第4章

 デューラーによる版画の革新とマクシミリアン1世の出版事業によってドイツ版画は最盛期を迎えます。 その後、16世紀初頭から始まる宗教改革運動の中で、宗教改革者たちの著作が大量に刊行され、木版画に数多くの宗教主題が扱われるようになりました。

 銅版画の分野では、デューラーの「三大銅版画」や、『銅版画受難伝』連作などは、後に続く銅版画家たちに強い影響を与えました。 ドイツにおける追随者として、ベーハム兄弟(兄1500−50年、弟1502−40年)やゲオルク・ペンツ(1500−50年)などの「クライン・マイスター」(小画面の画家)と呼ばれる芸術家たちもいました。 注目されるのは、同時代のネーデルラントで活躍したルーカス・ファン・レイデン(1494−1533年)の銅版画です。 彼のエングレーヴィングが見せる繊細な筆致は、デューラーのそれに匹敵する技量を示しており、ルーカスの版画は16世紀のエングレーヴィングの中で重要な位置を占めているのです。

**マティアス・ゲールング(Matthias Gerung , 1500頃−68/70年) バイエルン地方のネルトリンゲン生まれ。詳細は不明だが、1525年以降、ラウイ ンゲンで活動。新教を信奉していた同地のプファルツ=ノイブルク公爵オットハ インリヒ(1502−59年)の庇護を受ける。この君主の亡命後は、新教・旧教両陣 営のために制作活動を行った。

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マティアス・ゲールンク《力強い天使》(『黙示録注解』連作より)
1546年 23.0×16.0cm 木版 町田市立国際版画美術館
Mathias Gerung, The strong Angel, 1546, 23.0×16.0, Woodcut, Machida City Museum of Graphic Arts

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マティアス・ゲールンク《力強い天使としてのプロテスタントの説教師》(『黙示録注解』連作より)
1544−58年 23.2×15.9cm 木版 町田市立国際版画美術館
Mathias Gerung, A protestant Preacher as the strong Angel, 1544-58, 23.2×15.9, Woodcut, Machida City Museum of Graphic Arts

マティアス・ゲールングは、南ドイツのラウインゲンで、美術・工芸制作に携わるほか、同地を領地としていたプファルツ・ノイブルク公爵オットハインリヒ(1502−59年)の庇護を受け、彼のための写本聖書、タペストリー、壁画制作をしたことが知られている。
 この連作の特徴は、黙示録の場面とともに、旧教側を糾弾する諷刺的な場面が、2点1組に組み合わされている点である。
 今回展示の2点では、黙示録10章から取材した、力強い天使から差し出される書物をむさぼるように飲み込む様が、もう一方には、この力強い天使と同じポーズをとる改革派の説教師が、画面右下の旧教側の人々に対して書物を指し示している姿が表されている。(K)

**ハンス・ゼーバルト・ベーハム(Hans Sebald Beham, 1500−50年)
木版、銅版画家。細密画家、初期にはデューラーからの強い影響が見られる。 小サイズの銅版画、木版画を数多く制作しており、弟のバルテル(Barthel Beham,1502−40年)、 ゲオルク・ペンツらとともに「クライン・マイスター」と呼ばれる。 彼の扱った主題は幅広く、エロティックな風俗主題や寓意的、神話主題まで幅広い主題を手がけている。

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ハンス・ゼーバルト・ベーハム《バグパイプ奏者とその恋人》
1520年 11.6×7.2cm エッチング(鉄版) 芸大美術館(版画533)
Hans Sebald Beham, The Bagpipe player and his beloved, 1520, 11.6×7.2, Etching (iron plate), Geidai Museum (inv. Prints 533)

15世紀後半から銅版制作は盛んになるが、酸による金属の腐蝕の技術を応用したエッチングの制作が始まるのは16世紀に入ってからである。本作は鉄板によるエッチングで、この技法に関してハンス・ゼーバルト・ベーハムは、デューラーから影響を受けたと考えられる。本図に登場するバグパイプは性的な内容を暗示しているが、これは当時の民間伝承に深く浸透していた。(K)

**ルーカス・ファン・レイデン(Lucas van Leyden, 1494−1533年)
レイデンに生まれ活躍した画家・版画家。 オランダ人として初めて、生前から版画家としての国際的地位を確立し、制作した版画の総数は200点に及ぶ。 繊細なエングレーヴィングを得意とした。 初期にはデューラーの影響が強かったが、1525年以降はイタリア・ルネサンスの作例を参考にし、独創的な版画を制作す る。 16世紀のエングレーヴィング制作ではデューラーに比肩し得る存在である。

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ルーカス・ファン・レイデン《マグダラのマリアの踊り》
1519年 29.2×39.9cm エングレーヴィング 町田市立国際版画美術館
Lucas van Leyden, The Dance of St. Mary Magdalene, 1519, 29.2×39.9, Engraving, Machida City Museum of Graphic Arts

前景、中景には、豪奢な生活を送る現世のマリアが、後景には、回心後のマリアがそれぞれ描かれている。前景に関して、聖書に直接的な記述はなく、同主題の先行作例も存在しないため、ルーカスは、デューラーなど先達による「愛の庭」や他の宴の場面の作品を参考にした。本図は、1510年代の彼の実験的な試みの成果が表された、大規模な群像表現の一つである。(S)

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作者不詳(原作:ルーカス・ファン・レイデン)《聖小ヤコブ》(?)(『キリスト、パウロと12使徒』より)
制作年不詳(原作:1510年頃) 11.3×7.0cm エングレーヴィング 芸大美術館(版画91)
Anonymous after Lucas van Leyden, St. James Minor (?) (from "Christ and the Apostles"), Dates unknown (original: c.1510), 11.3×7.0, Engraving, Geidai Museum (inv. Prints 91)"

ルーカスの原画の反転コピー。バルチュ、ホルシュタイン等多くの研究者はこの使徒をユダ(タダイ)としているが、連作における他の使徒像の持物、先行図像との関連から、ヤコブヴィッツが指摘するように、小ヤコブと見るのが妥当である。使徒の持物である縮絨棒は毛織物の仕上げに用いられる道具で、本図のように、長い柄で先端がこぶのように丸い特徴的な棒として描かれるのが通例であった。(S)

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作者不詳(原画:ルーカス・ファン・レイデン)《聖ヨハネ》(『キリスト、パウロと12使徒』より)
制作年不詳(原作:1510年頃) 11.6×7.2cm エングレーヴィング 芸大美術館(版画92)
Anonymous after Lucas van Leyden, St. John (from "Christ and the Apostles"), Dates unknown (original: c.1510), 11.6×7.2, Engraving, Geidai Museum (inv. Prints 92)"

《聖小ヤコブ》と同様、ルーカスの原画の反転コピー。福音書記者ヨハネは蛇の入った聖杯を持物とするが、ここでは中世美術に倣い、蛇の代わりに龍が描かれている。大きめの光輪を備え、コントラポストの姿勢をとる使徒は、彫塑的なドレーパリーの効果も加わって、全体的に重く静的な印象を与えている。(S)

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メルキオール・タヴェルニエ
《聖ペテロ》 17世紀前半 20.7×16.0cm 木版、キアロスクーロ多色刷
Melchior Tavernier, St. Peter, Early 17th century, 20.7×16.0, Chiaroscuro Woodcut(inv. Prints 92)"

**レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt Harmensz. van Rijn 1606−69年)
レイデン生まれ。歴史画家ラストマンに師事。 1631年頃にアムステルダムに拠点を移し、卓越した描写力によって肖像画家・歴史画家としての地位を確立、単身 肖像画をはじめ、《夜警》などの集団肖像画、大規模な歴史画に傑作が多い。 版画の分野でも時代を代表する存在で、300点近いエッチングにおいて、繊細な描線で自在に表現できる媒体の可能性を追求すると同時に、ドライポイントを効果的 に用いるなど実験的な姿勢を取り続けた。

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レンブラント・ファン・レイン
《東洋人の頭部(第2作)》 1635年頃 15.2×12.6cm エッチング
Rembrandt Harmensz. van Rijn, The Second Oriental Head, c.1635, 15.2×12.6, Etching

レンブラントは様々な主題をエッチングに表現しているが、初期の版画は、人物の頭部を描いた小サイズの作品(トローニーtronieと呼ばれる)が多く作られている。本作は、彼が1635年頃に連作として制作した『東洋人』(B.286-289)の一つで、レンブラントがレイデンで活躍したときの同輩の画家ヤン・リーフェンス(Jan Lievens, 1607−74年)が制作した、エッチング連作(1631年)が出発点となっている。
 これまでの多くの研究では、レンブラントがリーフェンスの手本を、弟子に模写させ、仕上げにレンブラントが修正を加えた(画中の署名にある「修正した」の言葉から"geretuckeert")、と考えられていた。しかし、本作においては、レンブラントのより創意に満ちたヴァリエーションを見ることができる。この作品が制作された1635年頃は、レンブラントとリーフェンスはともにレイデンを離れて別々に活動をしていたが、レンブラントはリーフェンスの版画を所有するなど、かつての同輩を高く評価していた。リーフェンスの先例を出発点にしながら、空間表現、明暗描写などの点で、より優れた作品を示すことが、レンブラントの狙いであったといえるだろう。

〔解説〕
熊澤:(K) 佐藤:(S)