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リサーチ活動

Ⅳ.海外実技系博士プログラムに関する調査

5.海外実技系博士学位授与プログラムに関する聞き取り調査

安藤 美奈

アメリカ

イギリスやオーストラリアは、早い段階から実技系博士学位プログラムを開発展開しているのに対して、アメリカにおける実技系博士学位プログラムの数は多くないと言える。これには、美術教育の背景、学位に関する考え方、つまり実技系博士学位に関する認識が要因になっていると考えられる。しかしながら、先駆的なイギリス、オーストラリアの多数の実技系博士学位プログラム、そして本活動報告書で越川教授が報告しているスウェーデンの独特な事例をはじめ、近年、実技系博士学位あるいは“芸術における実践と研究”をめぐる論評、書籍が多く発表され、実技系博士学位をめぐる状況は、グローバルな展開を見せている。

博士学位プログラムの数は少ないとはいえ、アメリカは“芸術における実践と研究”に関する研究の一つの発信地となっている。こうした動向を踏まえ、実技系博士プログラムの実情や、芸術実践と研究のあり方などについて聞き取り調査を行った。本調査では、カリフォルニア大学サンディエゴ校のPhDプログラム、視覚芸術分野に特化したIDSVAのPhDプログラム、ニューヨーク大学ステインハート校の博士プログラムについて話を聞くことができた。(注記:ニューヨーク大学の事例については、残念ながら組織再編のため現在は、別の学部で対象領域を変更した形で運用している。)また芸術実践とリサーチについて造詣の深いグレアム・サリバン博士にもインタビューすることができた。

今回広いアメリカに点在する教育機関の関係者にインタビューすることができたのは、全米から芸術大学が集まるCAA(College Art Associattion)の100回記念カンファレンスが、偶然にもロサンゼルスで開催されていたことにある。CAAのカンファレンスでは、グレアム・サリバン博士の講演や、後述するIDSVAの学生たちの研究成果発表のセッションが行われたりするなど、芸術分野の博士プログラムやリサーチについて関心が高まっていることを示しているといえよう。

1.カリフォルニア大学サンディエゴ校(University of California, San Diego、以下UCSD)
出席者:
ヴィジュアル・アーツ学部 キュイイ・シェン教授(Kuiyi Shen)、ジャック・グリーンスタイン教授(Jack Greenstein)

UCSDはアメリカ カリフォルニア州サンディエゴ市郊外のラホヤに位置する、州立の総合大学である。ロサンゼルス校、バークレー校など10校あるカリフォルニア大学のキャンパスの1つであり、ノーベル賞受賞者を輩出した科学分野だけでなく、社会科学の分野でも全米トップクラスの大学である。UCSDのヴィジュアル・アーツ学部には、学部プログラムの他に大学院のプログラムとして、修士課程にあたるMFA(Master of Fine Arts)プログラム、そしてPhDプログラムがある。

今回、実技系のPhDプログラムについてインタビューを行ったシェン教授は中国美術と日本近現代美術を、グリーンスタイン教授はイタリア・ルネッサンス美術を専門とする美術史分野の教員で、PhDプログラムで彼らの専門分野の指導を担当されている。

PhDプログラムの概要:

UCSDのPhDプログラムには、美術史・メディア史、理論及び評論などの学科専攻と芸術実践の専攻とがある。この芸術実践専攻は、博士レベルの研究を希望するアーティストのために作られたコースで、実技作品の制作と博士論文の執筆を行う。

このPhDプログラムは、まず理論系のPhDプログラムが2002年から開始された。そして実技系のPhDプログラムが作られた背景にはUCSDのMFAプログラムへの高い評価がある。UCSDのMFAプログラムには、絵画、ドローイング、彫刻、パフォーマンス、メディア・アート、映画、写真などの研究領域があり、この充実した実技系MFAプログラムと理論系PhDプログラムの組み合わせが、非常に良い効果を生み出すことになったという。その後、実技制作を含めたアーティストを対象とした芸術実践専攻がPhDプログラムに加わった。

PhDプログラムでは専攻に関わらず、他の研究領域のPhDプログラムと同様に語学試験やqualifying exams(資格試験)が課せられる。実技系の学生には制作活動のためのアトリエが提供され、実技系では毎年100名を超える志願者の中から、2名程度の学生が入学する。2011年現在、1年次から3年次まで各2名の学生がおり、トータルで6名のPhDプログラム芸術実践専攻の学生が在籍している。UCSDのPhDプログラムの修業年限は6年となっており、日本の博士課程の前期後期に分かれた修士、博士学位のプログラムとは異なる、PhD取得のための独立したプログラムであるといえる。

入学条件:

芸術実践専攻では、学士または修士の学位を有することという入学条件に加えて、アーティストとしての活動経験を問われる。これまでの入学者の例では、学部を卒業したばかりや修士を修了したばかりの者は少なく、その後アーティストとしての活動を経た20代後半から30代前半の者が多い。評論家や学芸員の経歴を持つ人もおり、PhDプログラムの対象者は、これまでの活動の中でリサーチ志向の活動を行ってきた者や、自身の研究目的を持っている者に特化しているといえる。

プログラムへの入学にあたっては英語以外にもう一カ国語の読解能力を求められ、入学後も非常に多くの理論系の授業を履修することになる。このようなことからも、芸術実践とはいえ実技主体ではなく、むしろ実技経験を基礎とした上で芸術分野の学科を学び、研究を深めていくプログラムといえる。

入学志願者は、その他学歴、Graduate Record Examination(GRE)のスコア、推薦状3通、750語以内の研究目的、修士論文や研究論文もしくは美術史やメディア史関係の評論などの、文章のサンプルなどの提出を求められる。

指導体制と審査体制:

PhDプログラムでは、入学時に各学生にPhDアドバイザーがつき指導にあたる。日本における指導教員であるPhDアドバイザーは、実技系の教員ではなくPhDを有する学科系の教員が多い。それはPhDを有していなければ、MFAを持っていてもアドバイザーになれないためで、現在のところUCSDでPhDを持っている実技系の教員は、メディア・アート領域の教授1名だけであるという。このPhDアドバイザーとは別に、PhDコミッティー(学位審査委員会)があり、この審査委員会には実技系の教員も加わることができる。審査は合議制であるが、厳しく審査され合格させない場合もあるという。

PhDプログラムの3年次に、このPhDの学位審査委員会が組織され、芸術実践専攻では、ヴィジュアル・アート学部の4学科から審査員を選ばれるが、美術史、理論、評論から2学科、メディア・アートを含む実技から1学科、それに加えてヴィジュアル・アート学部以外学科から1学科から選ぶことになっている。審査委員会では、UCSDのポリシーで規定されているqualifying examsを実施すると共に、執筆された博士論文を審査する。

また学生は学位の申請資格試験に先だって、博士論文の趣意書とqualifying paperを提出し、審査委員会は、研究に関する一般的および専門的な質問の筆記試験を作成する。資格試験はこの筆記試験と、学生の専攻に関する2~3時間の口頭試験で構成されている。

修業年限、学位の申請ついて:

学生は4年次の修了までに学位の申請を行い、通常6年次修了までに自身のリサーチと博士論文の執筆を完了させることになっている。UCSDでは7年を超えてのサポートは行わないとするが、8年までは大学に在籍できるとしている。

博士論文について:

PhDプログラムでは通常300ページほどの博士論文が求められるが、芸術実践専攻では、200ページ程度の博士論文の分量でも認めている。ただし論文の内容については厳しく質が問われ、理論的なリサーチができていなければ認められないとしている。

学生は、学位申請の資格試験に通った後に博士論文を完成させることになるが、審査委員会の承認に向けてプレゼンテーションの機会もある。さらに完成した博士論文を審査委員会が審査した後、口頭試問が実施されるが、芸術実践専攻ではそれに加えて実技作品を提示することになっている。これは個展という形で発表されることが多いが、学内のギャラリーが手狭なため、個展を開催するスペースが一つの問題となっているという。

参考まで、UCSDのMFAプログラムでは研究論文の提出は求められないが、実技作品に対する15~20ページ程度のカタログを提出させている。

以上のようにシェン教授、グリーンスタイン教授のインタビューからは、UCSDの芸術実践専攻のPhDプログラムは、学科を中心としたプログラムであることが明らかになった。これはUCSDのPhDプログラムの当初の目的が、実技系の学生に対する美術史などの学科系の教育、研究を指導することにあったことからも、その傾向がうかがえる。また、両教授は、アーティストには研究論文を書くことに慣れていない者がいることに理解を示す一方で、学部やMFAプログラムの学科系の授業を通して、書くことには十分訓練を重ねていることを強調している。UCSDでは明文化はされていないものの、他の研究領域の論文と比較しても遜色ない文章を書けることが、PhDプログラム入学の条件の一つになっていると考えられる。

PhDプログラムを運営する上での問題点などを尋ねたところ、プログラムで学ぶ学生の、制作者と研究者としてのバランスがあげられた。その背景には、学生はティーチング・アシスタントとして活動することも求められ、その上で学芸員科目など含む授業の履修、作品の制作、博士論文の執筆を同時に行わなければならず、非常に多忙の中でプログラムをこなしている状況がある。また、UCSDのプログラムは、理論的に研究を深めたいという者に対しては良いプログラムであると考えるが、今後の問題は実技作品と博士論文をどのように組み合わせていくのか、研究が作品にどのように表れているのか、個展をどのように評価するのかという点をあげ、芸術実践専攻に関しては、現在も試行錯誤を続けていると述べている。

2.グレアム・サリバン教授(Graeme Sullivan)

サリバン教授は美術教育が専門で、2010年にコロンビア大学からペンシルベニア州立大学の美術学部(the Penn State School of Visual Arts)学部長に就任、美術教育における実践とリサーチについて多くの論評を発表、精力的に研究活動を行っており、その長い教育研究の経歴の中で、実技系博士学位の審査員も多く経験されている。

これまで実技系博士課程を有する大学の関係者に、その指導や審査体制に関することを尋ねてきたが、サリバン教授には専門である美術教育という観点から、実技とリサーチに関する意見を聞くことができた。また今回のインタビューに当たって、教授から実践とリサーチに関する著書や発表の論文を紹介いただいた。

芸術の実践に基づく研究について:

現代芸術においては、自己省察の面(self reflective)が強調され、批評理論なしでは理解できない場合も多い。そうした状況において芸術作品自体は、説明や解釈といった役割を果たすようになり、作品を見る者は表現されたイメージの中でさらなる解釈を行うことになる。イメージはそうした行為の一つの場となる。リサーチをこのような行為の一つとして捉え、“絵画(Painting)の実践”について図式化してみると、図1のような構造を描くことができるという。

この図の中でサリバン教授は、行為/活動(Action)、行為主体(Agency)、構築物(Structure)という3つの観点から絵画の実践とリサーチを組み合わせて分類し、「理論としての絵画」を中心に、「行為としての絵画」「アイディアとしての絵画」「様式としての絵画」というように示している。 またこのように絵画を名詞として捉えると対象物であり創作の様式であるが、“絵画を描く”というように動詞として考えると、別の様々な面が見えてくると述べている。絵画を描くという実践を、プロセスあるいは成果物として捉えることで、そこに新しい知見、理解を発見する可能性があるとも指摘している。

図1

図1“Painting Practies as Research”
(Sullivan, G.(2006) Research Acts in Art Practice より)

芸術の実践に基づく研究の可能性について:

この「絵画」を「視覚芸術」に敷衍したとき、中心に据えられる「視覚芸術の実践」のリサーチとしての思考と、制作のプロセスで重視される創造的で批評的な性質が表われることになる。創意に富む研究テーマについて、「視覚芸術の実践」では、芸術面、批評面からの研究を通して、様々な様式、知見、行為を開拓していくことになるという。

考察を行い、省察し、想像して視覚化するという手法により、課題の研究手法や問題解決などに新たな可能性が明らかになってくるのではないか。そうした実践の成果は、既存の知識に新たな方法を提供し、選択肢の一つとなり得るのではないか。また考えそのものや研究の位置づけに影響を与えるような、新たな知見、理解を生み出していくのではないか。サリバン教授は、芸術の実践と従来のリサーチの組み合わせによって、様々な研究活動においてさらなる展開や発見があると述べ、芸術の実践に基づくリサーチについて、大きな可能性がある点を指摘していた。

3.ジョージ・スミス IDSVA代表(Dr. George Smith)

実技系博士学位プログラム研究の第一人者でもある、ジェームズ・エルキンス教授(シカゴ美術館付属美術大学)の紹介で、IDSVA創設者であり現在も代表を務めるジョージ・スミス博士に面談することができた。

スミス代表のはからいで、前述のCAAカンファレンスのレセプションに参加することができ、カリフォルニア大学アーバイン校Claire Trevor School of the ArtsのJoseph S. Lewis Ⅲ学長やアメリカの美術系大学、美術教育界の関係者たちと意見を交わすことができた。また、IDSVAの在籍者、修了者たちと懇談する機会も得た。

プログラムの概要:

まずこのIDSVAは、哲学、美術理論など学科を主体としたPhDプログラムを提供することに特化した、独立した教育機関である。2007年に設立、プログラムを開始し、2010年に学位申請者を出している。

前掲のUCSDの事例と同様に、IDSVAで学ぶ学生たちは、MFA(美術修士、Master of Fine Arts)や関連領域の修士号を持っており、主にアーティストとして活動している者、学芸員や研究者、編集者などのクリエイティブ・アートに関係する者、つまり何らかの形でアートに関わり、活動を行っている人たちである。学生はそれぞれが活動する地域、場所において研究を行いながら、世界各国(トスカーナ、ベネチア・ビエンナーレ、パリ、ニューヨークなど)でのレジデンス形式のプログラムを履修する。

世界のさまざまな都市でセミナーを開き、レジデンス形式で研究を行うIDSVAのプログラムは、大学という施設を持たず、バーチャル・ライブラリーなどを備え、最小限の本部機能で運営される独特なシステムである。現在は40名ほどの学生がプログラムを履修しているが、将来的には60名程度の定員を検討しているとしている。

IDSVAのプログラムの特徴は、アーティストもプログラムの対象としながら、実技制作の授業がないことである。これはIDSVAでは、実技系の学生はすでにアーティストとして活動している実績のある者であり、そうしたアーティストに対する実技の指導は必要ないというポリシーのためである。実技、つまり作品の評価は、アーティストが活動する社会が行い、IDSVAのプログラムでは、美学や美術理論、批評理論などの学科を大学レベルの課程で教授することのできる能力を身につけることを目的の一つとしている。IDSVAの講師陣には、スミス代表の幅広い人脈から、人文・芸術分野の第一線の研究者たちが選ばれているという。

博士論文について:

IDSVAのプログラムでは、トポロジカル・スタディーズ、セミナー、個別研究の相互に関連する3つの学科のコースが設置されており、3年以上をかけて、芸術と概念(理想)の歴史的な関連を焦点に研究を行う。こうした学科のコースの間に、前述したレジデンス形式のプログラムを受講し、コースを修了すると学生は最終試験を受けることになる。博士論文には平均して更に2年を費やすこととなり、IDSVAのPhDプログラムは、全体として約5年かかるとされる。博士論文の分量は、文献表、付録などを除き、80,000~100,000語としている。これは日本語に換算して、約240,000~300,000字の分量である。

このように個別研究とセミナーなどの組み合わせで研究を深めていくが、それは各都市におけるレジデンスによるプログラムと、その後の各々の活動場所でのオンラインで研究を継続するシステムによって運営されている。各学生にはアドバイザーがつき、アドバイザーは年に2回、研究の進捗状況を委員会に報告し、委員会でその内容が検討される。

IDSVAの授業料は高額ではあるが、研究熱心な学生たちが世界各国から学生が集まって来るという。何人かの実技系の学生に、IDSVAを志望した理由や作品制作と論文執筆の関係について尋ねたところ、充実したプログラムと、レジデンス形式の授業があること、そしてレジデンス期間以外は自分の活動場所で研究を行えることが、理由としてあがった。アーティストではない学生の多くは、学芸員や出版・報道などの分野で活躍する人たちで、研究を深めることはもちろんのこと、キャリアアップを目的として、PhD取得を目指しているとの答えが多く聞かれた。論文執筆について実技系の学生は、最初は論文を書くことがなかなかできず、また書くことによって、作品を制作することも難しくなってしまった時期があったが、アカデミックな研究は、自身の制作にも良い影響を与えている、と答えている。リサーチセンターの学生対象のアンケート調査にも同様な結果やコメントがあり、プログラムの違いはあるが、制作を行うアーティストの論文執筆や研究に対する評価や感想に共通性があることは、興味深いことである。スミス代表は自ら哲学や視覚文化などを講義を行っているが、学生たちとの懇談の様子を見ると、その適切なアドバイスからも各学生の研究を深く理解しており、学生たちの寄せる尊敬と信頼の厚さが感じられた。

4.ニューヨーク大学スタインハード校(New York University Steinhardt)
出席者:
ジュディス・シュワルツ教授(Judith Schwartz)、デイビッド・ダーツ教授(David Darts)

インタビューを受けていただいたシュワルツ教授は、陶芸を専門とするアーティストであり、自らも博士学位を取得し、長く美術教育に携わっている方である。

現在、ニューヨーク大学には後述する様々な事情から実技系博士プログラムは実施されていないが、ニューヨーク大学における実技を含む美術教育の歴史、MFAやDA(Doctor of Arts)などの美術分野の学位に関するシュワルツ教授の意見を聞くことができた。

ニューヨーク大学における美術教育の変遷:

ニューヨーク大学の美術教育の歴史は、18世紀にまでさかのぼり、アメリカ全体でも最も初期に設置された美術教育プログラムである。当初は教養的な意義もあり、女性に開かれたプログラムであることが特徴とされていたが、時代を経て20世紀に入ってからは、幼稚園から高等学校、大学での美術教員の養成、それぞれの課程でのカリキュラムの考案、教材の作成などを担っていた。この美術教育のプログラムには、実技とリサーチのプログラムがあり、プログラムの理念は、アーティストと美術の指導者を育てるというものであった。プログラムでは絵画、彫刻、写真、グラフィック、版画、工芸などの実技と共に、美術教育の初等教育から大学レベルに至る高等教育までをカバーしていた。このプログラムでは、実技つまり創作活動が何を意味するのかを理解し、また美術理論について理解することが、美術教育の目的に繋がっていくものと考えられていた。

アメリカでは30年ほど前から、MA(Master of Arts)やMFAの学位が一般的になり、ニューヨーク大学の美術教育のプログラムも、修士課程で200人ほどの学生を抱えるまでになった。同時にDAのプログラムも開始され、博士プログラムには40人ほどの学生も在籍するに至った。15年ほど前までは、アーティストにとってMFAが最終学位であると考えられていたが、そうした風潮の中にあって、ニューヨーク大学はDAを出す唯一の大学であった。

しかし、近年のアメリカの教育全体の傾向として、技術や科学を重視するようになり、またニューヨーク大学自身の方針として、学部・学科の統廃合や新設が行われ、その過程でMAとMFAプログラムは残ったが、美術教育におけるDAプログラムは廃止されることとなった。その後、美術教育のコースにPhDプログラムが作られたが、これは理論のみ学ぶプログラムとなっており、実技系の指導が行われることはなく、実技系の教員が参加するものでもなかった。そしてこのプログラムも、10年ほど前に美術教育から視覚文化のコースへと移され、視覚文化のコース自体も一つの学科となって、ニューヨーク大学の別のスクールへ移設された。このような変遷を経て、現在のスタインハート校では、実技系では2年間のコースワークと修了展示を条件とするMFA Studio Artと、3年間の夏季講習によるMA Studio Artという二つのプログラムのみとなり、美術教育はアートセラピーやヴィジュアル・アート・アドミニストレーション、服飾研究などのアート・プロフェッションという一つのプログラムの中の、MAコースの一つとなっている。

DAプログラムについて:

シュワルツ教授が紹介したニューヨーク大学DAプログラムは、アーティストが研究を行い、アカデミックな論文を執筆するモデルとして作られている。教授から提供していただいたが、リサーチ手法や美術理論、批評など理論系の学科に重点が置かれたプログラムとなっている。

今回シュワルツ教授のはからいでこのDAプログラムを作成した、ニューヨーク大学のアンジオーラ・チャーチル(Angiola Churchill)名誉教授に話を聞くこともできた。チャーチル女史は、80歳を超えた現在も意欲的に制作活動をされているアーティストであり、ニューヨーク大学において長く教鞭を取った教育者でもある。彼女がニューヨーク大学初の、女性で常勤の教授であったこと、同大学スタインハート校教育学大学院Art and Art Professionsにおいて、15年もの間学科長を務め、ニューヨーク大学大学院のヴェニスでのスタジオ・プログラムのディレクターに30年間就いていたことは、彼女の先駆的かつ重要な業績が、スタインハート校の実技系プログラムの歴史そのものであることを物語っている。シュワルツ教授もまたチャーチル女史の教え子の一人であり、彼女の指導を受けて博士学位を取得している。

このDAプログラムでは既に述べたように、実践の重要性を理解しているアーティストが行うリサーチが前提であり、実技を中心としたMFAプログラムを経て進むプログラムとなっている。チャーチル名誉教授、シュワルツ教授共に、DAプログラムにおいてアーティストによって行われるリサーチを重視し、論文における新たな知見の発表の重要性を強調している。

今後の展開について:

シュワルツ教授によると、スタインハート校では、PhD、DAを含めMFA、MAなど美術の大学院教育における学位について、ある種のモラトリアム期間にあり、今後どのような学位プログラムを設置していくか、検討する必要があるとしている。検討要因としては、実技系の制作スペース確保の問題、PhDプログラム実施の際に必要なPhDを有する指導教員の確保、多様性を備えた実技や理論の領域の整備、そしてプログラムを履修する学生たちの多様性などがあげられる。

こうした問題の背景には、ニューヨーク大学が展開するグローバルな戦略があると考えられる。スタインハート校では、フランスのパリ大学とMFA Studio Artの学生の交換授業を開始し、将来的には、学生はパリとニューヨークで1年ずつコースを履修し、MFA学位を取得できるプログラムを計画しているという。このような提携だけでなく、既にロンドン、アブダビ、ガーナ、上海などにニューヨーク大学の分校が設置されており、グローバルなネットワークを確立しつつある。つまりより多くの学生を集めることができ、様々な地域で多様な人材を獲得することによって、さらなる多様性が生まれ、さまざまな国、領域、学生の間でのリサーチも可能となり、リサーチの新たな展開がみられるというのである。学生からも世界的なキャリアを作りたいという希望があり、ニューヨーク大学ではグローバルなキャリアを提供できる教育機関ということを、彼らのビジネス戦略の一つの特色として打ち出そうとしていることがうかがわれる。このようにグローバル化は今後も拡大していくと考えられ、こうした戦略の中でも、学位プログラムの再考が求められているのである。

アメリカでの聞き取り調査から:

アメリカでは、理論及び実技系美術教育の第一線に立つ研究者の方々にインタビューしたが、多くの場合彼らの属する教育機関のプログラムは、実技系であっても理論を主体としたプログラムであり、作品(実践)と論文(理論)を審査対象とする、東京藝術大学が実施しているような実技系博士学位プログラムには興味を示すものの、作品(実践)をどのように評価するのかという点において実施が難しいという意見が多かった。その背景には、今回聞き取りを行ったプログラムの多くが、既に実績を有するアーティストをプログラムの対象としており、作品、制作物の評価は、アーティストが活動する社会で行われるものとしていることがあげられる。また理論を主体とするプログラムの背景には、アメリカでは総合大学の中の一つの学部である場合が多いため、学位の同等性が求められることも考えられる。つまり他の研究領域に対する説明、あるいは他の研究領域と競わなければならない状況にあることもあげられよう。そうした環境が、共通の研究方法、成果の形として理論や論文を重視する傾向となるのではないだろうか。そしてその競い合う同じ土俵で芸術の実践に基づくリサーチ、アーティストならではの独自の視点、手法が有効な可能性もあり、多様な領域を横断するリサーチの展開にも寄与する可能性を見出そうとしているように感じた。

また今回共通していたのが、実技制作のスペースの確保の問題を抱えていることである。本学と比較して、非常に広大なキャンパスのUCSDにおいても、またニューヨークという立地からスペースの確保が難しいスタインハート校においても同じく、制作スペースの問題をあげていた。費用面での問題はあるが、自らは設備を持たず、各学生自身が活動場所を持つIDSVAや、グローバルな拡大戦略を見せるニューヨーク大学の例は、スペースの確保の一つの方法と考えることもできるだろう。

以上のように、今回のアメリカにおける聞き取り調査では本学との比較において、博士学位プログラムの方向性の違いが認識される一方で、実践に基づくリサーチの可能性と展開、大学の戦略という点で興味深い点が多くあり、有意義な調査となった。

(平成23年度活動報告書)

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