リサーチ活動

Ⅳ.海外実技系博士プログラムに関する調査

5.海外実技系博士学位授与プログラムに関する聞き取り調査

安藤 美奈

調査概要

平成23年度は、9月に中国の清華大学美術学院、中央美術学院(調査担当:安藤美奈、和田圭子)、カリフォルニア大学サンディエゴ校、ニューヨーク大学スタインハート校を訪問、ペンシルベニア州立大学のグレアム・サリバン教授、Institute for the Doctoral Studies in Visual Arts(以下IDSVA)のジョージ・スミス代表との面談を行った。(調査担当:安藤美奈、石田圭子、和田圭子)

海外の実技系大学院に対する聞き取り調査は、平成21年度にロンドン芸術大学(イギリス)、メルボルン大学ヴィクトリア・カレッジ・オブ・アート(オーストラリア)での訪問調査を行っているが、この先行調査と同様に、今回も中国とアメリカといった今後の動向が注目される国々で、実技系博士学位プログラムの現状を見聞し、日本の博士プログラムとの比較を行う貴重な機会を得た。

中国

東京藝術大学では世界各国からの留学生を受け入れているが、中国からも多くの留学生が様々な研究領域で学び、文化財の保存修復技術の研究をはじめ、漆や陶芸など自国の伝統技術を活かした研究、現代芸術における表現や創作活動を積極的に行っている。

このように交流が深く、また現代芸術の一つの大きなマーケットともなっている中国で、美術の高等教育、特に博士課程の状況について、清華大学美術学院と中央美術学院での聞き取り調査を行った。その概要を以下に報告する。

1.中国における研究領域について

今回聞き取り調査を行った清華大学美術学院、中央美術学院の両校でまず最初に述べられたことが、2011年に中国の国家的な研究領域の定義において、「芸術学」が一つの研究領域として独立した分野と認められたということである。この決定が中国の美術教育において、非常に大きなそして重要なトピックであったことがうかがわれる。

芸術学は、中国では12に区分される研究領域(中国では分類)のうち、これまで文学の中の一つの分野でしかなかったが、今回、独立した13番目の「分類」として認められたのである。この研究領域に関する規定では、「分類」の下位区分として「級」があり、今回独立した分類となった芸術学においては、以下の「級」の区分が定義されている。

  1. 芸術学理論
  2. 音楽・舞踊学
  3. 演劇・映像(中国では「映視」と表記される。映画やテレビドラマも含まれる。)
  4. 美術学(実技系の美術にあたり、写真も含まれる。)
2.清華大学美術学院
出席者:
何洁美術学院副学院長、張夫也芸術史論学部長、周剑石副教授、董素学教務辧公室主任、梁?教務辧公室副主任、何静学生工作部主任、任茜外事部主任

大学の概要:

清華大学は、北京市中心から北に向かった風光明媚な清華園に位置する。広大なキャンパスを有し、1911年創立の中国でトップクラスの工科系中心の総合大学である。今回訪問した清華大学美術学院は、1999年に中央工芸美術学院と合併して設置され、美術博士課程が加わり現在に至っている。合併以来、清華大学美術学院では約8,500名の学士、1,000名以上の修士、143名に上る博士学位取得者を輩出している。また約1,150名の学部生、約470名の大学院生、100名ほどの学生が博士課程に在籍している。

博士課程の指導教員資格について:

現在清華大学では、34名程の教員が博士課程の指導にあたっている。中国では、こうした博士学位申請者の指導教員には資格が必要で、資格申請の後に審査を受け、合格した者が指導できるとしている。その申請には次のような資格が求められる。

  1. 申請者が1955年以後生まれの場合は、博士学位を取得していること。
  2. 3~5本の論文を執筆していること。
  3. 教授あるいは准教授などの教員歴を持っていること。
  4. 指導に当たり、3~5年以内で、3か月以上海外に滞在する予定がないこと(これは学生に対する指導責任を意味する)。
  5. 健康であること。
  6. 国からの研究課題(日本の科研のような研究プロジェクトを指す。国、省、市、教育省などの政府行政機関のプロジェクト、または企業の場合は、博士レベルの共同研究であること)を持っていること。

なお清華大学では、既に教員として働いている者が、在職しながらあるいは休職して博士学位を取得するために入学し、取得後は教員として復帰するケースが多いという。

博士課程における研究、博士論文などについて:

清華大学の博士課程では実技系出身であっても、理論を中心に研究することとし、審査対象に実技作品は入らない。博士論文の発表に加えて、制作した作品の展示を行う場合もあるが、あくまで博士課程の研究成果は論文であり、展示は審査対象ではなく、評価にも入れないとしている。また学位名称は、PhDではなくDoctorであるとしている。

研究方法は、1.歴史的な理論、2.評論、3.応用理論というように大きく三つに分けることができる。実践において成功した事例、失敗した事例について研究することもあるというが、研究には、科学者のような思考の整理、考え方が必要であるという立場を強調している。博士論文の分量は80,000字程度で、中国語で執筆することが条件とされている。

参考まで、清華大学ではこのような博士学位プログラムに対して実技系の修士学位の場合は、20,000字程度の論文と、作品が審査対象となる。修士の場合は作品中心であるが、研究の意図、理論、また作品制作の意図などを論文で書かせているという。また学部の卒業論文は、最低5,000字という分量になっている。

博士課程の修業年限は、通常3年で、1年の延長が許されている。ただし、在学の延長理由を申請し審査を経ることにより、最長7年まで在籍することができる。

博士学位取得後の活動について:

既に述べたように、清華大学美術学院の博士課程在籍者の多くは在職中の大学教員であり、年齢も比較的高く、研究することを理解しているということが特徴である。学位取得の動機には、博士課程で指導する資格、あるいは高等教育機関における教員の条件として、博士学位が求められるという、世界的な傾向が見受けられる。動機についてインタビューで強調された点は、修士学位を取得した段階で質の高い実技経験を有し、その上で理論を学びたいという者が、博士学位取得を目指して入学してくるのだという点である。

2011年度は10名ほどが博士学位を取得する予定ということであったが、既に教員である以外の学生の就職について質問したところ、就職に関しては、大学が推薦して就職する場合や、指導教員や学位取得者たちが協力して就職先を見つける場合などがあるとの答えだった。就職先としては、多くは大学などの教育機関があげられ、その他に国の文化施設や研究機関の研究員、自治体の施設の学芸員などがあった。

また清華大学では、理論中心とした学位授与システムを変更することはないが、東京藝術大学のような博士学位プログラムは、研究課題の一つになると考えるとの意見が返された。しかし、東京藝術大学のように論文に加えて作品を審査対象とし、論文の文字数を、例えば80,000字から50,000字にするなど、分量を少なくしたとしても、現在の論文の質を下げることはせず、作品も博士学位に見合う高いレベルを求めることになるだろう、と述べている。

以上のように、清華大学では修士課程までの実技経験を踏まえた、理論中心の博士課程であり、今後もその方針に変更はないと考えられる。既に大学教員である者が、さらなる資格として、また博士課程を指導するために、博士学位取得を目指して入学してくること、中国のトップクラスの総合大学であることから、美術学院においても博士課程で指導する教員には学生の指導だけでなく、国家プロジェクトなどをはじめ、多くのプロジェクトの獲得を求めるなど、国内外での競争の熾烈さがうかがわれ、プロジェクトや資金の獲得、そのための国内外に対する大学のアピールなど積極的な姿勢が強く感じられた。

3.中央美術学院
出席者:
汻先生、于先生、六角鬼丈先生

中央美術学院の聞き取り調査では、東京藝術大学名誉教授で現在中央美術学院の建築学院で教鞭をとられている六角鬼丈先生にも参加していただき、日本と中国の実技系博士学位について意見交換を行った。

大学の概要:

中央美術学院は北京市朝陽区に位置し、1918年の開校以来、中国の美術系大学の中で90年以上の最も長い歴史を有する、中華人民共和国教育部直属の唯一の国立美術大学である。大学の拡充の方針から北京市朝陽区に移転したが、大学の周辺は798芸術区など中国の現代芸術を代表する大山子芸術区(Dashanzi Art District)となっている。

学院には造形学院、中国画学院、設計学院、建築学院、人文学院、都市設計学院の六つの専門学院があり、附属美術高校も併設されている。専門課程は20ほどあり、中国画、書法、油画、版画、彫塑、壁画、アニメーション、平面デザイン、製品デザイン、ファッションデザイン、撮影、デジタルメディアアート、環境芸術設計、建築学、美術史論、デザイン芸術史論、無形文化遺産、芸術管理、設計管理、博物館学、芸術考古、美術教育学などのコースが設置されている。2008年には日本の磯崎新氏が設計した中央美術学院美術館が開館し、教員や学生の展示施設としても、現代美術の発信拠点としても機能している。

博士課程における指導について:

中央美術学院では、博士課程の指導教員は14~15名で、造形学院を主体に実技の専門科目を、人文学院の教員を中心に論文執筆などの理論の指導を行っている。

最初の博士学位取得者を輩出したのは2001年で、2010年は20名の博士学位取得者を輩出している。博士課程の修業年限は3年だが、その期間内で修了することは難しく、7~8年かかることが多いとしている。学費については、4年次以降は多少減免されるという。

中央美術学院では、移転などを経て大学の敷地を拡充してきたが、現在はそれでも手狭なため、3年を超えて在籍する学生の制作場所の確保が問題となっている。

海外からの留学生については、学費が高いためそれほど多くはなく、現在のところ博士課程全体で、韓国から4~5人、日本から1人の留学生が在籍している。

審査対象、審査体制について:

中央美術学院では、実技系の博士学位の審査対象は作品と論文で、その評価のウェイトは7:3としている。審査委員は、造形美術の教員が中心となり何人かの学生を審査するが、汻先生が指導するデザイン学院の場合は、審査委員会は5~6名の教員で構成されており、審査員の内訳は、学内の教員が3~4名、外部の審査員が1~2名である。建築学院の場合は、審査委員会2~3名で構成されている。審査は合議制であり、話し合いによって合否を決める。

博士論文の分量は概ね30,000~50,000字で、論文テーマの傾向としては、作品制作の思想的な背景や、実技における一つのテーマの研究、基礎的な研究、理論と実技の共同研究などがあげられる。

博士学位取得後の活動状況について:

博士取得者の三分の一程度が大学の教員となり、その他には作家、学芸員や国の機関の職員になる場合が多く、デザイン学院の場合は、学位取得者の80%程度は大学に就職しており、その他の就職の機会としては出版社などがあるという。

以上のように中央美術学院の博士課程の状況は、東京藝術大学に近いものであり、実技系の学生に対する論文の指導の問題など、インタビューではむしろ本学の状況を尋ねられる場面が多くあった。それらは、審査における実技作品の評価、実技系の博士学位の意味、研究者を養成するのか、研究者タイプのアーティストを育てるのか、などリサーチセンターがこれまで開催してきた国内の実技系大学院との意見交換会と同様な内容でもあり、実技系博士学位に関して共通した問題があることが分かった。前述の清華大学美術学院とは異なり、実技中心の教育機関として作品と論文を審査対象としていることからも、中央美術学院と本学とに共通する課題、共有できる指導方法やシステムがあると言えよう。

またインタビューの中で、特に指導の問題として実技の指導と理論の指導を別々の教員が行っていることが問題である、との指摘が印象的であった。将来的には1人の指導教員で、実技と理論の指導ができることが望ましいとの意見は、実技系博士学位取得者に求められる能力を改めて考えさせられた。博士課程における指導教員の姿、実技系博士課程の将来像の一つがそこにはあるのではないだろうか。