イベント
Ⅱ.意見交換会
1.実技系博士学位をめぐる諸問題に関する意見交換会
各大学院が抱えている博士学位に関する諸問題について意見を交わし、相互の実情を理解すると共に、今後の方向性を探る一助とすることを目的として、美術研究科リサーチセンターが主催し、10校の国内美術系大学院教職員を招き、本学にて意見交換会を開催した。
- 開催日:
- 平成21年12月18日(金)
- 招待校リスト:
- 愛知県立芸術大学
- 大阪芸術大学
- 金沢美術工芸大学
- 京都市立芸術大学
- 京都造形芸術大学
- 倉敷芸術科学大学
- 長岡造形大学
- 日本大学
- 広島市立大学
- 武蔵野美術大学
意見交換会はアジェンダに沿って参加各校の紹介に始まり、美術研究科リサーチセンター主任である越川倫明教授より、リサーチセンターについての紹介と、討論材料として本学における博士学位授与に関する変遷と現在の状況を報告、実技系博士学位授与に関わる問題提起が行われ、討議に入った。討議は、主として参加校からの問いに本学が答える形で進み、各校の状況や意見をはさみ活発に行われた。本報告書では、質疑応答、様々な各校の意見、報告を主だったトピックに分け、その概要を報告する。
意見交換会アジェンダ
- 開催の挨拶:池田政治(東京藝術大学美術学部長・大学院美術研究科長)
- 東京藝術大学側参加者紹介
- 招待参加者自己紹介
- 美術研究科リサーチセンター活動内容紹介:越川倫明(東京藝術大学美術研究科リサーチセンター主任)
- 討論:(司会:越川倫明)
質疑応答及び討論
※質疑応答は、質問に対して東京藝術大学(以下「芸大」)が回答する形で進められた。
1.審査対象としての論文
- 問:
- (芸大の)論文のパターンとしてどのようなものがあるのか。
- 回答:
- 制作背景を説明するパターンや、作家としての思想表明を行うパターンがファイン・アート系には多い。これに対して、文化保存修復の領域では、技術的な新しい知見、作品の科学的分析に関する知見など、作品と論文を提出するが、実質は学術論文に近いものとなっている。
- 例外的に論文そのものが作品のような、例えばポエムのような、芸術を語るに身体から出た、芸術家の肉声のような例外的な論文もある。
- (建築専攻においては)①作品制作の方法論に関わるもの、②背景の説明をキーワードで行うもの、③リサーチ的な内容をまとめていく、プロジェクトのリサーチ、④技術的な(構造等)検証、⑤一つのテーマで試行錯誤していったものを第三者の目で評価しなおす、創作記録に近いものがある。
- 問:
- ファイン・アートの場合は作品と論文が審査対象ということだが、ポエム的なものが“論文作品”ならば、作品の位置づけはどうなるのか。
- 回答:
- 論文という一般的な形式ではないという意味で、作家でなければ出てこない文体の論文のことである。それはあくまでも論文として扱い、作品は実技作品のことである。
- 最近は作家性の強い表現、文字を使った表現といえるものが、いくつかでてきている。視覚的にも読むときに訴えてくるものもある。参照の方法や、文章の展開の方法に独自性があり、開かれた形と言えるだろう。
- 国内実技系大学院のアンケートでは、作品を重視するという一方で、博士では論文を重視するという意見もある。芸大の作品制作を主体とした領域では、作品に対する評価ウェイトが高い傾向があり、その方式を確立していこうとする傾向にもある。ただし領域によっては異なるスタンスをとる場合もあり、この問題は画一的なものではなく、前提として各大学の方針によって異なるものである。
- 問:
- 新しい形式の論文の執筆指導も行うということか。
- 回答:
- リサーチセンター(以下RC)のサポートは執筆スキルに関わることが前提である。いかに形式を整え、構成を整えるか、読む相手に、読み易く、伝わる形に加工する、そのプロセスに対するサポートに限定している。アイディアに関わるもの、テーマ設定、議論の組み立てについては指導教員の領域である。しかしながら実際には、論文執筆の指導をしていけば、内容にも踏み込んでいかなくてはならず、仕分けは難しい。
- 問:
- (芸大の過去の論文に)脚注のない論文があった。独創的ではあるが、論文としての体裁が整っていないものでも博士論文なのか。
- 回答:
- (芸大では博士課程の)1年次で論文の形式(注、キャプション、参考文献など)を教える授業を開設し、指導している。ただし学生の中には、自分の感覚として一般的に論文に用いる形式をとらない者もいる。作品と共にその論文を読み、それが一つの形として評価され、審査会が判断したならば、そうした形式でも可とされる。
討議:論文の形式について
- 論文の定義を作り、それに向かってコンセンサスを作っていくプロセスが重要。
- パターンがあるのはわかるが、論文には形式とレベルがあり、大学としてどのように定義していくのかが問題である。
- 芸大がどういう姿勢を見せるかによって、日本の高等教育の方向性が決まる。
- 博士課程の機能は高等教育を担う人材を養成する責任があり、そうした人材が、言語的説明能力を持たなくて良いのか。
- RCには論文の定義を含めたモデルを作って欲しい。
(芸大)
- 六角鬼丈 前学部長が芸大方式というモデルの確立を唱えた。芸大方式とは何かを模索している。
- 教育学の立場から、論理的思考をどのように学生に伝えるかということで、ロジカルコミュニケーションの授業を行っている。学生は技術が伴わず、“ポエム”でしか表現できない。既存の方式では自分に嘘をついているようで、表現できない。主語に用いる言葉として“私は”を認めている。(学生たちは)“私は”という主語をなくすと書けなくなる。ただし、その後の説明には必ず他人との共有可能性を模索するよう指導している。
- (他人との共有の方法として)グルメリポーター方式、道案内方式という2つの方法を必ず教えている。伝えなければ美味しさは伝わらない、少し無理をしてでも、知らない言葉を自分の感覚と合わせていかなければならないと指導している。
- (このような実技系の論文が)人文・社会科学系の論文に対する問い直しになるのではないか。実技系にしかできない論文の書き方、(従来の論文の)味気なさに対するアンチテーゼになるのではないか。
2.審査について
- 問:
- (芸大の学位規則にある)“学力の確認”はどのように行っているのか。作品と論文を点数化しているといわれたが、口頭試問における口述は点数化されているのか。
- 回答:
- 領域によって異なるため、最大公約数的な答えになるが、論文提出後に審査は最低2回、様々な指摘の過程があり、それから最終審査の形となる。その都度、学生への口頭試問がある。最終審査前には公開発表と質疑応答(学外からの質疑もあり)がある。学位規則に記されている学力の確認は口頭試問の形でクリアされている。
- 課程博士であるので、各学年次に創作論研究等の単位取得を課している。
- 問:
- (芸大の学位規則では)審査会終了後に学力確認を行うとなっているが、実際は異なるのか。
- 回答:
- 8月に論文提出し審査が行われ、10月前半にその審査を受けた口頭試問が行われるが、ここでの審査は合否を決めた最終審査ではないと理解している。
- 問:
- 論文博士の学力確認審査はあるのか。
- 回答:
- 口述試問の中に含める形で実行している。
- 口述試問が学力考査を兼ねる。
3.博士学位授与数の推移について
- 問:
- 資料にある芸大の授与者数の推移について。全国的に(博士)後期課程ができる時期とその前の時期はどう考えているのか。創作系が少なかったのはなぜか。
- 回答:
- 純粋創作系、ファイン・アート系の学生は少なかった。作品と論文で学位を取得する学生よりは、論文のみで取得する学科系の学生が多かった。98年以降(学位授与者数が)増えてきたのは、文化財保存領域などが設置され、(授与者数にも)それが反映されている。2005年以降は博士課程に入学させた以上、学位取得まで育てなければ大学としてペナルティにつながる、という感覚が出てきた時期ではないかと考える。
- 当初、実技系は博士課程に進学する者が少なかった。将来的に教員になったり、研究室に残るにしても博士学位が重要になると学生が認識したため、各科とも受験生が増えてきたのではないか。
- 博士課程に入った学生がほぼ全員学位を取得する。ある意味文科省の方針に沿ったものであるが、今後はわからない。
- 芸大では現行は点数制でそれらを総合評価しており、学生ごとに作品と論文のウェイトを考慮している。
- 予算要求に対する理論武装である。
- 問:
- 留学生の比率はどのようになっているのか。
- 回答:
- 留学生はだいぶ増えているが、学年の25-35%程度かと思う。
- 問:
- 3年次と満期退学者の割合はどのくらいか。RCは満期退学者のサポートを行っているのか。
- 回答:
- 満期退学者は理論系に多いが、少数になってきている。在学延長を繰り返すと5年、休学を含めて7年いることができる。ただし3年を超えるとアトリエはなくなる。
- 満期退学者のサポートについて、RCは1~3年までのサポートは提供するが、基本的に在学生のみのサポートである。
討議:実技系美術博士学位について
- 法人化に伴って定員を増やし、学位取得者を増やしたことが、指導数と学生数のバランスを崩し、芸大の場合はRC設置に至ったのではないか。
- 博士の学位を持つことにより明らかに大学教員などの高等教育への就職は増加している、という現実がある。
- 書く能力をどうつけるかについて、教員自身が論文アレルギーを持っている。学部における歴史的、理論的研究、大学院における歴史的、理論的研究がそれぞれ必要。
- 修士でも作品に関する補助的な論文を課している大学が少ない。音楽学部は、修士でも30枚程度の論文を課しているところが多い。
- 学部レベル、修士レベルで書くことに重点を置いた教育の構造改革が必要。日本の美術教育全体における構造を見直す事が大きな課題ではないか。芸大モデルというのは重要なカギになるので注目してきたい。
- 日本の博士はDFAなのか、PhDなのか。
- 大学の国際化により、様々な国から留学生が来るが、彼らが自国に帰ったとき、他国で取得された博士学位と論文で比較されてしまい、最近は(日本ではなく)ヨーロッパ、アメリカの大学に行ってしまう傾向がある。
(芸大)
- クオリティ・コントロール、説明可能な形、基準の明示が課題。指導体制の構築も問題であり、そもそも論文をどのように定義するかということに戻ってくる。芸大としては、作品自体の高いウェイトでの評価の形というものを確立し、それと同時に作品を適切に補完するものとして、作品と一体としてメッセージ性を持ちうるものとして、比較的、平均的には小規模な論文の形で、それが一つの創作系の標準的な形になるのではないかとイメージしている。
- 海外の状況は、学位に関して軋轢を伴いながら出てきている状況である。ファイン・アート系ではディプロマだけでよい、博士はなぜいるのかという意見が、ヨーロッパの伝統的なところではいまでも多いようである。あえてPhD型の学術性を持った博士の組織にしようと先頭を切っているのがイギリスで、その形の派生形でオーストラリアの例を見てきたが、オーストラリアもPhDとして位置付けている。作品と論文の明確なウェイト配分はなく、両者が一体として評価対象となり、現代的な問題を立て、それに対する考察を作品と論文としている。それに対してPhDを出しているのがVCA(オーストラリア メルボルン大学ヴィクトリアン・カレッジ・オブ・アーツ)というところの方式である。クオリティ・コントロールの問題に戻るが、論文を主体とした場合、書くことに関する教育には多大な投資が必要になる。各大学ではどのように考えているのか。
- 多様な考え方が出てきたが、各大学の主体性が重要な事だと考える。これから共同で認識が進み、その中で各大学の主体性が出てくれば良いのではないか。
以上
(平成21年度活動報告書)