リサーチ活動
Ⅱ.各国報告
2.英国調査報告
遠藤 衣穂
リサーチセンターでは、英国の音楽系博士課程においてどのような学位が授与されているのかを把握し、学位審査の特色を明らかにするため、2008~2010年度にかけて学術関連のウェブ調査と訪問調査を行った。以下にその結果をまとめる。
§1.英国における音楽の高等教育システム
英国では、学位を音楽大学または総合大学の音楽学部などで取得する。各機関は学部と大学院から構成される。学部では、通常3~4年かけて学士号BMus(Bachelor of Music)またはBA(Bachelor of Arts)を取得する。大学院には、PGCert(Postgraduate Certificate) またはPGDip(Postgraduate Diploma)と呼ばれる1年間の講義および実技を主体とするコースがある。音楽の専門的な資格として認定される場合が多く、就職の際にも有利であるが、通常これらのコースに研究活動は含まれていないため、これらの資格を取得しても博士課程に進学することはできない。
博士課程へ進学するためには、修士号 MMus(Master of Music)またはMA(Master of Arts)を取得する必要がある。これは講義主体の修士号(Taught master’s degree)と呼ばれる通常1年のコースで、講義やセミナーに出席し、レポートや試験等で規定の単位を取り、さらに独自の研究をもとに学位論文を提出する。その後、博士課程に進学するには2通りの方法がある。研究修士号(Research master’s degree)と呼ばれる1年間のMPhil(Master of Philosophy)コースで研究に専念し、学位論文を提出した後にPhDコースへ移行する方法と、最初からPhD コースに進学する方法である。博士課程では研究に専念し、通常3年かけて博士号PhD(Doctor of Philosophy)を取得する。
§2.英国とボローニャ・プロセス
英国は加盟国の一員として、積極的にボローニャ・プロセスに参加してきた。2007年にはロンドンに会議を招致している。とくに長い伝統を持つ英国王立音楽大学Royal College of Music が英国における代表的な役割を果たしてきた。学長のコリン・ローソン教授によれば、最初からすべての会議やワーキンググループに参加し、あらゆる変化の状況を見守ってきたとのことである。
英国がボローニャ・プロセスに積極的に関わってきた理由は、主に次の3点にある。
- 1)英国で学ぶ留学生と海外で学ぶ英国人学生にとり不利な状況を作らないこと
- 2)ヨーロッパ諸国と単位や学位の互換性を保つこと
- 3)音楽分野における研究者の流動性mobilityを確保すること
政府による予算的な裏付けがないため、ボローニャ・プロセスへの参加は各機関の判断による自主的な取り組みに任せられている1。英国ではボローニャ宣言以前より、学部・修士という2段階のシステムが確立しており、多くの大学が第3段階(博士課程)をすでに設置して いた。そのため、新たになされたことは質保証 quality assuranceを確実にすることと、博士課程がない場合には設置すること、博士課程がすでにある場合はさらに競争力の高いものとなるように内容を充実させることであった。
単位に関しては、ヨーロッパのECTSと互換性のある独自の単位システムが存在するため、英国はスムーズにボローニャ・プロセスに対応することができた2。
§3.調査結果
英国には、音楽を専門とするコースを持つ教育機関が99校ある。そのうち、作曲や演奏などの実技専攻の博士課程を設置する大学院は54校である。その内訳は、音楽大学9校、総合大学45校である(資料1)。調査対象を絞り込むにあたり、以下の4つのウェブ情報を参照した。
各大学の公式ウェブサイトから2009年12月時点までに収集した情報を資料1にまとめる。
1)学位の名称と専攻
英国の音楽実技系博士課程を修了した時に授与される学位の名称として最も多かったのは、PhD(Doctor of Philosophy)である。その他に、下記の学位名称がある。
- DMA (Doctor of Musical Arts)
- 例:ギルドホール音楽院演奏科、シティ大学ロンドン、テムズ・バレー大学
- DMus (Doctor of Music)
- 例: ギルドホール音楽院作曲科、英国王立音楽大学
- AMusD (Doctor of Musical Arts)
- 例: ノッティンガム大学
- DPhil (Doctor of Philosophy)
- 例: サセックス大学
専攻名の多くはPerformance、Composition、Musicであるが、その他にPerformance Practice、Performing Arts、Creative Music Practice、Music Theatre、Music Technologyなどがある。
2)標準修業年限
フルタイムの博士課程の修業年限は、通常3年間から4年間である。働きながら学ぶパートタイムの学生の場合は通常6年間であるが、大学によって幅があり、4~6年間あるいは6~8年間と余裕を持たせている場合も多い。さらに博士論文を書き上げるための期間(通常1年間)を設けている大学もある。
3)学位審査の内容
演奏の学位審査は、演奏審査(演奏会形式または収録)と論文審査、口述諮問からなる。作曲の学位審査も作品審査(楽譜または楽譜と録音)と論文審査(解説または論文)、口述諮問からなる。演奏審査は、90分、180分というように演奏時間を指定している例がある。作品審査は5曲、8曲というように作品数を指定する場合もあれば、60分、120分などのように全作品の演奏時間の合計を指定する場合もある。
論文の長さ(語数)の指定は、大学により10,000~80,000語と多岐にわたる。作曲の論文審査は、20,000語前後の詳しい作品解説Commentaryを提出させる場合が多いが、中には80,000語の研究論文を提出させる大学もある(例:キングストン大学)。
学位審査における実践(演奏や作品)と研究(論文)の評価の比重を明記している大学が少なからず見受けられる。例えば、演奏と研究の割合を6対4とする場合(例:バンゴール大学)、8対2または2対8のいずれかを学生自身が指導教員と相談のうえ選択する場合(ランカスター大学)、演奏時間を論文語数に換算し、論文本体の語数との合計が100,000語となるように規定している場合(例:英国王立音楽大学)などである。
4)学位の授与
9校の音楽大学のうち、8校は総合大学と提携して博士号を授与している(資料1)。唯一、英国王立音楽大学だけが独自に学位を授与する権限を持っている7。
§4.まとめ
英国では、作曲・演奏・音楽学の専門家が互いを尊重して交流を深め、意見やアイディアを交わしつつ仕事をする伝統がある。教育現場においても研究と実践の連携が非常に良くとれている。専門家同士の協力と連携により質の高い学位を出していることが英国の最大の特徴であり、そこから学ぶべきことは大きい。
- 注
- 1:山口裕史「英国におけるボローニャ・プロセスの取組と展望について」(2008年度JSPS London学術調査報告)[http://www.jsps.org/advisor/pdf/2008_report_yamaguchi.pdf]
- 2:英国の120単位がECTSの60単位に換算される。
- 3:The Royal Musical Association, Resources for Students, List of UK University Music Departments[http://www.rma.ac.uk/resources/he-departments.asp]
- 4:Institute of Musical Research, University of London, List of UK Music Institutions[http://music.sas.ac.uk:80/resources-links/list-uk-musicinstitutions]
- 5:British Council, Education UK, Learning Solutions[http://www.educationuk.org/pls/hot_bc/page_pls_all_homepage]
- 6:Mundus Musicalis: Overview of Professional Music Training System in United Kingdom[http://www.bologna-and-music.org/home.asp?lang=en]
- 7:詳しくは別項「英国王立音楽大学を訪ねて」を参照。
資料1.実技系博士課程を設置する英国の高等音楽教育機関
音楽大学(9校) | 提携大学 |
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総合大学(45校) | |
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