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美術 東京芸術大学美術学部1970年
学内景観の一変相次ぐ改築

美術学部全景(2001年)

美術学部構内
@美術学部絵画棟
A 〃彫刻棟
B 〃金工棟
C 〃工芸・デザイン・建築棟
D 〃中央棟
E附属図書館
F旧芸術資料館
G陳列館
H正木記念館
I大学美術館
J第1守衛所
(『2003年度東京芸術大学概要』より)
 さてこの第8回は、1971年から始まる10年の号である。この1970年代は、旧校舎の相次ぐ改築で、学内景観が一変した時期だった。ただ、そのポイントは1970年に始まったため、そこから話を始めることにしたい。

 1970年2月、美術学部内の北西端に、地上8階だての高層棟が突然現われた。油画と日本画が入った絵画棟(@)である。まだ木造校舎ものこっていた校内の風景は、どこからでも見えるこの建物の出現で、大きく変わった。いまでもこの絵画棟は、上野校地の最高峰だ。ただでも周囲より少し高い上野の山にあるから、よけい高い。上層階から見える景色は絶景で、とくに夜景は、高級ホテルのラウンジなみ。いまはやりの夜景がウリの高級マンションでもいけそうだ。でも専門棟だから、見られるのはそこの人だけ。うらやましい。私のいるすぐとなりの4階だての建物は、ここから見るとうずくまっているようで、悲しい。

 震災と戦災をまぬがれてきた戦前からの校舎も、戦後になると、さすがに老朽化が目立ちはじめた。1953年から始まった改築計画で、60年代にまず工芸棟(62年、B)と、附属図書館・芸術資料館(65年、EF)が完成。音楽学部の改築も、この頃から始まった。そして70年代に入ると、美術学部の旧校舎の改築がいっせいに始まる。この10年間は、いつもどこかで工事をしている状態だったが、ここで現在にいたる学内景観ができあがったのである。

 絵画棟につづいて、翌71年に彫刻棟(A)、74年に中央棟(D)、79年にデザイン棟(C)が完成。音楽学部内の大学会館(79年)や事務局棟(本部、78年)、奈良の古美術研究施設(72年)、石神井学生寮(75年)なども、すべてこの時期につくられたものだ。いまの中央棟から彫刻棟にかけての場所には、東京美術学校時代からの本館があった。この建物が取り壊されるときには、卒業生の有志による「本館にさよならする会」が開かれた。全国から約1000人におよぶ教官、同窓生が集まったという。その際、せめて玄関だけでも残そうとなって移築されたのが、いま陳列館(G)と正木記念館(H)のあいだにある旧玄関である。

 美術学部の各科の棟は、敷地内をぐるりと取り囲むように配置されている。超高層がブームになった当時、絵画棟のほかの建物も、高層になるかと思われた。が、そうはならなかった。高さ15メートル制限の公園法があったからである。絵画棟の場所は、学校の敷地内ではあったが、公園の外だったらしい。戦後は、大学院の新設による学生数の増加、作品の大型化などで、学内スペースは狭くなる一方だった。それを高層化でクリアできなかったことが、のちの取手校地の開設(91年)につながっていく。

 そして、こうして建てられた建物も30年がたち、いま再び改築の時期を迎えている。大学美術館の新設(99年、I)、総合芸術棟への改築(04年)など、学内景観もまた21世の姿に変わりつつあるのだ。

(さとう・どうしん/美術学部芸術学科助教授)


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