「藝大生の親に生まれて」は、芸術家の卵を子に持つ親御さんにご登場いただき、苦労や不安、喜怒哀楽、小さい頃の思い出やこれからのことなど、様々な思いについてお話をうかがい、人が芸術を志す過程や、生活の有り様について飾らずに伝えます。
──ご両親ともに藝大のデザイン科をご卒業され、お父様は自動車メーカーでプロダクトデザイナーをされつつ、藝大のデザイン科で非常勤講師をなさっているということで、芸術一家という印象を受けます。楓大さんの小さいころはやはり芸術方面への才能があったのでしょうか。
(母) 非常にマイペースな子どもでしたね。幼稚園のころに折り紙に目覚めて、それを見て「この子はもしかしたら」と思って、それから作品を全部取っておくようになりました。
(父) 折り紙って、普通はテーブルの上に置いて角と角を合わせてきれいに折ると思うんですけど、彼は最初から空中で折っていたんですよ。それを見たときに、ただものじゃないなと思いましたね。
(母)器用でしたね。1歳くらいのときに急に大人と同じように箸を持って、自慢げに見せてくるんですよ。びっくりしましたね。小学校の低学年のときは、さんまの塩焼きをきれいに骨だけ残して食べていたので、そういうこだわりはあったようです。
楓大さんが初めて意識的に作った折り紙(恐竜)野球のボールをモチーフにした小物入れ小学生時代、夏休みの自由研究で絵本を制作同じく自由研究で作成したゴム版のハンコスケッチブックの中からお母様が特に気に入ったものを額に入れている
──藝大を受験しようと思ったのはいつごろでしょうか。
(母) 幼稚園で水泳、小学生で野球を始めたので、小さいころはそちらのほうが比重が高くなっていたので、そちらの方面を全力で応援していました。高校までは野球を続けていたんですけど、進学のことを考えたときに、野球を続けるのが難しいと感じたと思うんですけど、どう?
(楓大) アメリカの高校に通っていたんですが、2年生のときに日本の高校に編入することになって。日本の制度では編入すると1年間試合に出られないんです。それに、自分の実力というものもわかってきて、野球で将来生活できるとは思っていませんでした。かといって勉強ができるわけでもないので、そうなったら美術系かなという。そこで、日本の高校は美術コースがあるところを選びました。
──当時から藝大が第一候補だったんですか?
(楓大) そうですね。両親とも藝大出身ですし、話を聞いているのも藝大だったんで。一番楽しそうかなと思いました。
(父) 知っているところが藝大しかなかったんで。
(楓大) 二浪しているんですが、現役のときは私立大学も含めて受験してすべて落ちました。一浪目のときはほかの大学のプロダクトコースに受かったんですが、もう1年チャレンジしようと思って行くのをやめました。
(父) 僕も二浪です。
(母) 私はほかの大学に行ってから二浪しているので、三浪という形ですね。
(父) なので二浪までは許容範囲かなと思っていました。
──二浪までと決めていたということで、二浪目のときに受験は相当プレッシャーがあったと思います。
(父) あまり感じませんでしたね(笑)。正月に家族で実家に帰ったんですが、普通受験生なら家に残って勉強するって言うと思うんですけど、ついてきましたから(笑)。率先してテレビ見てゲラゲラ笑っているのを見て、僕の母がものすごく心配していましたね。まあ、そのときには準備万端だったのかなと。
(楓大) いや、そういうわけじゃなくて(笑)。できないものはできないし、できるものをがんばろうという感じで。
(母) 子どものころからイベントには弱いんですよね。イベントの度に何か問題を起こしちゃって。
(楓大)テンションが上がっちゃうんで(笑)。
(母) 運動会や文化祭で、友だちとケンカになってしまったりということがあって、よく先生に呼び出されていました。自分から仕掛けるということはなかったようですけど。
(父) 藝大に来たかった理由が、藝祭だということを後から聞いて。まさかそこが一番の理由だとは思わなかった(笑)。
(楓大) 学校見学を兼ねて藝祭を見たんですけど、すごく楽しそうだなと感じたんです。両親にも、「藝祭は自分たちのためにやっているお祭りだから」と言われて、じゃあ入って体験するしかないなと思いました。でも、こういうコロナ禍の状況のなかで入学したから、僕が見たような藝祭は体験できてないんですよね…。
──藝大の非常勤講師をなさっているお父様から見て、今の藝大生はどう感じていますか?
(父) 僕は数年前から大学院のプロダクトデザインを担当しているのですが、最近の学生は真面目ですね。授業が始まる10分前には全員教室にいますから。僕らの時代は、僕も含めて教室に入るのはギリギリか、遅れてでしたからね。最近は真面目だなと。まあ、息子を見ている限りはそうでもないんですけど。
(楓大) 結構みんなルーズだと思いますよ。1年生のころはみんな真面目だったんですけど、すぐに本性が出てきて。猫を被ってたんですね。
──受験のときはどうでしたか?
(楓大) 大変ですよ。両親が藝大出身なんで、下手な絵を描いたら家でケチョンケチョンに言われました。
(父) (笑)
(楓大) 元々イベントごとに弱いタイプなので、普段の成績はよくてもコンクールなどはダメだったんです。そうすると「美大受験は諦めて就職するか、生活習慣を改めて受験を続けるか」という家族会議に発展したりして。
(父) 浪人生とは思えないほど、自堕落な生活をしていましたからね。そういうことを理由に、生活習慣を改めるように教育していた部分はありますね。
──藝大に受かったポイントは何だったのでしょう?
(楓大) 僕は二浪の途中から精神的に限界だったんですよ。そのとき藝大は無理だからほかの美大に切り替えようかなと、藝大に対する欲をなくしました。そうすることでプレッシャーから解放されようと思って。無欲で受験したらいつも通りできたかなという。でも、試験中はめちゃくちゃ緊張してましたけど。
(父) 緊張してたんかい!(笑)
(楓大) 昼食におにぎりを持っていってたんですけど、緊張しすぎて吐きそうになりながら食べてました。
(一同) (笑)
(父) 二浪なのに。
(楓大) 3回目の受験で。
──無欲の勝利だったわけですね。
(楓大) そうですね。二浪までって決めていたので、悔いのないようにやろう、自分の持っているものをすべて出そうとは思っていました。
──将来的に、お子さんにはどんな道を歩んでもらいたいと想っていますか?
(母) 本人がしたいことをしてもらえればいいと思います。私たちの時代と違って、新しい道も増えていると思います。そういう道を探してきてくれるのを楽しみにしています。
(父) やっぱり自分の好きな道に進んで、好きなことをやって一生を終える感じになってくれれば、そんな幸せなことはありませんよね。それが仕事になればなおよし、みたいな。
──楓大さんは大学院に進むといったことは考えていますか?
(楓大) 立体系のほうが得意なのでそちらの方面に進むと思いますが、大学院は自分にとって明確なプラスがあるとわかったら行ってもいいかなという感じです。二浪していますし、このまま院に進んだら就職に不利になるかなと思うので、今は行かない方向で考えています。
(父) 就職する気はあるみたいですね(笑)。
(母) この間は、就職したくないってボソッと言ってましたよ(笑)。
(楓大) できれば働きたくはないんですけど、自分で作品を作って売るというのはめちゃくちゃたいへんなんで。就職するのが一番将来の安定につながると思うので現実的かなと。働かないで、楽してお金儲けしたいんです。
(一同) (笑)。
──それは全世界の人が思っていますね。でも、そのために今勉強しているのかもしれません。
(父) 30年近く企業で働いてきた立場からすると、好きなことでお金を稼げればそれに越したことはないと思います。趣味と仕事を両立させることは難しい面もあります。でも、好きなことをやっていれば、辛いことがあったとしても乗り越えられることが結構あるんで。全然好きでもないことを仕事にすると、心が折れて辞めてしまったりということもありますが、好きなことをしていれば踏みとどまれる。企業にいるといろいろなことがありますから、好きだけじゃやっていけません。本音を言ってしまえば、できることなら働きたくないですけどね(笑)。
──藝大を目指しているご家族に、実体験を踏まえたアドバイスなどありましたらお願いします。
(母) 結構質問されることが多いんですが、たいていは予備校の選び方から聞かれますね。うちの場合は本人が決めました。最初は私たちが行っていた予備校に通っていたんですが、彼が自分でデザイン科を受験するならここがいいというところを調べてきて、移籍しました。本人がいいと思ったのならいいかなと。できるだけ、予備校も本人に決めさせたらいいのではと思います。選択肢として候補は与えますけど、最終的には本人の肌に合うかどうかだと思うので。
(父) 美大は、私立向きか国立向きかという相性があると思います。まずはそれを見定めることが大事ですね。私立の美大は、映像だったら映像、立体だったら立体というように、最初からある程度コースが決まっているように思います。一方、藝大のデザイン科は入学した時点では「デザイン科」という枠しか決まっていない。なので、最初は立体を目指していても、グラフィックに興味が沸いたらグラフィックを選択することもできる。そこが藝大の最大の魅力なんです。だから、お子さんが美大という漠然とした考え方ならば、藝大はオススメだと思います。
文・撮影:三浦一紀