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クローズアップ藝大 - 第七回 熊倉純子 大学院国際芸術創造研究科教授

連続コラム:クローズアップ藝大

連続コラム:クローズアップ藝大

第七回 熊倉純子 大学院国際芸術創造研究科教授

原点となるアートマネジメント講座の企画運営

熊倉

帰国してしばらくすると、多くの一流企業に文化の担当というのができてきたけれど、企業の人はやり方も分からないし、どうやって説得してお金を使えばいいのかもわからない。それは社会の縮図であるとも思いました。
トヨタ自動車さんは企業メセナ協議会で重要な役割を果たす企業の一つだったんですが、ある時、トヨタの担当者から、「芸術家の支援も大事だけれども、一般市民は芸術家のことがわからないし芸術家は一般市民がわからないから、その間をつなぐようなアートマネジメント講座をやらないか」と言われたんです。それで週に1回、音楽と美術と演劇(舞台芸術)分野の名だたる講師を呼んで講座を開くようになりました。これから社会に支援を要請するにあたって、自分の作品がどういう歴史的な位置付けにあるか知らなかったら、要請できないじゃないですか。それが「トヨタ・アートマネジメント講座」です。96年から2004年にかけて、全国32地域にて53回開催しました。

国谷
全国で53回も! 企画運営をしていたのですか?

熊倉

トヨタさんはパッケージにすればいいと言ったけど。
国谷
それは無理ですよね。

熊倉

そう。それでは動かない。キーパーソンとなる人を東京から2人ぐらい行かせて、受け皿になる人をマッチさせて、地域の問題点を見つけてコーディネートしていく。お客さんもそこそこ集めないといけないし。
国谷
それに「アートマネジメント」って言っても理解されなかったのでは?

熊倉

その通りですね。「この街には文化はありません」、「アートマネジメントなんて誰も聞いたことないですよ」って何十回も言われました。比較的大きな街でもです。
国谷
苦労しましたね。外から来た人にはなかなか心を開いてくれませんよね。

熊倉

東京から来たフランス帰りの姉ちゃんが何言ってんのか、と。
国谷
その地域の、「この人の話ならみんな納得して聞く」という人を見つけるのだって大変だし、公共性も考えなくてはいけないし、スタッフだってそんなにいないでしょうし。

熊倉

はい。最初は、「全国回って、美味しいもの食べて、温泉に入ろう!」と言っていたけど、温泉に行けたのは一回だけ(笑)。
国谷
この経験が、今の熊倉純子の血となり肉となったわけですね。

アートマネジメントの必要性

熊倉
地域の人が「ここには文化なんてない」と言い、企業やその地域で頑張っているアーティストも含めて芸術に関わる人全員がすごく疎外されている感じで、これはまずいと危機感を持ちました。

それともう1つ。それは、フランスでも感じたもので、「現代美術はお金持ちのもの」という考え方。現代美術のギャラリーとコレクターと美術館がある意味結託しているので、現代美術はお金持ちのコレクターのものと考えられていました。尊敬する先輩キュレーターたちも、そう言っていました。そこで自分の中に、「お金持ちじゃない人と芸術は出会えないのか。どうやったら誰でも出会えるのか」っていう命題が出てきたんです。この2つは、アートマネジメントをする上で、常に根底にあります。
国谷
日本でアートマネジメントがここまで注目された理由というのは、他にもあったのでしょうか?

熊倉

2001年に文化芸術振興基本法という、国が芸術を支援しなければならないという法律ができました。地方自治体はバブルの頃、公民館の建て替えで素晴らしいホールを建てたんです。いわゆる箱物行政ですね。2000人の収容人数、たとえば、チェロの独演だと最後列まで音が届かないような、使用目的が限られたホールです。建てた時は土木・建築業が儲かったけど、後でメンテナンスにお金がかかる。そうなると建てたきりで何にも使わない。法律は、そういう自治体や民間の文化支援に後押しされるような形で、21世紀になって半世紀ぶりに文化政策という形で新しく出てきて、アートマネジメントの必要性が意識されるようになってきました。

バブルがはじけて豊かな国へ

国谷

その後、2002年に藝大音楽学部助教授になりますが、アカデミックな場所で働くとは考えていました?

熊倉

いや、全く。自分には合わないと思ってましたね。あまり表には出ていませんでしたが、おそらく私の活動がどなたかの目に留まったんでしょう。明治生まれだった祖母はとても喜んでくれました。

最初に赴任した音楽環境創造科はまず取手に設置されました。取手では1999年からアートプロジェクトをやっていて、紆余曲折を経て20年続いています。
国谷
取手アートプロジェクトとはどういうものですか?

熊倉

市民と取手市、東京藝術大学の三者が共同で行っているアートプロジェクトです。若い芸術家たちの登竜門になりたいと市民の方が提案してくださって。
国谷
え? 市民の方たちが提案してくださったの? 

熊倉

そうなんです。取手の街をフィールドとして、若手アーティストの作品を置いていくということをしたり。不動産屋さんが貧乏なアーティストにも親切なので、アトリエが多いんです。農地がたくさんあるので「食」と「農」の問題に取り組んだり、高度成長期に建てられた大きな団地では、空き室があって困っているという住民の暮らしに寄り添って、そこでプロジェクトをやったり。
国谷
地域と大学との素晴らしい関係が生まれているっていう感じですね。

熊倉

取手市役所の人達もコロコロ変わるじゃないですか。着任当初は不要論を言うんですけれども、市民の方たちが「何を言うのか」って反論してくれて。だんだん市役所の人も軟化していきます。
国谷
一泊するプロジェクトってありましたよね。一家族が一晩お泊りするっていう。

老若男女ホテルマンたちがゲストを迎える「サンセルフホテル井野団地」。ゲストが自ら太陽光エネルギーを蓄電し、そのエネルギーで一晩を過ごす

熊倉

はい。アーティストと住民たちが宿泊者に過剰なおもてなしをする、というものですね(笑)。地元の方は、自分が関わったアーティストたちが成長してくれたらいいなぁなんて思うわけですね。それはアートプロジェクトに限らない。

ある漬物屋さんは、お店の建て替えをする時に2階をギャラリーにしてくださった。日本画の学生が、そこで仲間たちの作品を一律2万円で販売したんですが、なんと完売したんです。普通そんなに売れないですよ。おじいさんが「孫の誕生日祝いに作品を買ってあげよう」と、お孫さんを連れてきてくださったこともあった。「なんて豊かな国なのかな」と感動しました。

お店を改装するならギャラリーを作ろうと思ってくれたこと。無名の学生たちの展示即売会を開いてくれたこと。それが子供の将来の財産になると思ってくれていること。孫に伝えたいと思ってくれていること。「あーバブルがはじけて良かったな」と思いましたね。あんまり美談ばっかりではいけないと思うけれども、そういう文化が根付いたっていうことが感じられて嬉しかったですね。

取手合宿計画?!

国谷

私はSDGs(持続可能な開発目標)の取材や発信といった活動をしているんですが、例えば地球温暖化にしてもプラスチックの問題にしても、もっと社会課題として、人々に「あ、そうだね」って気付きを与えるような何かが、芸術によってできないかなといつも思っています。

熊倉

実は以前から、国谷さんと一緒に取手校地で合宿をしよう、みたいなことは考えていたんです。
国谷
合宿?! ディープですね。

熊倉

藝大のいろんな学科の学生が一緒に参加できたらいいなって。芸術と社会との関係を考えるとか、作品ではなくて“場”を作るにはどうしたらいいのかとか、そういう課題について一般企業の方も交えてグループディスカッションしたりとか。そんな短い期間で実りある提案は滅多に出てこないんだけど、発想の転換にはなりますよね。そういう社会課題があるんだということを、デザイン科の学生はそのうち知らなきゃいけなくなると思うけど、他の学生も知っておいたほうがいい。そういう全学共通の社会課題講座をやりたいなあって前から思っていたんです。
国谷
ぜひ一緒に考えましょう。よろしくお願いします!

 


【対談後記】

6年に及んだフランスでの滞在から帰国した熊倉さんが出会ったのがアートマネジメント講座でのアルバイトの仕事。アートマネジメントをキャリアとして目指したわけでもなく、芸術と語学が分かるからと誘われるまま足を踏み入れ、その頃まだ新しかった世界でいつしか第一人者となっていた。キャリアを形成していく話がいろんな寄り道話に彩られていて時間があっという間に過ぎました。

「長い伝統文化がある日本なのに芸術が市民社会の中でアップデートされていない。疎外感を持っている人たちがいる。」「アートマネジメントとはアーティストと社会をつなぐもの。つなげる人がいないと案外出会えない人たちがいる。」藝大のキャンパスがある千住や取手を中心に熊倉さんは学生たちと共にアーティストと市民とが出会える場を作る実践を続けています。

マネジメント能力の高い卒業生たちの就職先はゲーム会社、チームラボの制作スタッフからプロジェクトマネージャー、自治体、人材派遣会社に不動産関連と実に多彩です。

幅広い世界で芸術と社会との距離が近づくきっかけが次々と生まれていってほしいと思います。


【プロフィール】

熊倉純子
1958年生まれ。慶應義塾大学文学部文学科仏文学専攻および同哲学科美学美術史学専攻 卒業。パリ第十大学・パリ第一大学留学後、慶応義塾大学大学院文学研究科修士課程哲学専攻 修了。 (社)企業メセナ協議会を経て、2002年より本学音楽学部助教授、2007年より准教授、2010年より教授。2016年より現職。 アートマネジメントの専門人材を育成し、「取手アートプロジェクト」(茨城県取手市)、「アートアクセスあだち―音まち千住の縁」(東京都足立区)など、地域型アートプロジェクトに学生たちと携わりながら、芸術と市民社会の関係を模索し文化政策を提案している。


撮影:永井文仁