リサーチ活動

Ⅲ.インタビュー集

2.英国王立音楽大学を訪ねて ―コリン・ローソン学長他へのインタビュー

遠藤 衣穂

  • 日時:2010年2月24日
  • 於:Royal College of Music

コリン・ローソン

コリン・ローソン Colin Lawson
2005年より英国王立音楽大学学長。クラリネット奏者。オックスフォード大学で音楽を専攻、18世紀のクラリネットに関する研究でバーミンガム大学より修士号を取得。アバディーン大学、シェフィールド大学、ロンドン大学で教鞭をとり、テムズ・バレー大学では副学長および芸術学部長を歴任。古楽のクラリネット奏者として国際的に活躍し、数々のレコーディングを行う。
The Cambridge Companion to the Orchestra(2003)やCambridge Handbooks to the Historical Performance of Music(1999-2003)の監修、Cambridge Handbook to Mozart’s Clarinet Concerto(1996)、The Cambridge History of Musical Performance(2012)など数多くの著作がある。

音楽研究科リサーチセンターでは、2008年度よりヨーロッパにおける音楽実技系博士課程についての調査を開始した。その過程において、英国王立音楽大学 Royal College of Music(以下RCM)にはいくつか興味深い特色があることが判明した。そこで実際に大学を訪問し、博士課程のプログラムについてコリン・ローソン学長、ケヴィン・ポーター Kevin Porter学長補佐、リチャード・ラングハム・スミス Richard Langham Smith音楽研究科長1にインタビューを行った2

学位授与について
遠藤(以下E):
 これまでに博士学位を授与されたのは何名ですか。図書館のOPACで検索すると2002~2008年の間に9本の博士論文が見つかりましたが、他にもありますか?
ポーター氏(以下P):
 本学では、1996年頃より博士課程DMus(Doctor of Music)の運営を始めました。学位授与権は1884年より与えられていたのですが、実際に博士課程の構想を立て始めたのは1990年代なのです。ですから学位授与者数はまだ少ないのですが、ここ数年、博士課程の学生数が増えており、現在は32名ほど在籍しています。
E:
 その中には音楽学専攻の学生もいますか。それとも作曲科と演奏科だけの数ですか。
K:
 すべの領域を含みます。
E:
 図書館OPACの情報では、最初のDMus論文が提出されたのは2002年で、それ以降は年に1~2名の割合で学位が授与されているようですね。
ローソン先生(以下L):
 大体それくらいの数だと思います。学位を授与する権限はあるのに、長い間それを使わなかったのです。
E:
 博士号の授与が実際に始まったのは比較的最近のことなのですね。
L:
 はい、そのとおりです。
学位審査の方法について
E:
 博士の学位審査において、作品や実技の演奏時間を論文の語数に換算し、論文本体の語数との合計が10万語となるように規定していますね3。なぜこのような方式をとるのですか?
L:
 現在、本学にはさまざまなタイプの学生がおり、一人一人が異なる目的を持って勉強していますので、それに応じて多くの選択肢を用意しているのです。
E:
 演奏は30分単位で3時間半まで、作曲は15分単位で1時間45分まで、合計7つの区分を設けておられますね。このような審査の規定は、RCMに特有のものなのでしょうか?
L:
 おそらく、細やかな時間区分を設けている点は珍しいと思います。基本原則として、このような考え方は他大学にもあります。少なくとも2つの大学がこの方式を採用していると思いますが、これほど細かく区分してはいないと思います。
P:
 時間区分が細やかなのが本学の特徴だと思います。
新たな博士課程プログラムの設置4
P:
 現在、博士課程にはDMusのプログラムしかありませんが、将来的にDMA (Doctor of Musical Arts)とPhD (Doctor of Philosophy)のプログラムを展開する予定です。おそらく、実践に重点をおく学生はDMAを、演奏よりも研究に重点をおく学生はPhDを選べるようになると思います。
L:
 今、適切な学位名称を検討しているところです。
P:
 本学は、英国の音楽院のなかで唯一、博士号の学位授与権を持っています。他の音楽院にも博士課程はありますが、学位授与権はないため、総合大学と強い連携を結ぶことにより学位を授与しています。本学の学位授与権は、勅許状 Royal Charter5により認められています。最近、勅許状の内容が変わりました。以前は新しい学位を設置する際にはエリザベス女王の承認が必要でしたが、今年から自由に学位を設置できるようになりましたので、新たにDMAとPhDを開設しようとしているのです。
L:
 これは私達にとって重要なステップです。新しい学位を設置するにあたり、従来の実践と研究の比重に関する細やかな区分を維持したうえで、異なるタイプの博士プムグラムを設置しようと考えているのです。DMAは今や世界中でポピュラーな学位なので、本学にふさわしい学位を選ぶ必要があると考えています。
P:
 現在の7つの時間区分6を大きく3つに分けて、DMus、DMA、PhDにそれぞれ当てはめて行く予定です。
E:
 作曲と演奏におけるPhDとDMAの違いはどこにありますか?
スミス先生(以下S):
 大学によってさまざまなヴァリエーションがあるので、一概に言うのはとても難しいのですが、一般にPhDには専門性の高い研究論文が求められるので威信があり、より貴重なものだと考えられています。DMAの一般的なパターンは、演奏と論文の比重が半々で、論文はそれほど長くなく質の高いものでもありません。私はDMAの導入には反対しています。アメリカの大学の外部審査員を引き受け、DMAの論文をたくさん読んだのですが、そのレベルの低さに落胆した経験があるからです。
E:
 最近になって学位を授与するようになった理由や学位の種類を増やそうとしておられる理由についてなのですが、ボローニャ・プロセスと何か関係はあるのですか?
L:
 そもそも英国の大学は学部・修士課程・博士課程の3段階システムを以前から導入しています。ボローニャ・プロセスは、EU諸国が英国の教育制度に追いつくためのものなので、私達としてはとくに何も変える必要はありませんでした。でも、英国も決して無関係なわけではありません。
論文指導体制について
E:
 学生1名に対して、何名の指導教員がおられますか?
L:
 通常3名です。演奏家、音楽学者、それに他大学の教員が1名加わります。3名のうち1名は、学生の研究分野の専門家でなければなりません。
E:
 論文指導はどのように行っておられますか?
S:
 博士課程1年次は、毎週月曜日の17~19時に開催される大学院のセミナー DMus seminars に参加し、担当のイングリッド・ピアソン先生や私自身の他、学長のローソン先生をはじめとする複数の教員による講義を受けます。年度末には受講生全員が研究の中間発表を行います。また、ロンドン大学音楽研究所(IMR)のセミナーにも参加し、さまざまな研究のスキルを磨きます7。ここでは、幅広い分野の専門家から直接学ぶ機会が設けられています。2年次より指導教員と1対1の論文指導を行います。
E:
 博士論文の研究テーマと実技の間に関連性は持たせていますか?
L:
 研究と実践を結びつけるように努力しておりますし、学生にもそのように勧めています。実際に多くの学生が論文と実践をリンクしています。
P:
 新たに設置する博士課程プログラムでは、それをさらに期待しています。
E:
 RCMの博士論文をぜひ読んでみたいと思うのですが、ウェブ上で購入できますか?
P:
 録音や録画を収めたCDやDVDなどの附録を参照しつつ博士論文を読まなければ意味がないので、アメリカのProQuestのような学位論文の複製販売は行っていません8
L:
 過去の博士論文は、本学の図書館に保管されています。論文を見るためには、図書館を直接訪れる必要があります。
学生数および博士課程で学ぶ意義について
E:
 入学定員は設けていますか?
P:
 日本の大学のように決められた入学定員というものはなく、在校生の数により翌年度の入学者数が決められます。パートタイムの学生は、通常のフルタイムの学生より長い期間にわたり在籍するので、その年度により在校生の数が異なるからです。例年の入学生数は、学部が約100名、修士課程が約100名、博士課程が3~4名です。現在、大学院の在校生は、修士課程が約150名、博士課程が約30名です。全校生徒は約600名で、その約40%は留学生です9。日本人学生は、現在約30名在籍しています。
E:
 最後に、音楽家が博士課程で学ぶことの意義はどこにあるとお考えですか?
S:
 よい演奏ができるだけでなく、高いアカデミック・スキルをもつ音楽家は、それがない場合に比べ、より長い期間雇用されると思います。ただ、不景気に伴い教育のための財政支援が今年だけで91億5千万ポンドも削減されました。心配なのは、芸術分野が最初に被害をこうむる可能性があるということです。でも大事なのは、なぜ芸術が重要なのかという議論を学生達に教えることです。人生には測定できないものがあります。たとえば、演奏家であることは、ソーシャル・スキルを磨き、さまざまな見解に対する順応性を高めるのに役立ちます。健康にも良いし、精神的にも良い。生涯を通じて興味を注ぐことができるのですから。さもなければ、退職後に何もすることがなくなってしまいます。音楽は常にあなたとともにあります。これはとても大事なことだと思います。
E:
 本当にそうですね。本日は、貴重なお時間を頂き、誠にありがとうございました。

* * *

インタビューの後、秘書の方にコンサートホールや劇場、録音室など大学内の施設を案内して頂いた。また図書館長のパメラ・トンプソン氏が貴重な所蔵コレクションの中からハイドン、モーツァルト、ショパン、シューベルトの自筆譜とベートーヴェンの自筆書簡を見せてくださった。楽器博物館では、学芸員のジェニー・ネクス氏が歴史的な楽器のコレクションについて実演を交えつつ丁寧に解説をしてくださった10

訪問後の感想

今回の訪問調査により、英国の音楽大学が芸術系博士課程のより良いあり方を今なお模索していることがわかった。指導教授陣の中に他大学教員を1名、専門家を1名必ず入れるという指導体制は、英国の他の大学にも広く採用されている。大学の枠を超えた指導体制により、少数精鋭の優秀な学生を大切に育てていこうとする考え方は、今後の日本における芸術系博士課程のあり方を再考するうえで大いに参考になるのではないだろうか。各大学がその伝統と独自性を守りつつ互いへの協力を惜しまないという、緩やかでしなやかな大学間の連携が印象に残った。

資料1.訪問時の写真
楽器博物館 コンサートホール
楽器博物館 コンサートホール 15世紀ドイツの
チェンバロのレプリカを
演奏するネクス氏
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  • 1:音楽学者。主にドビュッシーに関する著書や校訂譜を出版している。
  • 2:RCMは、英国の中でも長い歴史をもつ高等音楽教育機関のひとつである。1882年に当時の皇太子(後のエドワード7世)により設立されて以来、王室と深い関係にある。現在は、エリザベス女王がパトロンを、チャールズ皇太子が名誉総裁を務めている。
  • 3:演奏は30分を1万語に、作品は30分を2万語に換算する。
  • 4:RCMの公式ウェブサイト[http://www.rcm.ac.uk/]でフォロー・アップ調査を行ったところ、2012年8月末現在、博士課程にはDMusとPhDの2つのプログラムがあり、これまでに15名がDMus、1名がPhDを授与されている。
  • 5:国王の名のもとに出される憲章。
  • 6:演奏は30分刻みで30分~3時間半、作曲は15分刻みで15分~1時間45分。
  • 7:詳しくは、別項「海外における新たな取り組み」を参照。
  • 8:アメリカの学位論文は、PDF形式のデータやマイクロフィルム、紙媒体で販売されている。
  • 9:2012年8月末現在、64カ国から約750名の学生が学んでいる。
  • 10:RCMには歴史的・科学的な視点から演奏研究を支援する研究所がある。2004年に設立された演奏歴史センター Centre for Performance Historyは、楽器博物館所蔵の約800点の歴史的楽器コレクションや約400点の美術作品など、貴重な一次史料を保有している。また、2000年設立の演奏科学センター Centre for Performance Scienceでは、音楽家と科学者が共同で行う研究と教育を推進しており、主に1)演奏の心理学と生理学、2)音楽家の心身の健康、3)音楽の発達・教育・専門技能に関する研究を行っている。この研究所は、ケンブリッジ大学に拠点を置く創造的実践としての演奏研究センター(CMPCP)の研究プロジェクトCreative learning and ‘original’ music performanceと、ロンドン音楽研究所(IMR)の研究プロジェクトMusic and Scienceに参加している(別項「海外における新たな取り組み」参照)。