第3章

 画像と文字が持つ伝播力と、新たな芸術としてのモニュメンタリティという、二つの特性を持った版画は、同時代の為政者たちに刺激を与え、彼らは版画や書籍の伝播力を利用して、支配者としての威光を被支配者層に広めようとしました。 その中で最も注目されるのが、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世による大規模な版画・書籍の出版事業です。 マクシミリアン1世は、父フリードリヒ3世を継いで神聖ローマ帝国を継いでから、隣国との婚姻政策によって、ヨーロッパの大半を帝国の領土としました。 彼が展開した出版事業は、現代に通じるメディア戦略で、多くの人の目に触れる版画・書籍を通じて皇帝の威光を喧伝しようとしたのです。

これらの出版事業には多くの学者や芸術家が参加し、皇帝自身も執筆・校閲するなど、この事業に深く関与していました。事業の中心となったのは木版画の制作でした。 それには、今回展示の『白王伝』や『トイヤーダンク』などの木版挿絵入りの伝記書、『凱旋門』(1515年)を始めとする大型木版画があります。 中心的な役割を担った画家としては、デューラーやハンス・ブルクマイア(父、1471−1531年)、レオンハルト・ベック(1480頃−1542年)の名が挙げられます。 これらの計画はあまりに規模が膨大であったため、完成に至ったものは僅かしかありません。 とはいえ、西洋版画史における最大の版画制作事業の一つであったことは間違いありません。

『白王伝』 (Der Weisskunig)

 マクシミリアン1世の生涯を表した木版挿絵入り書籍で、登場人物や出来事がすべて寓意的な表現で叙述されている点が特徴的です。 内容は3部構成で、第1部は父フリードリヒ3世の生涯、第2部はマクシミリアンの誕生と成長の過程が表され、そして第3部では、1477年から1513年にマクシミリアン1世が関わった戦争の場面などが表されています(この章は、皇帝自身が執筆・校訂作業に関わっていました)。 挿絵は全体で251図に及ぶ大著ですが、マクシミリアン存命中に完成されず、実際に刊行されたのは200年以上後の1775年でした。

 『白王伝』の特徴としては、マクシミリアン1世自身が執筆に関わったことがあげられますが、これは、マクシミリアンが古代の皇帝の所業を模倣した、と考えられます。 すなわち、古代ローマのユリウス・カエサルが自ら著した『ガリア戦記』によって後世に伝承されていったことに倣って、マクシミリアン1世も自らの言葉で、自身の偉業を人々の記憶に残そうとしたのです。 『白王伝』はその意味で、マクシミリアンが後継者に残そうとした理念が凝縮されている、といえます。

《おもな登場人物》
若き白王→マクシミリアン1世
老白王→フリードリヒ3世(マクシミリアンの父)
青王→フランス王
白貂(テン)王→ブルターニュ大公
茶色派→フランドル人

**ハンス・ブルクマイア(父)(Hans Burgkmair the Elder, 1471−1531年)
ドイツの画家、木版下絵素描家。アウクスブルク生まれ。 彼の活動として特筆されるのは、一連の木版画制作で、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の出版事業のほとんどに指導的な立場として参加している。 本展展示の『白王伝』や『トイヤーダンク』だけでなく、デューラーらとともに『凱旋門』『凱旋行進』制作にも携わった。

**レオンハルト・ベック(Leonhard Beck, 1480頃−1542年)
アウクスブルク生まれ。ブルクマイアからの影響を強く受けており、彼とさまざまな版画制作の事業に関わった。 マクシミリアン1世の出版事業で、『白王伝』や『トイヤーダンク』など、多くの事業に中心人物として参加する一方、『凱旋 門』や『マクシミリアンの時祷書』などの版画分担者として、帝国のための制作活動を行っている。

15-34
ハンス・ブルクマイア(父)/レオンハルト・ベック
『白王伝』連作(全251点中20点)
原作1514−16年頃(版刻1775年) 木版
Hans Burgkmair the Elder; Leonhard Beck Der Weisskunig, c.1514-16 (impression in 1775), Woodcut

15
ハンス・ブルクマイア(父)
《皇帝への書物の献呈》 22.0×19.6cm
Hans Burgkmair the Elder, The Presentation of the Book to the Emperor, 22.0×19.6

全251図におよぶ『白王伝』の木版画の最初に登場するのが本図である。画面右側に群像で表されている廷臣たちの前で、中央でひざまずく禿頭の男から、『白王伝』の献呈が行われている。
 ここに登場するのは、主人公である「若き白王」、すなわちマクシミリアン1世本人ではなく、マクシミリアンの孫カール大公(1500−58年)である。ひざまずく人物は、『白王伝』の制作者であろう(おそらくメルヒオール・プフィンツィンク)。
 ここでは、マクシミリアンの生涯と彼の理念の繁栄された書物を「記憶」として受け継いでゆく場面が、将来起こる情景として描き出されている。(K)

16
レオンハルト・ベック
《王妃をむかえる老白王》22.0×19.5cm
Leonhard Beck, The Old White King Meeting His Bride, 22.0×19.5

ここでは、河岸にいる髭を生やした老白王(フリードリヒ3世)が、ポルトガル女王エレオノーラを妻を出迎える場面である。(K)

17
レオンハルト・ベック
《教皇による王妃の戴冠》22.0×19.5cm
Leonhard Beck, The Coronation of the Queen by the Pope, 22.0×19.5

老白王の婚礼に関わるエピソードで、王妃が教皇から祝福を受けている情景が描かれている。この図は、第一ステートと第2ステートでは、王妃のつける王冠の形が変更されいることが知られている。(K)

18
ハンス・ブルクマイア(父)
《婚礼の場へと導かれる王と王妃》22.0×19.5cm
Hans Burgkmair the Elder, The King and the Queen Being Led to the Bridal Chamber, 22.0×19.5

大きな松明を持つ侍従に導かれ、老白王と王妃が列を成して、大聖堂から、画面右側のアーチのある建物の方へと歩みを進めており、教皇と枢機卿がその後に続いている。(K)

19
レオンハルト・ベック
《若き白王に運命の輪を指し示すメルクリウスとマルス》21.9×19.3cm
Leonhard Beck, Mercury and Mars Indicating the Young White King a Wheel of Fortune, 21.9×19.3

『白王伝』第2部では、若き白王(マクシミリアン)の幼少時代が扱われている。ここに描かれているのは、地面に置かれた、燃やされている運命の車輪を指差している、少年としての若き白王である。小さな運命の車輪を左手に持つ、有翼の帽子と靴を身につけたメルクリウスが、右側には甲冑を着けて弓矢を引くマルスの姿が表されている。この二神は、おそらく守護惑星、すなわち水星、火星を意味していると考えられる。(K)

20
ハンス・ブルクマイア(父)《あらゆる国から崇拝を受ける若き白王と、彼の寛大さ》22.0×19.6cm
Hans Burgkmair the Elder, The Young White King Receiving Honors from All Nation; His Liberality, 22.0×19.6

やや俯瞰の視点から捉えられた地面に、花の冠をつけた若き白王が中央に立ち、彼を取り囲む人々から、様々な贈り物を受け取っている。豪華な品々の贈呈という場面は、マクシミリアン1世に対する諸国の人々の崇敬の念を、象徴的に表すものといえる。画面中央に立つ不動の白王は、彼に向かって動こうとしている周りの人物たちから際立たせられている。(K)

21
ハンス・ブルクマイア(父)
《鉄火国王の埋葬》21.9×19.1cm
Hans Burgkmair the Elder, Funeral of the King of Feuereisen, 21.9×19.1

鉄火国王は、ブルゴーニュ大公のことをさす。1477年のマクシミリアン1世とブルゴーニュ公国の皇女マリー・ド・ブルゴーニュとの結婚は、最終的にはハプスブルク家によるネーデルラント支配へとつながる。埋葬されているのは、マリーの父シャルル突進公(1433−77年)である。棺には、鉄火国王のつけていた王冠がおかれている。松明をもつ葬儀人と、列席する人々の群像によって、斜めに展開する奥行き表現がなされている。(K)

22
レオンハルト・ベック
《茶色派による白王の息子の誘拐》22.0×19.6cm
Leonhard Beck, The Abduction of the White King's Son by the Brown Party, 22.0×19.6

本図以降は『白王伝』の第三部で、1477年から1513年のマクシミリアン1世による戦争のエピソードが中心的に表されている。正面向きの建築物を背景に、中央に背を向けて立つ男が、左手で子供を引き連れている。茶色派とはフランドル人を象徴している。(K)

23
レオンハルト・ベック
《若き白王に降伏する茶色派の一派》22.0×19.5cm
Leonhard Beck, Some of the Brown Party Surrendering to the White King, 22.0×19.5

24
レオンハルト・ベック
《白貂王の娘を連れ去る青王》22.0×19.4cm
Leonhard Beck, The Blue King Abducing the Daughter of the Ermine King, 22.0×19.4

青王はヴァロア朝時代のフランス王、白貂王はブルターニュ大公を指す。画面右側の人物群のなかに、槍を追った女性の姿が見られるが、それが白貂王の娘と思われる。(K)

25
ハンス・ブルクマイア(父)
《老白王に懇願を求める茶色派と白王派》22.0×19.6cm
Hans Burgkmair the Elder, The Brown and White Party Asking mercy from the Old White King, 22.0×19.6

*カタログ紙面にて本作品の制作者を「レオンハルト・ベック」と誤表記しておりました。お詫びして訂正いたします。

26
ハンス・ブルクマイア(父)
《茶色派と白王派に対する古い諸侯の評議会》22.0×19.5cm
Hans Burgkmair the Elder, Council of the Old Duke against the Brown and White Party, 22.0×19.5

画面中央に、甲冑を身につけ、王冠をかぶった君主を中心に、軍装の領主たちがコの字型のベンチにすわり議論をしている情景が表されている。これは、白王派、そして茶色派に対する戦争を協議していると考えられている。(K)

27
ハンス・ブルクマイア(父)《王子の埋葬》 22.0×19.3cm
Hans Burgkmair the Elder, Funeral of a Prince, 22.0×19.3

28
レオンハルト・ベック
《“白王、教皇、スペイン、ハンガリーの同盟”》21.4×19.1cm
Leonhard Beck, The Alliance of the White King, the Pope, Spain and Hungary, 21.4×19.1

幕で囲まれた室内の情景のなかに、王冠と勺を持った4人の君主がコの字型に座り、画面下に、4人の侍従がこちらに背を向けて立っている。
 この図のタイトルは「白王、教皇、スペイン、ハンガリーの同盟」となっているが、内容上は、マクシミリアン1世、アラゴンのフェルディナンド5世、フランスのルイ12世、そしてローマ教皇ユリウス2世、およびいくつかのイタリアの小都市が、対ヴェネツィア共和国に締結した、「カンブレ同盟」(1508年12月10日)の史実に基づくものである。しかし、本図のように、4人の君主が一箇所に集まる情景は現実には起こらないことであり、カンブレの同盟の情景が象徴的に表現されている。(K)

29
ハンス・ブルクマイア(父)
《同盟から離脱する二人の王》22.0×19.4cm
Hans Burgkmair the Elder, Two Kings Leaving the Alliance, 22.0×19.4

カンブレ同盟にもとづき、1509年のアデニャロの戦争で、フランスはヴェネツィアを打ち破ったが、その後のイタリアでの戦争の間に生じた別の同盟によってカンブレ同盟の意義は薄れた。そして1516年にはこの同盟の戦争は終結したことにあわせて、同盟は解消されてしまう。二人の王が部屋の外へと出ようとしている。扉に手をかけている髭をはやした王は、頭の王冠と、上衣の図柄として描かれている二つの王冠の存在から、ローマ教皇であることと推測される。もう一人の王は、ローマ教皇と、ヴェネツィアと「神聖同盟」(1511年)を結んだアラゴン王である。(K)

30
レオンハルト・ベック
《袂を分かつ青王と白王》22.0×19.4cm
Leonhard Beck, The Blue and White King Parting Company, 22.0×19.4

一点透視図法のように構成された室内から、青王(フランス王)は左の扉へと足を向け、白王は右側の扉の取っ手に手をかけて出てゆこうとしている場面。彼らの同盟関係の終了を暗示的に表している。(K)

31
ハンス・ブルクマイア(父)
《白王の戴冠》22.0×19.5cm
Hans Burgkmair the Elder, The Coronation of the a White King, 22.0×19.5

マクシミリアンがドイツ王から神聖ローマ帝国の皇帝に選出されるのは1493年で、この場面はその情景に主題したものと思われる。(K)

32
レオンハルト・ベック
《老白王の墓碑》24.3×19.6cm
Leonhard Beck, The Precious Tomb of the Old White King, 24.3×19.6

老白王フリードリヒ3世の埋葬の場面。画面と平行に配された棺の回りに蝋燭が立てられ、王勺をもった老白王が、身を横たえている。
 この図は、『白王伝』と、マクシミリアン帝が計画したそのほかの木版出版、すなわち1517年に初版が刊行された組み合わせの大型木版画『凱旋門』との関連性が指摘される。マクシミリアン1世が1519年に亡くなった後、その死を悼んで、『凱旋門』版画のうち、24枚の物語画部分の別刷り版が刊行され、1526年には第2版が刊行された。そのなかに、『白王伝』で使われた本図が用いられる。(K)

33
レオンハルト・ベック
《イタリア人指揮官との評議》21.9×19.4cm
Leonhard Beck, A Council with Italian Captains, 21.9×19.4

34
ハンス・ブルクマイア(父)
《街におきた奇跡》22.0×19.5cm
Hans Burgkmair the Elder, 1473-1531 A Miracle in a Town, 22.0×19.5

35
レオンハルト・ベック(版刻:ヨハン・シェーンスペルガー)
《ローマ皇帝と名誉帝国(ブルゴーニュ公シャルル勇胆公と公女マリー)》((メルヒオール・プフィンツィング著『トイヤーダンクの冒険』より)
1517年 15.8×13.8cm 木版 町田市立国際版画美術館
Leonhard Beck, Romreich and Ehrenreich (Charles the Bold and Mary of Burgundy)(from: Melchior Pfintzing, Teuerdank, Ausgburg), 1517, 15.8×13.8, Woodcut, Machida City Museum of Graphic Arts

『トイヤーダンク』の第1章を表した最初の挿絵であり、ローマ皇帝が娘の名誉ある皇女に対して、真剣に結婚を勧める場面が描かれている。この物語は1693年の第9版まで出版されるが、本図はその中でも数少ない初版の例である。(S)

36
メルヒオール・プフィンツィング著
『トイヤーダンクの冒険』版本 1679年 (第8版、ウルム:マテウス・シュルタース) 20.4×31.9cm 雄松堂書店
Melchior Pfintzing
TEUERDANK. Der Aller-Durchleuchtigste Ritter, oder die Rittermu?ssige, hoch-theure, h?chst-gef?hrliche und Glorw?rdigste Gro?-Thaten, Abentheuer, Gl?cks-Wechselungen und Siges-Zeichen de? Aller-Gro?m?chtigsten, Un?berwindlichsten, Dapfersten.. Heldens Maximiliani I. Wie solche ... unter dem Nahmen Theur-Danck, zu offentlichem Druck bef?rdert. Ulm: Wagner f?r M. Schulters, 1679 20.4×31.9, BOOKS-YUSHODO

本書は1679年の第8版である。初版との最大の違いは、テキストの書体とレイアウトで、初版のものは一段組みだが、本作では二段組でレイアウトされている。この根本的な変更は、1554年の第4版で行われた。(K)

『トイヤーダンク』は、マクシミリアン1世の生前に完成したもので、マクシミリアン1世が1477年に、ブルゴーニュ公女マリーに求婚するエピソードを寓意的 に脚色した物語です。 そのタイポグラフィーと木版挿絵の美しさは、マクシミリアンの出版プロジェクトの中でも随一のものです。 Nr.35は1517年の初刷りで、Nr.36は100年以上後の第8版の版本です。

37
レオンハルト・ベック(版刻:不明)
《聖ヘドヴィヒ》(『皇帝マクシミリアン一世係累聖人図集』より第46図)
1516−18年  23.4×21.0cm 木版 町田市立国際版画美術館
Leonhard Beck, St.Hedwig (Saints Connected with the House of Hapsburg: A General Account of the Ancestry of Emperor Maximilian I, nr. 46), 1516-18, 23.4×21.0, Woodcut, Machida City Museum of Graphic Arts

38
レオンハルト・ベック(版刻:ヴォルフガング・レッシュ)
《聖ヨドクス》(『皇帝マクシミリアン一世係累聖人図集』より第56図) 1517年 23.4×21.1cm 木版 町田市立国際版画美術館
Leonhard Beck, / Wolfgang Resch, St.Jodocus (Saints Connected with the House of Hapsburg: A General Account of the Ancestry of Emperor Maximilian I, nr.56), 1517, 23.4×21.1, Woodcut, Machida City Museum of Graphic Arts

この版画連作は、『白王伝』などと同様、マクシミリアン帝の指示により制作されたもので、ハプスブルク家と関連のある歴史的な人物像の木版連作である。人文主義者コンラート・ポイティンガーの指定によって、レオンハルト・ベックの下図によって下図が制作された。
 カタログ37番は、12世紀後半から13世紀の聖女、シレジアの聖ヘドヴィヒである。シレジアのヘンリー1世と結婚した後、ブレスラウやトレプニッツなどの病院で救済活動を行った。
 カタログ38番は、7世紀のブルターニュの王であった聖ヨドクスで、636年頃にローマへの巡礼の後に王位を棄てて、後に叙階された。ここではヨドクスは、巡礼用の杖を左手に持ち、巡礼用の靴を履いた巡礼者として描かれている。(K)

〔解説〕
熊澤:(K) 佐藤:(S)