業博覧会に象牙彫像を出品、褒賞受賞。
明治18年(1885)
奈良博覧会に板仏外一種出品、二等銀牌受賞。
明治19年(1886)
奈良博覧会に木材彫像出品、二等銀牌受賞。
明治21年(1888)
東京美術学校雇。
明治23年(1890)
第三回内国勧業博覧会に木彫神武天皇御像出品、妙技二等賞受賞。
明治24年(1891)
東京美術学校教授。帝国博物館彫刻模造事業に従事(〜25年)。
明治27年(1894)
日蓮上人銅像木型主任に任命。
明治33年(1900)
大阪府、滋賀県、広島県下社寺の宝物修繕事業監督。
明治35年(1902)
彫刻科木彫教室担任兼図按科造型教室担任。 第五回内国勧業博覧会の水族館前設置の噴水塑像制作監督。
明治38年(1905)
岡田良平依嘱の戦捷記念聖観音銅像原型制作擔任。
明治39年(1906)
帝室技芸員に任命。
明治40年(1907)
東京勧業博覧会審査官。
明治42年(1909)
東京美術工芸展覧会審査員。古社寺保存会委員。
明治43年(1910)
イタリア万国博覧会美術品出品鑑査委員。
大正 2年(1913)
東京美術学校彫刻科牙彫部担任兼務。
大正 3年(1914)
東京大正博覧会審査官。
大正 5年(1916)
東京美術学校在官中死去。