リサーチ活動

Ⅲ.インタビュー集

5.リスト音楽院の博士課程 ―バッタ・アンドラーシュ院長インタビュー

中村 美亜

  • 日時:2011年7月8日(金)
  • 於:東京芸術大学

バッタ・アンドラーシュ

リスト音楽院院長バッタ・アンドラーシュ Batta András先生が来日された際、リスト音楽院の博士課程に関するインタビューをお願いした。以下はその要点をまとめたものである。

下記リスト音楽院ウェブサイトに博士課程についての詳細が記載されている。
http://www.lfze.hu/oktatas/a_kepzes_szintjei/doktori_iskola

中村(以下N):
 リスト音楽院の博士課程について、お話いただけますか?
バッタ(以下B):
 リスト音楽院には学部・修士の他に、PhDとDLAがあります。PhDは音楽学者のためのもの、DLA(Doctor of Liberal Arts)は器楽奏者・指揮者・教会音楽専攻者のためのものです。これらのプログラムは当然要求するものが異なり、PhDは音楽学など学術的な内容、DLAは音楽家のためのより実践的なものです。
N:
 学生は何人いますか?
B:
 博士の入学は非常に難関です。政府の規則や交付金の関係で、DLAプログラムは一年に8人、PhDは一年に3人しか入学が認められていません。博士課程は、3年間のプログラムですが、38歳以上の場合は、週に何日も学校に通わなくても、個別に学習することができます。
N:
 年齢によって違うのですか?それはどういうことですか?
B:
 ハンガリーの教育機関で教授職を勤めるためには、博士号(PhDまたはDLA)を取得していなくてはなりません。若いうちは演奏活動をしていたけれども、歳をとってから大学教授職につくことになる人も多くいます。そういう人たちのために、こういう年齢区分があるのです。修士号さえとっていれば、博士課程の入学試験を受けることができます。
N:
 それはいい制度ですね。日本にも必要な気がします。博士課程の修了要件は何ですか?
B:
 3つの要素があります。一つめは、博士論文、二つめはコンサート(1時間)、三つめは試験です。DLAの博士論文は、PhDとは異なり、80ページほどの短いものです。試験は、博士論文のテーマとは別に選択した3つのテーマについて、各15分のレクチャーを行うというものです。38歳以上でも未満でも、この3つをクリアしなくてはなりません。
N:
 38歳未満の人が履修する科目はどんなものですか?
B:
 学術的な内容の講義、セミナー(論文の書き方など)、音楽分析、実技レッスンなどです。実技専攻でも、実技の他に音楽学的な訓練も要求されます。私個人の考えでは、ハンガリーでは、実技学生に対するこうした学術的な訓練がやや多すぎるように思います。
N:
 入学するために必要なのは?
B:
 入学するには、実技はもちろん、知的な視点や優れた教育スキルが必要です。高度な演奏技術と高い教育スキルを身につけることがDLAに要求されるからです。もちろん、高度な演奏技術を持っている人の中には、必ずしも知的な作業が得意でない人もいます。そうした人は優れた演奏家ではありますが、博士課程には向いていません。
 ただ、音楽家には、今後こうしたスキルが必要だと思います。優れた音楽家は今後マスターコースなどを催す機会があるわけですが、そうした時に博士課程の訓練はとても役に立つと思うからです。ハンガリーは他国に比べて学術的な要求度が少し高過ぎる気はしますが、だからといって演奏だけをするのでよいとは思いません。こうした学習機会は重要です。
N:
 リスト音楽院に博士プログラムはいつからあるのですか?
B:
 15年ほど前からです。最初は、音楽学と作曲、教会音楽といった理論分野だけでしたが、数年後に楽器も加わり、それからDLAができました。しかし、ここ数年で、リスト音楽院の博士課程は演奏家にもよく知られたプログラムになりました。
N:
 DLAの学生が書く博士論文のテーマは?
B:
 人によって異なります。ピアニストだったら、ハイドンのピアノ・ソナタ、フォルテピアノ、楽器に関する問題など、さまざまです。論文アドバイザーは、実技以外の先生を選択することもできます。各専攻の主任教員に相談に行けば、ふさわしい人を推薦してくれます。その辺はとてもリベラルです。
N:
 審査はどのようにおこないますか?
B:
 審査は3人です。ポイント制で、とても複雑になっています。他の大学から先生を招くこともできます。研究テーマによります。
N:
 ところで先程の年齢区分ですが、なぜ38歳なのですか?
B:
 それはよくわかりません。もし私が変えることができるなら、30か32歳ぐらいにしたいです。38歳ではちょっと遅すぎます。
N:
 バッタ先生は、実技だけで博士号を取得することについてはどう思いますか?
B:
 音楽学校は、そういうものを求めるのでしょうが、高等教育機関は違うと思います。教育機関には二つのタイプがあります。リスト音楽院や芸大など、国立あるいは国を代表するような大規模な高等教育機関と、小規模でプライベートな音楽学校です。
 大規模な高等教育機関では、あらゆるジャンルの音楽を学ぶことができ、音楽についてもさまざまな角度からアプローチします。こうした機関を運営し続けるのは困難ですし、お金もたくさんかかります。国や認証機関からのさまざまな要求にも応えなければなりません。しかし、学位には価値があります。
 その一方で、50~200人ぐらいのエリート音楽家のための私立学校があります。スペインのマドリードにあるソフィア王妃音楽大学や、アメリカのカーティス音楽院です。カーティス音楽院は、ピアノとオペラが中心で、他のことにはあまり力を入れていません。超一流の音楽家を招き、マスターコースを催します。音楽的な刺激には満ちていますが、学位を授与されることはなくディプロマ(修了証)だけです。修了することにはあまり意味がありません。
N:
 それぞれの教育機関の社会的役割を考えるのが重要ということですね。
B:
 ええ、その通りです。実は、30年前ぐらいまでは、リスト音楽院もこれら二つの役割が混在していました。国の関与もなく自由でした。しかし1989年以降、EUの統合が進むにつれ状況が大きく変化しました。90年代にあらゆる大学の単位互換が可能にされていったからです。
 もちろん、それには長所と短所があります。長所は、学生が他国の大学や大学院に行くことが可能になった点です。以前は、ハンガリーのような共産圏の国から西側の学校に進学するのは不可能でした。その一方で、官僚的なことが多く、不要と思われることも増えました。
N:
 DLAはEU統合から生まれたとのですが、それはよいことだったと思いますか?
B:
 う~ん。難しい質問ですね…。40年、50年前には不要だったと思うのですが、今は当時に比べて、音楽家や音楽教育者に要求される中身が変わってきました。現在の状況を考えると、DLAは必要でしょう。もちろんフランツ・リストには不要だったでしょうが(笑)。彼はどんな学校にも行かなかったのですから(笑)。
N:
 リスト自身が総合大学のような存在でしたからね(笑)。
B:
 そうです(笑)DLAプログラムが今後どのような展開を生むのか楽しみです。
N:
 ありがとうございました。