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クローズアップ藝大 - 第十八回 山下薫子 音楽学部教授

連続コラム:クローズアップ藝大

連続コラム:クローズアップ藝大

第十八回 山下薫子 音楽学部教授

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一度型にはまってから脱皮する

国谷

日本の専門的な音楽教育は、まずは高度な技術を身につけることを目指して、それ以外のことは後で身につければいいというような考え方が支配的だったと聞いています。その結果、日本から多くの優れた音楽家が輩出されましたが、一方で日本人の音楽家に対して、「個性がない」とか「テクニックは優れているけれど精神性に欠ける」といったことが、かなり長い間、言われてきたと思います。このことについてはどうお考えですか?

山下

自分がそうだったということで、少し古い考え方かもしれませんが、やはりいったん型にはまって、型から抜け出す、脱皮するエネルギーで自分が解放される感覚が大事だと思っています。どう脱皮するかはその人の興味・関心や教養、音楽外の経験、そういうものに支えられるのではないでしょうか。

国谷

まずは型を教え込むという傾向はいまだに強いのでしょうか?

山下

今はすこし違うと思います。私が子どもの頃は、楽譜にすべてが書かれている、他人の演奏を聴いて真似をするのではなく、楽譜から読み取りなさいと言われていました。でも、聞いたことのない外国語の単語を見ただけでは、どう発音すればいいのかわからないのと同じで、聴かないとその楽曲の様式や背景に根付いたものが理解できず、解釈も生まれません。知識や想像力の不足は、レッスンで先生に補っていただくしかなかったわけです。
今は音源も映像も豊富に手に入り、楽曲の背景を学ぶことも自分の興味次第でどんどんできます。演奏スタイルを身につけるためには、ある程度、型にはまることも必要ですが、型にはまることで見方や考え方が方向付けられてしまうこともあるので、どのような型にはまるのかは慎重になる必要があると思います。

国谷

どの型かというのは出会いもあるでしょうし、指導者との出会いも大きいですね。

山下

以前、ピアニストの園田高弘(1928-2004)について、音楽教育の視点から研究しました。園田は、小さい子どもと大人では教え方が違っていて、大人に教えるときは自分の生き様を見せようとしたそうです。彼は、文学や絵画や楽曲の背景を学んで演奏を構築していたわけですが、その内容を語るのではなく、その過程を生き様として見せた。そしてレッスンでは、指導というよりも、アドバイスをするというような、対等な人間関係であったといいます。そういう指導でないと、本当の個性は伸びないという気がします。

国谷

山下先生は園田さんの「楽譜を見ればピアノは弾ける。しかし、その背後にある文化を知る情熱なしに、何が表現できるだろうか?」という言葉を論文の中で引用されていました。先生の理想とされる教育も、テクニックだけではなくその楽曲の背後を学ぶという、知的な部分も要求されているのでしょうか。

山下

テクニックというのは、この音色を出したい、こう表現したいというイメージがあって初めて意味をもつものなのですね。私はある時点まで、例えば色を載せる前に下絵の構図を決めるように、一通り弾けるようにしてから表情を付けるものだと思い込んでいました。でも、実際にはそうではなくて、テクニックと表情は対応しているので、いくらきれいな音を出すテクニックを持っていても、それだけでは表現できないと気付いたのです。
学部時代、ふとした瞬間に「私の演奏はピアノの音がする」と感じたことがありました。ピアノを弾いているので当然ではあるのですが、ピアノの音しかしない演奏というのは、どんなにきれいな音であっても、少し聴いたら飽きてしまうんですね。オーケストラ楽器の音色とか、自然の音を想起させるようなパッセージ(楽節)とか、そうした多彩な味わいを楽譜から読み取るには、楽曲の背後を学ぶという知的な作業がどうしても不可欠になります。

国谷

楽譜に忠実に演奏するテクニックを持っていても、それだけでは音楽は表現できない。この音色を出したいという主体性を持ってテクニックを習得する。その上で構築された演奏は「ピアノの音がする」のではなく、多彩な味わいを持つのでしょう。今おっしゃったことは、演奏家の個性とは何かということにもつながると思います。個性についてはどうお考えですか?

自分が真実だと思うことを表現する。それが個性

山下

個性というのは、自分の感性が根源にあって、その感覚(いい/悪い、好き/嫌い、気持ちいい/気持ち悪い)に基づいて学んだり吸収したりして、その上で自分がこれだ、これが真実だと思えることを表現することだと思います。
もちろん聴衆の共感を得ることも自分を客観視する意味で必要でしょうし、共演者との交流を通して感性が磨かれることもあるでしょう。そういう体験を積み重ねていって自然とにじみ出てくるものが、個性なのかなと思います。ですから、自分の内側から生まれてくるものと、人との関係性の中で築かれるもの、どちらも必要でしょう。

「日本人の演奏は個性がない」と言われていた時代は、楽譜に忠実に演奏することがよしとされていた時代でもありました。今の演奏家たちに個性がないとは感じていないので、あまり心配はしていませんが、多種多様な情報が簡単に手に入る時代だからこそ、音楽の文化的背景を知ろうとする情熱を失わずにいてほしいと願っています。

国谷

かつては楽譜がすべてという考え方で、演奏家の主体性は抑えられていた。その一方で、ひとりの人間としての感覚や主体性を尊重すべきだという考え方もあり、その二つが、お互いに強くなったり弱くなったりしてきました。今のお話を伺って、先生は演奏家の主体性を大事にされていると感じました。

山下

自分の中でも揺れていると思います。演奏スタイルは、歴史的にも主観と客観を行きつ戻りつしていると思うので、これが正解というものがあるのかどうかはわかりません。ただ、演奏家として長く活動を続けるためには、独善的・恣意的になることなく、なおかつ自分に正直であることが大切だと思っています。

国谷

附属高校では個性について生徒たちにどういう教育をされていますか?

山下

附属高校の生徒たちは14、5歳で専門を決めて入学し、ただでさえ多感な時期に個性を求められ、自分と向き合わなければなりません。アイデンティティの確立の時期でもあるので、ものすごく葛藤がありストレスも多い。個性というものがなんだかわからないうちに個性を求め過ぎても負担をかけてしまうので、可能性や選択肢がたくさんあるということを示すことが大切だと考えています。単に奇をてらった演奏をしても、個性があるということにはならない。自分の感覚に根ざして自分で考えているか、そして自分で生み出しているかということ。それを絶えず自分に厳しく問い続けることが大事だと思います。

国谷

音楽の技能以外にはどんなことを教えるべきだとお考えですか?

附属高校の卒業式(2021年3月9日)

山下

実は今まで附属高校には教育目標というものがなかったのですが、社会的な要請もあり、去年はじめて設定しました。

教育目標

グローバルな視点をもち音楽の力で未来を切り拓く人材の育成

グローバルな視点を持ちながら、自分たちが取り組んでいることがどう社会に還元できるのか問い続ける、という教育目標を掲げています。なぜ今まで教育目標がなかったのかというと、演奏家や作曲家を育てるということが目標として自明だったからだと思います。でも今は、音楽が社会の中で役に立つのかが問われるようになってきて、生徒たちも自分たちがどんなふうに世の中とかかわれるのかとか、音楽というものはどういう背景で成り立っているんだろうかとか、そういうことを考える必要が出てきました。
生徒たちにはまだ自分が「人材」であるという認識はないと思いますが、附属高校では専門教育としての人材育成を行うべきだと考えるので、それにふさわしい視野のようなものを必要に応じて提示することが大事だと思います。みんな優れた技能を持って入学してきますが、演奏や創作の活動がすべてではなく、ほかにも可能性がたくさんあることを伝えて、その中で自分の道を見つけてくれればいいですね。他者と関わることで1+1が2ではなく、もっと大きなエネルギーが生まれることや、音楽を音楽以外のことと関連づけながら自分の道を切り開いていくようなクリエイティブな生き方がある、そういったことを伝えていきたいです。

国谷

先ほどの園田高弘さんの言葉にあるように、「背後にある文化を知る」という点から見ると、早くから芸術一般に広く関心を抱くような教育をすべきだというふうにも考えられます。

山下

そうですね。今は教育課程に「総合的な探究の時間」がありますので、その時間を使っていろいろな芸術や文化に視野を広げる取組みをしようと検討しているところです。

国谷

最近ヴァイオリニストの庄司紗矢香さんがおっしゃっているのを新聞で読みました。そもそも自分の中で音楽だけの世界なんてない、演奏するだけじゃなくて映像、写真も撮りたいし絵も描きたい。すべてがおのずと結びつく、精神的な領域というものを感じるだけだと。

山下

音楽には、鳴り響く音という物理的な世界がありますが、それには歴史的な背景があり、様々な文化と結びついています。そして、抽象度を上げて考えていくと、精神的な領域に行きつくのでしょう。例えば、「音楽は哲学である」という言葉があります。思索を言葉で語れば哲学ですし、それを音にすれば音楽になる。庄司さんのおっしゃるように、精神的な領域といったものを感じ取るのは芸術の本質であるので、多様な芸術分野の体験を経たあと、その垣根を超えた本当の表現の境地に至るのかもしれません。

国谷

精神的、身体的解放という意味では、いろんな表現があるということをトップアーティストも当たり前として思えず、音楽家は音楽だけ追究しなきゃいけないのかなと。何か狭い世界にいるべきだという傾向に彼女は苦しんでいたのかなって、私の勝手な想像なんですが。

音楽は役に立つのか

国谷

専門的な音楽教育ではなく、多くの生徒を対象とした学校での音楽教育は、同じ音楽教育でもかなり違うと思います。学校における音楽教育はどうあるべきでしょうか?

山下

全国の小学生を対象とした10年前のアンケートに、「この教科を学ぶと社会に出て役に立つか?」という質問がありまして、音楽は8教科中の最下位でした。「就職に役立つか?」という質問と受け止められてしまった面もあると思いますが、音楽が好きな子どもや学校の外でも音楽を楽しんでいる子どもは多いのに、役に立つという実感が持てていない。それでは、あまりにも残念だと感じました。
最近は学校教育全体に対しても、主体的に学習に取り組むことや自分で考えるということが求められています。大学の教職の授業では、特に音楽の場合、生徒の感性が働かなければ学習が始まらないんだということを学生たちに伝えています。こういう風に演奏したいという思いを持ち、そしてその思いを実現するための技能を身につける。これからは、学校で音楽教育に携わる先生方にもこうした認識を持っていただきたいです。
20年ぐらい前までは、合唱をするにしても教師がリードして教師の価値観に基づいて生徒たちが動いていました。そうではなくて、生徒が主体的に考え、こういう感じを出したいからこういうふうに歌ってみようと工夫してみる。それがたとえささやかなものだったとしても、自分の思いを実現するという目的が先にあるので、後から技能を身につけることも苦にならないだろうと思います。

国谷

教師のやり方を押しつけるのではなくて、生徒たちが主体となり生徒たちが発案する、そういった方向性を醸成する場であるべきだということですね。

山下

はい、その通りです。
かつて、学校の音楽室には、バッハやベートーヴェンなどの肖像画がバーンと飾ってあって、「これが音楽だ! すごいんだぞ!」という威圧感があったと聞きます。でも、今の音楽の授業はもっとフランクに、西洋音楽だけでなく邦楽やポピュラー音楽も含めていろいろな音楽を扱うようになってきています。西洋音楽の素晴らしさを知るという点では同じでも、教師に言われたからではなく、その魅力に生徒自らが気付くことが重要だと考えます。

国谷

予算のこともあって、音楽の常勤教員がいないとか、音楽のクラブ活動ができないとか、美術も同じような状況ですけれど、そういう話をよく聞きます。一般的な小中学校における音楽教育がやせ細ってきているように思えますが、そのことと音楽を志す人が減ってきていることは関係があるのでしょうか?

山下

そうですね。確かに近年、音楽大学の志願者が減ってきてはいますが、小中学校の音楽教育を充実させていくことで、音楽を志す人が増える可能性はまだあると思っています。
小中学校の音楽の授業って、「何が身につきましたか?」と聞いても、「活動は楽しかったけど何が身についたかわかりません」というような感想が返ってくることが多いのです。今はもう少し深く学んでもらおうということで、音楽を形づくっているいろんな要素が曲想にどういう影響を与えるかといったところも掘り起こそうとしています。そういう学習がうまく定着すれば、身近な音楽にも応用できてよいのですが、行き過ぎると頭でっかちになってしまうでしょうし…。考えるところと、味わって楽しむところ、そのバランスがとれるといいと思います。

国谷

最後に、教育者としてあるいは研究者として、山下先生が今、力を入れていることは何ですか?

山下

ユニセフが世界の子どもを対象に2020年に行った調査で、日本の子どもの精神的幸福度が38ヵ国中下から2番目だったのですね。これには、私も衝撃を受けました。音楽の面からも子どもたちの幸せに何か貢献できることがあるのではないかと思いまして、リトミックに限らず、心と身体にアプローチするような研究に取り組み始めたところです。もちろん、一番近くにいる附属高校の生徒たちの幸せも高めて行きたいです。まだ手探りで模索している状態ですけれど。


【対談後記】

山下先生は、研究員としてイギリスにいたとき、アマチュアの方々の、自分たちが地域の音楽文化を支えているんだという意識がとても強かったと話してくれました。
これからの日本の音楽教育も、音楽を専門的に学んでいる人が音楽文化を作り、それ以外の人々は音楽を享受するという関係、専門家と聴衆という区分けではなく、もっと一人一人が、地域のお祭りの音楽に参加したり、個人的な創作を行ったり、自分が音楽文化を担っているという意識を持てるような音楽教育をしていくことが大事ではと強調されていたのが印象的でした。


【プロフィール】

山下薫子
音楽学部教授(音楽教育)/音楽学部附属音楽高等学校校長 東京藝術大学音楽学部器楽科(ピアノ)卒業、同大学院音楽研究科(音楽教育)修士課程修了、同博士後期課程満期退学。 英国シェフィールド大学客員研究員、静岡大学教育学部助教授を経て、2006年4月より東京藝術大学音楽学部准教授、2014年4月より同教授。2020年より東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校校長も務める。 日本音楽教育学会正会員、日本ダルクローズ音楽教育学会会長。 主な編著書に『ジュニア楽典』、『新ジュニア音楽辞典』、『ON! 1』(以上、音楽之友社)など。 『小学校学習指導要領解説 音楽編』作成協力者(平成20年、平成29年)、中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会芸術ワーキンググループ委員(平成27年~28年)、『季刊音楽鑑賞教育』編集委員、かながわ音楽コンクール・ユースピアノ部門審査委員長(2021年)などを歴任。


撮影:新津保建秀