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クローズアップ藝大 - 第三回 山村浩二 大学院映像研究科アニメーション専攻教授

連続コラム:クローズアップ藝大

連続コラム:クローズアップ藝大

第三回 山村浩二 大学院映像研究科アニメーション専攻教授

映像は危険。簡単にプロパガンダになってしまう

国谷

先生は、メッセージを押し付けることはしたくないとおっしゃっています。

山村

そうですね。映像は危険なんです。影響力が強いので、簡単にプロパガンダになってしまうんです。だからそんなことはしたくありません。メッセージを伝えるのではなく、さまざまな要素が絡み合った複雑なものを提示して、そこからそれぞれの人が何かを読み取れるものを作りたいと思っています。

国谷

大学時代にアニメーションを作り始めた頃から、そういう考え方だったのですか? 若い頃は、自分の個性とか、メッセージを前面に出したいと思いますよね。

山村

自分の個性を出したいとは思わなかったですね。自分はあくまで作品の背後にいる裏方で、作家名は分からなくてもいいと、思っていたんです。

何かを人に伝えたい、人を感動させたいという気持ちもなく、とにかく、新しいもの、今まで見たことのないようなものを作りたいと思っていました。

国谷

一貫して変わらない。

山村

僕のスタイルは、「スタイルがないところがスタイルだ」って言ったりしますが、「作品ごとに、一回リセットして考える」というやり方をしています。テーマとか、モチーフに合わせた技法とか、描き方とか、語り方とか全てリセットします。そして、自分ありきではなく、作りたいもの、漠然としたイメージに向かって手を施す。最初のモチベーションをキープして、常にそこに立ち返りながら作ります。

振り返って見ると、結局は、一貫してどれも自分自身でしかない訳ですけど(笑)。

今も、描きたいものやイメージがどんどん湧き出てくる

国谷

描きたいものがなくなってしまう、アイデアが枯れてしまう感じはありませんか?

山村

ないですね。若い頃は1本作るごとに全部放出してすっからかんになる感じがありましたが、常に次の作品を構想していましたし、今はすごく日常的に作品を作っていけるようになりました。なので、作っていて楽しいですし、ペースも速くなっています。今はいくらでも作りたいという感じです。

国谷

いくらでもイメージが湧いてくるのでしょうか。

山村

そうですね。それがなくなることはまったくありません。

 

学生に描かせる1コママンガは短編アニメーションに通じるもの

国谷

大学院の授業では、どんなことをされているのですか?

山村

僕がやってきたような短編アニメーションは、学生たちは見たことがない場合が多いので、まずは見て知ってもらうところから始めます。特に近代・現代の短編作品を紹介しながら授業をしています。

国谷

思想的な部分と技術的な部分があると思うのですが。どちらに重点を置かれているのですか?

山村

両方ですね。紹介する海外作品の作家とも交流がある場合が多いので、かなり具体的に、その作品がどのような発想から作られているのか、どんな技術が使われているかに加えて、その作品とほかの芸術との関連について示唆しています。

座学以外にも、演習も行っています。演習では具体的な課題を出して作らせています。考えるということとは何か? また自分の考えを超えた大きなもの、偶然性に気づく、そういう部分に刺激を与えたいな、と授業を組み立てています。

国谷

学生に考えさせるのですね。

山村

ある程度絵が描ける人たちが集まっているので、ストレートに自分がイメージしたそのものを描いて、伝わっていると勘違いしていることが多いんです。絶対そんなことはなく、もう1段階技巧的に考えて、自分が本当に思っているところ、考えを別の形にできるかを考えさせます。

演習の1⽇⽬に、まず1コママンガを描かせます。戯画、風刺画といわれるものですが、1コママンガはただの絵ではないんですよね。そこに意味があって、思想やストーリーがあって、いろいろなものが読めるわけです。批判的なものもあれば、思わず笑えるユーモアもある。その部分は短編アニメーションに通じると思っています。

たとえば、リンゴというモチーフがあった場合、絵画やイラストであれば、リンゴを平面で表現する描き方に重点が置かれるわけです。

一方で1コママンガは、リンゴをただ描いただけでは、どんなに上手く描こうと、リンゴがリンゴであること以上は伝わりません。でも、そのリンゴに何かプラスアルファがあって、意味が発生して、その意味とプラスアルファのオリジナリティこそが1コママンガです。それをビジュアルで表現しなければならない。「絵で語る」と言っていますが、絵で具体的なアイデアを語る例として、1コママンガを最初に描かせています。

国谷

絵に意味を持たせる訳ですね。

 

山村

はい、何かが起こっている状況を、ただ単に描写するだけではアイデアとは言えません。発明に近い、何かと何かを組み合わせて別な状況が発生したり、考えを可視化する為にもっとビジュアル言語として物語らないと、オリジナリティというレベルにはたどりつかないので。

 

創作をすることで真実に近づけるかもしれない

国谷

先生の著書の中で、「アニメーションはメッセージを伝えるために作っていない」とおっしゃっていますよね。「日々感じている美しくおもしろいこと、興味あることを伝えたい。ある真実を求めて制作をしている」と。あれはどういう意味なのでしょうか?

山村

簡単に言うと、ほんとうのことが知りたいということです。報道ならば、いろいろな社会の出来事を探っていく方法がありますが、僕らは日常的な感覚の中から実際この世界がどういうもので、何なのかを探る。簡単に言うと、実存の哲学みたいなことを創作を通じてやっているんだと思っています。

アニメーションはどちらかといえば、真実やリアリティの真逆のもの、誇張やファンタジー、幻想という風に捉えがちです。もちろんそういう特性を持っているものです。ただ、自分のように個人的な制作スタイルの場合、すごく自分の内面を見つめる作業になってくるんですね。写経をやっているような心境でしょうか。日々連続的な絵を描きながらいろいろ考えます。

そのなかで、世界の存在が果たして本当なのかを知りたいというか。子どもの頃に、宇宙の果てはどこにあるだろうとか、どうしてこの世界が生まれたのかとか、どうして僕たちはここにいるのかとか、そういうことを知りたいと思っていました。

国谷

自分も幼い頃、たくさんの疑問を持っていたのでしょうが、大人になるにつれ、忘れていってしまいました。先生は少年時代に、疑問につながるようなことを、たくさん経験されたのでしょうか?

山村

子どもの頃は、疑問やひっかかりを、ある意味必死に意識していたと思うんですけど、当然ですが、成長するにつれて薄れていったのは実感としてあります。ただ、ほんとうに根源的なものを知らずして、この世を去ってしまいたくない。もしかしたら、生きている間に何か分かるんじゃないか。そんな想いが常にありますね。

国谷

創作時は写経しているみたいだとおしゃっていて。確かに何十枚もちょっとずつ動かしながら同じシーンを描いてらっしゃると、そんな心境になるのでしょうか?

山村

根源的な何か、真実のようなものを、創作という行為の中で知ることができるのではないかと、思っているんです。それは多分、日常生活を送っているときよりも、創作をしているときの精神状態のほうがより深い思考に入りやすいので。

そう思うから、飽きずに創作を続けてこられたのかもしれません。創作をしていないと、逆に生きている実感を得られないし、自分自身の人生を見つめる行為がラフになってしまうのではという気がします。

創作の喜びに勝るものなし。その想いを学生と分かち合いたい

国谷

先生の元に来た学生たちには、何を学んでほしいと思っていますか?

山村

多くの学生は、大学院のこの環境に入ったことで、それがゴールと感じているように見受けられます。今はアニメーションを作っていても、その人にとって本当に進むべき道は、違うかもしれません。表現の可能性は無限にあるので、それは必ずしもアニメーションである必要はないわけですね。なので、そのきっかけとして考えて、自分自身がやっていることを客観的に見て、考える力を2年間でつけてくれたらいいなと思っています。

国谷

アニメーションは、その人の人生の中でたまたま見つかった表現方法かもしれないということですか?

山村

そうですね。常に自分でやるべきことを探っていけるようにしておけば、自分にも周りにも惑わされないで、考えていけると思います。

国谷

自分が大学生だった頃に比べ、これだけ世界が複雑になって価値観も多様になってくると、進むべき道が見つけにくいような気がします。

山村

情報に振り回されやすくなっていますね。迷子になりがちです。

常に自分に問いかけていてほしいので、ゼミで話す時などは「問いかけ」からスタートします。何にでも「絶対」はなくて、それぞれにいろいろなきっかけがあって、たまたまたどり着いた偶然性。そして、理想との距離感。さまざまな理想に近づいたり、ずれたりしている、そんなことを意識してほしいですね。

国谷

アニメーション制作は自分の内面を見つめる作業だとおっしゃっていましたが、先生ご自身が探し続けていると。

山村

そうですね。たくさん作品を作ってきましたけれど、まだまだできていない、見つけられていないと思います。でも、「作ることは楽しい」と伝えていきたいです。創作に勝る喜びはないと考えています。どんなものでも、いろいろな社会的、物理的な制約があるんですが、自分のイマジネーションを発揮している瞬間って、何からも縛られていない、何でもできる世界です。その喜びを学生と一緒に分かち合いたいと思っています。


【対談後記】

創作を通して根源的な真実、本当のことを知ることができるのではないかと自分の内面を見つめ、思考を深めていく。そのことが生きる実感につながっているとおっしゃっていた山村先生、日々精神性の高い自分との対話をされている方は創作していないときはいったいどのように過ごしているのだろうかと思い尋ねました。 

実に楽しそうな表情で劇映画をたくさん見ていますという答えがかえってきました。最近では月60~70本。サイレント映画から最近のものまでジャンルや国も問わず観ていて、映画とはなんだろうという問いかけに近づきたいという想いがあるとおっしゃっていました。どこまでも真摯に自分のなかに生まれる問いを追いかける方だと思いました。

そして好きな映画を尋ねると“生涯ベスト1はフランスの監督、ジャック・タチのプレイタイム”と迷わず言われました。そしてそこからこの映画についての山村評がほとばしり、止まらなくなりました。

帰宅して早速「プレイタイム」を注文しましたが、まだ鑑賞できないまま。お楽しみはとってあります。


【プロフィール】

山村 浩二
大学院映像研究科アニメーション専攻教授 1964年愛知県生まれ。1987年東京造形大学卒業。90年代「パクシ」「バベルの本」などNHKなどで子供向けのアニメーションを制作、2002年に第75回アカデミー賞®短編アニメーション部門にノミネートされた「頭山」以降、「年をとった鰐」「カフカ 田舎医者」(松竹)「マイブリッジの糸」(NFB)など大人向けの短編アニーションを制作。それらのアニメーションは、アヌシー、ザグレブ、オタワ、広島の4大映画祭でグランプリを受賞など90以上の映画賞を受賞。 絵本作家としても活躍、「おやおや、おやさい」(福音館書店)「ぱれーど」(講談社)など60タイトルを出版、20の海外翻訳がある。 また2017年、NHKおかあさんといっしょのエンディング曲「べるがなる」の作詞を手がける。 著書に「アニメーションの世界へようこそ」 (岩波書店)、「創作アニメーション入門」(六耀社)。 川喜多賞、芸術選奨文部科学大臣賞、紫綬褒章受章。米国アカデミー賞(映画芸術科学アカデミー)会員。

http://www.yamamura-animation.jp


ライター/撮影:三浦一紀