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サポート活動

Ⅱ.ワークショップ

1.論文執筆とプレゼンテーションのためのワークショップ

美術研究科 美術教育 准教授 小松 佳代子

美術を専攻する学生が、実技制作とともに論文を執筆することには、二重の意味での特殊性があるように思われる。一つは、リサーチセンターで幾度も議論されているように制作と論文との関係である。論文は制作ノートのような形で制作を補完するものなのか、それとも論文が制作を導いていくものなのか、あるいは両者はそれぞれ別個のものとして考えるべきなのか、おそらく研究室の指導方針にしたがってその位置づけは異なるだろう。両者の関係をどうするかということを考えざるを得ないところに、実技系大学の論文執筆の特徴がある。

もう一つは、実技制作者に独特の「もののわかり方」に由来する論文執筆の特殊性があるのではないかと考えている。東京藝大に勤め始めてまず驚いたのは、学生たちのおそろしいまでの抽象思考である。日々制作に向かう学生は、制作の中で常にものを考えている。何らかの理論も、自らの実感に即した形で理解できたときに初めて意味をもつ。それゆえいきおい思考は感覚的なものになる。だがその一方で、確かな制作実感があるためにいくらでも跳べると言えばいいのか、おそらく理論系の学生ならその理解に何年もかかるような理論をあっさりと、しかし的確に理解してしまう。その力に感服する。

リサーチセンターで現在追究している、芸術系大学の理論研究指導のあり方は、このような学生の「もののわかり方」の特徴を生かしたものであるべきだと考えている。ここ何年かいくつかの研究室に依頼されて行っている論理的思考のためのワークショップは、そのような理論研究指導の方法論を模索するものである。それをリサーチセンター受講学生にも行った記録が以下のものである。

ワークショップ概要:
開催日:
2009年12月4日(金)
場所:
東京藝術大学美術学部中央棟第一演習室
対象:
リサーチセンター受講者(博士課程1年・2年生)
21名(感想を寄せてくれた人数)
参考資料
(授業で使用したパワーポイント資料)
ふりかえり

理論研究者にとって論文を書くことは、長い大学院生活のなかで先行研究を読んだり学会発表を聞いたりしているうちに、いつの間にか身についてしまっている。それゆえ「論文を書くこと」だけを取り出して、しかも短期間のうちにそのノウハウを教えることなど所詮不可能だと感じる。また、論文執筆のノウハウを伝授したところで、実際に良い論文が書けるかというとそうではない。では、理論研究者として実技を専攻する学生たちに何を伝えればいいのか。実技制作を言語化して論文にすることと、実技制作とは深くつながっているのだということをわかってもらうことしかないのではないか。今回のワークショップは、この点を目指して行った。以下、学生の感想から、収穫があったと思われる点と、反省点とを述べたい。

1.主語への意識→厳密な文章化

主語を意識するゲームは2人組で行うため、学生たちがやってくれるかどうか不安があったが、やり始めるとかなり積極的に取り組んでいる様子が見られた。いかに自分が主語をないがしろにしてコミュニケーションをとっているかをあらためて感じたという感想が多く見られた。

  • いかに主語をぬかして生活しているかを痛感したので今書いている論文を見直します。
  • 普段から親や友人に言葉に主語がないと言われるので、これから注意してみようと思います。それから、もう少し日本語を知ったほうがいいなとも思いました。
  • 主語を意識した会話では、文の構成が複雑化してしまい、普段から主語述語の対応を意識することで、文の構成力が身に付くのではないかと考えます。
  • 主語を一文ずつ意識することから、論文化するときに文章に厳密さが求められることが自覚されたことが何よりもの収穫だったように思う。
  • 論文を書く時に、1文ずつ確認する位の慎重さを求められていることがわかりました。皆、わかってくれるだろうという甘えを捨て、気合いを入れて書こうと思いました。
2.伝えることのむずかしさ

ディスクリプションゲーム(折り紙・国旗の説明)については、実際に前に出て説明した人も、それを見ていた人も、難しいということを実感したようである。言葉は簡単に伝わらないのだということがわかってもらえたことは大きな収穫であると思う。

  • 言語によるイメージの共有は非常に難しいことが体験を通してよくわかりました。
  • ゲームをすることで、日常的に素通りしてしまう事柄を言葉にすることの難しさを再認識しました。論文はそれの延長線上にあるので今から文章化に慣れる必要があると思いました。
  • 分かってはいましたが、自分のボキャブラリーの無さを実感しました。私はやりませんでしたが、折り紙や国旗の説明は相当難しそうです。
  • 国旗の説明が思っていた以上に難しく、自分ではわかりきっているのに言葉にして伝えることはすごく難しいものだなと思いました。相手の人からの質問も、何を言っているのか、何がわからないのかよくわかりませんでした。とても勉強になりました。
  • 深い知識ではなく、「伝え方・表現力」など、本人にとってはあたりまえのことやわかりきっていることを言葉になおし、多くの人に伝えることがとても難しいと感じました。
3.藝大方式への共感

おそらく人文科学で一般に言われている論文の書き方は、前述したように習得するのに時間もかかり、また実技制作者である藝大の学生にとって、そのように書くことが最善だとも思えない。そこで実技制作者が書く博士論文の独自なスタイルがあるということを「道案内」「グルメリポーター方式」という形で説明した。このことについて、共感を寄せてくれる学生の感想が多くあった。

  • 一般的な論文というよりも美術制作者の文章ということを考えた授業だったのがよかったです。
  • “芸大方式”という考え方がわかりやすく、納得できました。私は保存学なので、制作ではないのですが、自分のたどった思考をていねいに洗い出して論文の内容と結果に結びつけたいと思いました。
  • 論文を書くことが、道案内になるという考え方はとてもおもしろいと思いました。参考にさせて頂きます。
  • 日々、自分の制作を論文にまとめる難しさを感じていますが、「グルメリポーター方式」という考え方がとてもわかりやすかったです。

制作に即して文章を書くことで、制作への見方が深まることが実技系の学生が論文を書くことの大きな意味だろう。そのことへの気づきを書いてくれた学生もいた。

  • 私も今、論文を書いていますが、作品に対する感覚的な部分をできるだけ共有可能な言葉で書きたいと努力しています。そうすることで、今まで自分が何げなく制作してきたことに対してもより明確に、自分が作品を通して何を表現したいのかを意識していくことができると思っています。
  • 論理的な考え方をしていくための手順を自然に学べた。まず何をすべきかがはっきりした。自身の作品に対しての考え方の基準ができた。
4.論文への忌避感の解除

最も多い感想が「楽しかった」ということであった。これはゲームを取り入れているからというだけでなく、論文を書くことに自ら主体的に関わるということができたということが大きく関係していると考える。

  • 大変気分転換になりました。
  • 楽しいワークショップを通して論理的な思考技術について学ぶことができ、良かった。時間が少し足りなかったのが残念でした。ぜひリサーチセンターの授業にこれからも取り入れてほしいと思います。
  • 実際に考えさせるなど、とても理解しやすかったです。
  • ゲームが多くて思っていたよりもなごやかで楽しかったです。内容に対して時間が少したりないような気がしました。もう少しゲームをやって話もききたかったです。
  • 手を動かしながら考えるのは両方の脳みそが回転する感じで楽しく勉強になりました。

「楽しい」ということは非常に重要である。特に、博士課程1年生の場合「論文を書くということ」がとてつもなく遠い世界だと感じられているのではないかと懸念されるので、その忌避感を解除することになるのではないかと考えるからである。以下の感想は、このワークショップをやって良かったと思わせてくれるものであった。

  • 折り紙や問答ゲームなど、実際に体験しながら、言葉の伝達をスムーズにする方法を教えてもらったので、大変わかりやすかった。全体を通して、フランクな雰囲気で行われていたので、「論文」というとても分厚い、重い言葉のイメージしか持っていなかった私ですが、こんな私でも少しは書けるかもしれないと希望が生まれました。またこのような授業があるのでしたら、ぜひ受けたいと思います。
5.反省点・改善すべき点
① 時間配分:
内容の多さに対して時間が足りないという感想が多かった。
② レジュメ:
パワーポイントを用いて授業をおこなったが、時間が足りず説明部分は早口で終えてしまったため、レジュメが欲しかったという感想が多くあった。また、留学生が何人かいたことを考えても、説明部分のレジュメを配布すべきであった。
③ 文章化までつなげる具体的なスキル:
ゲームとともに、具体的な文章化のスキルを求める以下のような要望があった。
  • ただ希望を言わせてもらえるのならば、具体的な論法(例えばA=B,B=C,ゆえにA=Cというような)のレクチャーも混ぜていただけたらと思いました。
  • 体験よりスキルの説明を求める。
  • 今回のゲームで論理性のある文が作成できるようになるかはわかりませんが、今後の良いきっかけとなりました。
今回のような論理的思考のワークショップをいかに論文執筆につなげていくかは、大きな課題として残されている。今回のような形を導入とすると、それを展開していくようなワークショップということになるだろうか。この部分は、実際に書き始めないとわからないという部分もあって非常に難しいが、考えていきたい。
④ 制作と論文との関係:
今回のワークショップでは、制作と論文は、結局は同じように「世界の見方を変えること」だと説明した。実技系の学生の書く論文は、自らの制作実感を根拠にして書くしかないのではないかと考えているからである。問題は、学生たちは制作をしながら論文を書いていかねばならないため、確かな実感を制作においても模索している途上であり、それを根拠に文章を書くことに困難を覚えるということである。この点は、以下の感想を読んで初めて気づいた点である。
  • 今日の授業で言われたように、美術制作とは世界の見方を変えることで、芸術家はそれぞれに自分なりの視点を探していると思います。しかし、私たちは制作を通してその視点を探している状況で、なかなか言い切ることが難しいと思いました。私はこの点が美術論文を書く上での一番の問題点だと思います。自分達でさえ、自分の作品について理解していない→満足する結果が得られていない。化学でいうなら実験の途中だと思うからです。
制作途上の迷いがあるなかで、作品よりも先に論文を提出しなければいけないという藝大の状況もふまえた論文指導のあり方を考えていかなければならない。
⑤ その他:
最後にみかんをつかったワークショップを行ったが、これはもう少し単純にして、みかんにある値段をつけ、その値段の根拠を説明させるということで良かったのではないかと、ワークショップ終了後に思い至った。ゲームについても、工夫を重ねていきたい。

(平成21年度活動報告書)

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