芸大Topへ藝大通信Topへ

タイムカプセルに乗った芸大

タイムカプセルtop音楽1900年代へ
次の10年へ

美術 東京美術学校1903年秋
「第一回美術祭」の熱気と混沌

西洋画陳列場。中央上段の像はラファエロ(モザイク製)

活人蒔絵 漆工科会員

彫刻科研究生によってつくられた本館前の美神像
3点とも東京美術学校校友会編『美術祭記念帖』(東京芸術大学附属図書館所蔵)より
 今でも毎年9月に芸術祭が開かれているが、そのルーツというならこの第1回美術祭だろう。東京美術学校の創立15周年を記念したこの美術祭は、学生も教官も参加した全校あげてのお祭りだった。たった1日(11月3日)のお祭りに3万人以上の入場者、侯爵やら前文相まで来たらしいから、今の大型企画展もマッ青だ。凝った校内装飾とモニュメント、朝から晩まで26も組まれた学生の余興、菓子屋から酒屋・西洋料理店、板谷波山の記念楽焼店まで並んだ出店。さらに悲母観音など重文クラスの作品までズラリと並べた遺蹟展覧会、帰国したばかりの河口慧海のチベットコレクションを引っぱり出した西蔵品展覧会、等々。この狭い校内でどうやってやったのか、どこからそんなお金が出たのか不思議なくらい、ノリノリのハジケっぷりだ。

 学生の余興は、学科やクラブごとの仮装行列と寸劇が中心だった。凱旋行列(日本画)、天象行列(西洋画)、参内行列(彫刻)、神代行列(鋳金)、江戸の花(漆工)、地獄の宿替(図案)、巴里美術学生行列(仏語)、フロレンス行列(英語)、羅馬の武士(柔道・撃剣)など、練りに練った余興が続き、最後は学生・教員なかよく全校行列している。また各学科は祭壇を作り、それぞれの祭神をまつった。祭神は、日本画科が狩野芳崖、西洋画・ラファエロ、彫刻・野見宿禰、図案・尾形光琳、彫金・後藤祐乗、鍛金・石凝姥命、漆工・本阿弥光悦。今ではよくわからないものもあるが、当時をしのばせてどれも面白い。そして各祭神の作品やその関連資料を展示したのが遺蹟展覧会で、110件以上が校内の3室に展示された。学内所蔵品だけでなく、借用先には名だたる名士の名前が並んでいるのに驚く。学生、教官、祭神、名士、見学庶民と、人の上下も過去・現在も問わないまさにお祭りだ。お祭りとは本来こうしたものかもしれない。また校内の木々には、それぞれひねった名前がつけられた。「考え杉」「眉に椿」「ひまっ柿」「馬鹿馬鹿椎」「有難くも梨」「やり栗」「来賓を松」「気を紅葉」「思いの竹」、叢にも「此辺お笑ひ草多し」など、若々しいオヤジギャグの連発だ。教官がつけたのなら、よほど頭が柔らかい。

 今からちょうど1世紀前、前年には日英同盟の締結、次の年は日露戦争があった年のことだ。しかし高揚する時代の気分を反映しつつも、キナ臭さはここにない。むしろ草創期の熱気が燃え立っている。5年前の美校騒動も、草創期らしい熱気のぶつかり合いだったが、モメても結構サッパリしているのが、この学校の気風らしい。第1回美術祭と銘うって次がなかったのも、何となくここらしくて悪くない。ノッたら強い芸術家たちの学校だ。21世紀を迎え、大学も大きな転換期にさしかかった今、どんな新世紀の草創期になるのか期待しながら、ここまで来た道をたどってみることにしたい。

(さとう・どうしん/美術学部芸術学科助教授)


次の10年へ
タイムカプセルtop音楽1900年代へ