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タイムカプセルに乗った芸大

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美術 東京美術学校1912年
青春の「自画像」――情熱と焦燥

青木繁「自画像」1904年

佐伯祐三「自画像」1923年

小出楢重「自画像」1914年

萬鉄五郎「自画像」1912年
 青春期に人はなぜこんなに悩むのだろう。手をのばしても、つかめない。愛したいのに、愛されない。伝えたいのに、伝えられない。何かをしなくちゃいけないのに、何を、どうすればいいのかわからない。激しいあせりと、もどかしさ。気持ちが強いぶん、拒絶感も強い。はね返そうと、グレてみても、キレてみても、答えは出てこない。でもいちばんわからないのは、じつは自分。自分はいったい、何者なのか……。それを求めて、もがきにもがいた青春。大正期とは、ちょうどそんな時代だった。

 だから大正期は、「自画像」の時代でもあった。岸田劉生(きしだりゅうせい)や中村彝(なかむらつね)、萬鉄五郎(よろずてつごろう)など、自画像の秀作が数多く描かれている。そして本学には、じつは自画像の一大コレクションがある。西洋画科(現在の絵画科油画)が1903年(明治36年)から、卒業制作として自画像を提出させたからである。だれの発案で、なぜ始めたのかは、よくわからないらしい。が、いまでは、だれかの個展のときには、最初期の作品として必ず出品される、貴重なコレクションだ。その中から、図版には1910年代の2点と、その前後の2点をご紹介した。

 黒田清輝(くろだせいき)が教室に入ってくると、プイと出ていってしまった青木繁(あおきしげる)。福田たねとの熱愛、放浪生活の末の早逝。昂然としてギョロリとした目つきの中に、情動と焦燥が見てとれる。萬鉄五郎は、フォービスムで知られる。が、後期印象派風に描かれたこの自画像には、木村荘八が評した「何となく臆したる差し控えた物腰」の方が、ピッタリだ。シャレてすました小出楢重(こいでならしげ)は、独特のマチエールはそのままに、やがて強い生活感を描き出す。俳優のような佐伯祐三は、パリに留学するが、鋭敏さゆえにやがて精神を病む。

 自分を描くことは、こわい。すべてが表われる。内省であれ虚勢であれ、自信であれ不安であれ。でもすぐれた自画像は、すべてをさらけ出すから、共感もよぶ。美術と国家を論じた明治に対して、大正期は、個としての美術を追い求めた時代だった。若い画家たちは、「生」と「自己」と「表現」を論じ、激しく燃焼して生きた。彼らの生涯は、一様に短い。青木28歳、佐伯30歳、萬41歳、小出44歳。美校以外の作家でも、関根正二(せきねしょうじ)20歳、村山槐多(かいた)23歳、中村彝37歳、岸田劉生38歳。そのなかに、恋愛、放浪、貧乏、結核、神経や精神の変調などが、ぎっしりつまっていた。だれもが通る青春。そしてその青春そのままに、1回きりの短い人生を、激しくかけぬけた彼ら。その切ないほどの純粋さが、見る人の心をゆさぶる。じっさい、よくドラマになる貧しく純粋な画学生のイメージには、大正期の作家のイメージがかなりかぶっている。私たちもそこに、ドラマを見たがっているのかもしれない。でもそれはそれで、いいのではないか。それも芸術機能のひとつなのだから。

(さとう・どうしん/美術学部芸術学科助教授)


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