

「カマキリが高い場所に卵を産みつけた。今年は大雪になるかもしれない。」
秋が深まると、そんな会話が聞こえてくる。
私の前任校は、日本でも有数の豪雪地帯にあった。
いわゆる“雪国”で、私は十五年間、白銀の季節と暮らした。
このコラムを書くにあたり、何を書こうかと思案した。
他の先生方の文章を拝読すると、それぞれに個性があり、特に新任の先生方の原稿には、藝大で取り組むべき
授業や制作への意欲に満ちた感じが伝わってくる。
さすがである。私もそれに倣って芸術論でも語ろうかと思ったが、やめた。
ここはひとつ、雪の話をしようと思う。どうやら、そんな話をする人はいないようだから。
冬の朝は、除雪から一日が始まる。
夜のあいだに降り積もった雪が、腰のあたりまでこんもりと積もっている。
早朝、外から聞こえる除雪の音で目が覚める。
「あぁ、雪をかかなくては」まだ眠い体を起こし、分厚いコートを着こみ、手袋をはめ、スノーダンプを握る。
外は一面が白。大福のような雪の塊の中に、愛車がすっぽりと閉じ込められている。
掘り出さなければ出勤できない。
黙々と雪を掘り、運び、ようやく車を発進させるまでに二時間近くかかることもある。
昼のあいだにまた雪が降り積もれば、帰宅後にもう一度、駐車スペースを掘り起こさなければならない。
雪が多い年はこんなことを何度か繰り返す。雪国での暮らしとは、つまり自然とのとの戦いなのだ。
圧倒的な自然を前にすれば、人はそれを受け入れるしかない。
大雪が積もれば、雪と共に生きるしかない。
抗っても仕方がないのだ。
大切なのは、どう雪と付き合うか——つまり、どう楽しむか、ということだ。
では芸術との付き合い方はどうだろう?
時代の流れはときに冷たく、個人の表現が無意味に思える瞬間もある。
それでも、制作を続けていくしかない。
少しずつ掘り出していくうちに、自分の形が見えてくる。
楽しみながら手を動かしつづける。いずれ訪れる春に心を寄せながら。
私は雪国でそんなことを学んだのだと思う。
十二月。そろそろ新潟は、初雪のころだ。

雪に埋もれている車
写真(トップ):雪が降る高田公園
【プロフィール】
伊藤将和
東京藝術大学 美術学部芸術学科美術教育研究室准教授
1977年 福島県生まれ
2006年 東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程研究分野油画 修了 博士号取得
大学院修了後、教育研究助手を務め、2010年4月から2025年3月まで上越教育大学にて准教授。
同年4月より現職。
これまでに、「個展-生命の器」(喜多方市美術館)「個展-まなざし-」(日本橋三越)をはじめ、絵画を中心に作品を発表。
学校連携造形ワークショップ「うみがたりガラスペイントプロジェクト」 (新潟)など、教育機関との連携や、ワークショップを多数開催している。