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クローズアップ藝大 - 第十六回 澤和樹 学長

連続コラム:クローズアップ藝大

連続コラム:クローズアップ藝大

第十六回 澤和樹 学長

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藝大出身者は企業の戦力になりうる

国谷

ここ1、2年で頑張っているところとしてはキャリア支援があります。卒業生に行方不明者が多いところをなんとかしなきゃいけないと。卒業したら独立して自分の道を見つけ、ひとりの芸術家として歩まないといけない、就職するのは格好悪い。そういう藝大の今までの風潮は変わってきていますか?

そうですね。自分が専門として習得したものだけで生きていける人は5人に1人ぐらいだから、そういう人だけが評価されるというのは間違っていると思います。そういうことだから親たちが子どもを藝大に入学させるのをためらうようになってしまった。藝大を出て一般企業に行ったとしても、そこで藝大で学んできたことを無駄にせずに生きていけるような方法は絶対にあると思うんですよね。それが特にこれからの企業の戦力になりうるので、それを企業側にも学生側にもわかってもらいたい。今後、例えば医療とか福祉の分野で藝大卒業生が活躍できる可能性が見えてき始めているので、それをシステム化できるといいなと思っているんですよね。

国谷

それは新しい学科のようなものを作るということですか?

学科までいくかどうかわからないけども、アートセラピーとかミュージックセラピーっていうのはアメリカなどの海外では相当進んでいて、職業としてのステータスもあるし、収入もかなり高いそうです。そういうものが日本ではまだ確立できていない。超高齢化社会で医療費と社会保障費がものすごく国家財政の負担になっている中で、医療費を保険でカバーするのではなくミュージックセラピーとかアートセラピーにかかる人材の方にお金をかけてもらえば、ただ医学に頼るよりもずっと、例えば認知症の治療に役立つとか、そういうことが見え始めています。まだ自分の中でもやもやとした状態ですけど、近々もっとくっきりとした像を結べると思います。

国谷

先生は芸術と医療、あるいは福祉について強い関心をお持ちですね。音楽による医学的な影響とか人間の神経との関わりとか、そういったことの解明にも関心があるのかなと思いましたが。

クラシックの名曲がなぜ200年300年経っても色あせないのかということを考えたときに、音楽も他の芸術作品もそうだけど、やっぱり人間が持っている基本的なバイオリズムと密接に関わりがあるんじゃないかと思って。モーツァルトの音楽を聴くと呼吸が整ってリラックスするとか、そういうものを科学的に解明してみたいという興味もある。ある意味ロマンティックになるけれど、地球の他にも数え切れないほどたくさんの星があるのに他の生命体は見つかっていないですよね。それぐらい奇跡的な状況で地球は多くの生物を育んできている。海の波が寄せては返すのがちょうど人間の呼吸数と合っていたりするのは、やっぱり海の中で生物が生まれてきて、生きながらそういうリズムを感じているのが人間の呼吸になっているのではないかと思ったり。そういうことが音楽のテンポとかリズムと呼応しているんじゃないかなと思います。

国谷

企業による就職説明会のような、普通の大学で行われているようなことも、システマティックに行う必要があると思いますか?

そうですね。藝大の学生でももちろん個人ベースで就職活動をやっている人はいるかもしれないけど、組織的には全然やらないし、その必要もないと思います。ただやはり藝大生に興味を持ってくれるような企業があればどんどん大学に来てもらって、そういうところで学生たちがピンと来て、そっちの方に行こうと思ってくれればそれはそれでいいと思います。

国谷

就職することは別に負けたことにならないとか、学生たちのマインドセットも大事ですよね。

そうですね。教員もずいぶん変わってきていると思いますけれども、中には就職することを潔しとしない人もいるようです。

国谷

企業で働くためのコミュニケーション力だとかTPO的な部分とか、大学としてサポートきるところはいろいろありますよね。

いいところを伸ばすと同時に、足りないところがあれば大学も協力しなきゃいけないと思います。

藝大は一等で当たり前

国谷

日本は、先進国の中でも文化芸術や教育費にかける国の予算が最下位のランク。国の予算に多くは期待できない中で、先生は、経済界との関係を強化しようとされています。藝大の価値を経済界の人たちにもっとわかってもらえるためには、どのようにすればいいのでしょうか。

今すごく求められていることを実感しているから、それに応えていくしかないと思います。日本の人づくりというところを一緒になって改革していかないといけない。そういう意味では藝大はすごい味方を得られると思うんですよ。

国谷

チャンスですね。

今、国谷先生が進めてくださっている藝大のSDGsでは、下地となる考え方に「十七の的(まと)の素(もと)には芸術がある」があります。これは、国連が示した17の目標に芸術という言葉は含まれていないが、その目標を実現するのは人の心を動かす芸術の領域があるという考えですが、これはただの売り文句じゃなくて、そこを世の中に理解してもらえるようなことをしていくべきだと思います。そうすればおのずと芸術あるいは藝大に対して支持してくれる人も増えてくるでしょう。

国谷

藝大の第三期中期目標では、研究分野と教育分野に対して文科省から特筆すべき成果を上げていると評価されました。

もちろん喜ばしいことではありますが、唯一の国立の芸術系大学なのだから、ある意味、藝大は一等で当たり前だという自負があります。だから外国の一流教育機関と比べてどうかというところを目指さないと。

例えば藝大はベルリン・フィル・カラヤン・アカデミーと提携をしている世界で唯一の大学組織ですし、今度、英国王立音楽院のパートナー大学の一校としてサー・エルトン・ジョンの基金で学生交流や教員交流を行うプログラムが始まるんです。世界的なプレゼンスという意味ではさまざまな取り組みが挙げられます。

国谷

国際的な素晴らしい機関との連携が実現しています。

2016年にスタートした大学院美術研究科のグローバルアートプラクティス(GAP)専攻も、ロンドン芸術大学、パリ国立高等美術学校、シカゴ美術館付属美術大学といった海外の機関と連携してかなり成果を上げているし、すごく頼もしいと思っています。

国谷

海外の学生が藝大で学びたいと、また先生方もここで教えてみたいと選ばれるような大学を目指すということですね。
藝大の行く末として、楽観的になれるところと心配しているところはどこでしょうか?

楽観的というか、今が本当に風向きがチャンスなので、これをいかして藝大とか芸術全体をもっともみんなが大事に考えてくれる、必要としてもらえるような、そういうムードにしていかなければいけないと思います。

藝大の一番の応援団長になりたい

国谷

心配なところはどこですか?

例えばキャンパス問題というのはやっぱり一筋縄ではいかないですよね。上野キャンパスは本当に美しいし場所も最高だけど、上野公園の中にあるために建物の高さ制限もあって十分なスペースがない状態です。この辺も国とか東京都に働きかけて何とかしたいですね。あとは横浜キャンパスも、もともとは中田宏さんが横浜の市長だった時に、映像研究科が設置され立派なスタジオまで用意してくれたのにそれがその後の横浜市の事情でなくなり。この状態は音楽でコンサートホールがなかったり美術に美術館がないのと同じように大変情けない状態です。こんな中でも素晴らしい成果を出しているので、ぜひ横浜市のご支援をお願いしますと、先日、山中竹春新市長にお話ししてきました。

国谷

お金の問題とスペースや施設の問題と、ぐるぐると同じ悩みが回っている感じがしますね。

国ばかりに頼ってもいけないけれども、同時に国に芸術あるいは藝大がどれくらい重要なのかということを、もっと訴えていかなければいけないですよね。藝大のため日本のため世界のためにはこれが必要だというようなパッションで訴えていかないと。

国谷

学長として日本の芸術家が置かれている状況や藝大が置かれている状況を知り尽くした澤先生が、これから一番大事だと思われるのは、やはり人づくりなのですね。

3月末をもって学長というポストからは離れられますが、これから何をやっていきたいですか。ひとりの芸術家として、そしてここまで藝大に関わったおひとりとして。

常に藝大の一番の応援団長にはなりたいと思っています。あとは藝大の学長の6年間もそれなりに演奏活動をやっていましたが犠牲になった部分もすごくある。国際コンクールの審査のお話があっても、2週間は留守にできないからお断りしたり。これから大手を振ってできます。やっぱり演奏家としての賞味期限が切れないうちにどんどん演奏活動をやっておきたいですね。

リベラルアーツの普及とか日本のための人づくりの活動も、やりかけたことだし、どういう立場になるかわからないけれどやっていきたいですね。

国谷

五十年も藝大を歩き続けてきて、その藝大でのいわゆるオフィシャルなポストがなくなるという、本当に先生にとっては転機になるわけですよね。

留学時代の4年間を除けば藝大というものは常に肩書にあったので、そこから初めて卒業するわけです。どうなるんですかね、4月から。どうやって生きていこう(笑)。

藝大は末永く見守っていたいから、2年前に寛永寺にお墓も移したんです。草葉の陰からでも応援できるように(笑)。徳川吉宗のお墓のすぐ近くです。吉宗は私の出身地、和歌山紀州藩の出身で縁もあります。ここ(藝大)から歩いて5分で行けます。

国谷

とことんですね、先生(笑)。藝大愛を感じます。藝大に対して何か一言頂ければ。

わが東京藝大は永久に不滅です!

国谷

ありがとうございます。藝大は創造の源泉ですからね。

最後に、もし、お子さんに音楽を習わせている方から、「どうしたらいい音楽家になれますか?」って聞かれたら、どうお答えになりますか?

あまり期待しすぎないことじゃないですか。期待が大きすぎて嫌になっちゃった人は多いですからね。僕は両親とも音楽と関係がなかったから、そういうプレッシャーは一度も感じたことがないので、幸運でした。父は優しく見守ってくれていました。でもさすがに高校から東京で音楽の学校に行くって言ったときは猛反対しましたけど。母はある程度期待をしていたと思いますね。その業界のこととか全く分からなかったけど、わからないなりに応援してくれました。

うちの娘は両親ともに音楽家だから、逆にすごいプレッシャーがあって気の毒だなと思うこともあります。だからあえて教えなかったんです。今は演奏仲間として一緒に楽しく演奏をしています。

 


【対談後記】
澤学長は“カズキチャマ”というゆるキャラで親しまれてきました。その穏やかな口調で静かに2時間近く語ってくれました。想いにじっくり耳を傾け印象に強く残ったのが“危機感”、そして“今が藝大にとってチャンス”ということでした。
大学の芸術部門の予算が大幅に削られ、理数系に重点が置かれるようになる中で、芸術を志す人が減少しているのは藝大にとっての大きな危機。このままでは「藝大の生きる道は閉ざされる」とまで言い切られました。
藝大で学ぶ人材を「磨き上げて世に出す」と同時に、これからは卒業後のキャリア支援や卒業生の活躍の場を広げる取り組みを藝大が自ら積極的に行っていくことを通して、芸術がいかに必要か理解を広げていかなければならないとの強い想いが伝わってきました。そして産業界でリベラルアーツへの関心が高まっている今こそチャンスだとしていました。
「藝大の一番の応援団長」になりたいと少し照れながら言った“カズキチャマ”の表情が忘れられません。

 

今回は、澤学長の3月末での退任にあたり、縁のある場所で撮影を行いました。

まずは、奏楽堂です。奏楽堂は1998年に設立され、ヴァイオリン奏者である澤学長にとっては馴染みの場所です。学長就任後は、演奏会の他、入学式、卒業・修了式などで壇上に上がりました。昨年はコロナ禍で延期になった新2年生の入学も開催され、一日計4回の式典で学生を迎え入れました。

 
続いて、作曲家のショパン、ベートーヴェンの銅像です。それぞれの音楽家、作曲家への想い、学生時代の思い出を語りました。藝大には至るところにたくさんの銅像があり、澤学長が学長になる前はほとんど人の通らない目立たない場所にあった東京音楽学校初代校長の伊澤修二の銅像を、奏楽堂を見守るような場所に移動したエピソードなどが披露されました。

道路を渡り美術学部側のキャンパスにある岡倉天心像の前にて。岡倉天心はアーネスト・フェノロサらとともに東京美術学校の設立に貢献した東京美術学校の初代校長です。
さらに、澤学長が学長に就任してから、藝大と小学館の共同事業として2018年に設立された藝大アートプラザです。在校生、卒業生の作品を手に取って購入できる場所として、社会に、世界に開かれた、いわば藝大の出島です。カズキチャマのキャラクターグッズなどの藝大オリジナルグッズもあります。
最後はレンガ造りの音楽学部側正門です。大正3年に作られ、100年もの間、藝大生を見守り続けた正門ですが、2018年にその劣化が判明し、地震や災害に強いものにするため正門再生プロジェクトが立ち上がりました。卒業生や地域の人々の記憶に残る、歴史ある姿を100年先に受け継ぐためのプロジェクトです。従前のレンガを取り外し洗浄した後、強固な基盤を持つ新しい柱の表面に、そのレンガを取り付けています。

【プロフィール】

澤和樹
学長 昭和30年、和歌山市生まれ。 東京藝術大学大学院音楽研究科器楽専攻(ヴァイオリン)修了。 平成25年4月から副学長、平成26年4月音楽学部長を経て平成28年4月から現職。 国内外で多数の音楽コンクールや演奏会に参加し、ロン=ティボー国際コンクール第4位やミュンヘン国際コンクール第3位、和歌山県文化賞受賞などの功績がある。また、平成27年5月には英国王立音楽院名誉教授に就任している。


撮影:新津保建秀