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クローズアップ藝大 - 第一回 大巻伸嗣 美術学部彫刻科教授

連続コラム:クローズアップ藝大

連続コラム:クローズアップ藝大

第一回 大巻伸嗣 美術学部彫刻科教授

何がアートになるのか。アートに何ができるか。アーティストとは何なのか。

国谷

シャボン玉を使ったアートも、大巻先生の代表的な作品と伺っています。

大巻

足立区千住では2011年から毎年やっていますね。もう8年になります。1分間に最大1万個のシャボン玉を発生させる装置があり、それを使います。そもそも足立区との始まりは、横浜トリエンナーレの会場に足立区の人が来て、『少しだけ話がしたい』と声をかけられたことでした。

その時、ものすごく忙しくて、『15分しか時間がない』と伝えると『それで充分ですから是非。』と。それで話をしたら、結局2時間話し込んじゃって、じゃあ文化支援・アートマネジメントが専門の熊倉純子先生(国際芸術創造研究科教授)を紹介しよう、次は誰々先生を紹介しようとやっているうちに、東京都から補助金がつきそうだと話が広がっていきました。

その活動も、やはり最初はPTA や地域の人の反対があって、「なんでそんなことをやるのか?」と言われ、さらに、足立区で初めてシャボン玉を飛ばす日は大雨だったんです。皆が中止になると思っている中、『雨だと、逆にシャボン玉が消えないです。』と、決行しました。こどもたちの手や傘にシャボン玉が乗るんです。大盛況でした。

お互い、これほど続くとは考えていませんでした。最初は年に一度だったイベントが、今や地域の人や役所の人が、小さいイベントを年に数回か開くようになっています。役所の人は役所で仕事をしていると、地域の人の顔が見えないですよね。でも、イベントで協力し合うと、地域でどんなことが望まれていて、どんな意見があって、どんな人がいるかが見えて来て、仕事に生かせると。

そういう人たちは部署が変わっても、ずっと参加してくれています。アートというよりも『祭』として、今度は『しゃぼんおどり』をやってみようと。小学校を巻き込んで、歌詞をつくりドンドン広がっていきました。

Memorial Rebirth (足立区) / Photo : Amemiya Yukitaka

国谷

シャボン玉をつくるというワークショップを通して、ここでも地域の人たちとの広がりが生まれていったんですね。

大巻

この活動を学生にも手伝ってもらったんですが、最初は、そんなワークショップに何の意味があるのかと言われるんですよ。教員からも同じように言われます。でも、「何がアートになるのか。アートに何ができるか。アーティストとは何なのか。」ということを考えます。

国谷

深い問いかけです。大巻先生自身はどのようにお考えですか?

大巻

常に考え続けています。何か一つの答えに固まるのではなく、模索しながら、挑戦を続けながら考えていきたい。アートやアーティストの可能性を探っていくことが大切だと思います。

以前、岩手県山田町でもシャボン玉を使って復興支援事業『Memorial Rebirth』を開催しました。主催者は東日本大震災のがれきを沢山処理して、感謝されてきた。その感謝へのお礼で開催したいと言い、メディアの取材も受けることになりました。

ただ、『メディアが来るから、ランタンを並べます。地域の人はどいてください。』というのは違う。メディアが来るからではなく、地域社会とのつながりが大事で、自分たちが目指す方向を見失ってはいけないと思います。

国谷

確かに、メディア側の都合のいいように使われてはいけない。大巻先生のおっしゃるとおりです。

予定調和を壊す。

国谷

先生は VR(バーチャルリアリティ・仮想現実)や AR(拡張現実)についてどのようにお考えですか?

大巻

VRなどを使わないのかとよく聞かれますね。テクノロジーを活用したシステムやデジタルコンテンツやコンピュータを使った仮想現実は、僕の作品と似ているように見えますが、真逆ですね。

僕の目指しているものは、どうやって予定調和が壊れるかなんです。それは風であり、空気であり、人。そういった不安定なものにも人間は簡単に乗り越える卓越した感覚と経験を蓄積している。そこが人間の面白さであって、困難に立ち向かって、それをひらめきで乗り越えていく。そして人は進化していく。それが作品を生み出している。

空間そのものも、自分たちで作っています。今、僕らが話している空間だって、少しのスペースを使って椅子を持ってきて、『じゃあここで話しましょう』と自らで空間を作った。 結局、最初からあったものなんて何もなくて。その時、その時で、人が考えて生み出していますよね。時間や空間や感覚や作品を生み出すものを、予め想定することはできないですよ。

国谷

VR や ARなどの技術が進歩するにあたって、改めて芸術の重要性が注目されています。デジタルで想定しながら生み出す作品と、予定調和をはずれたものが生み出す作品。相反したものが、それぞれ、どう表現されていくか、今後も興味深いですね。

私はSDGs、持続可能な開発目標の取材や発信に取り組んでいます。鉱山が閉鎖され町の大きな産業がなくなった自治体に行きますと、住民が能動的に考え持続可能な町づくりについて取組んでいるのを目の当たりにしました。一方で人口減少を食い止めたいけれど住民同士の話し合いが少なかったり、新しい発想がなかなか生まれずこれまでのやり方を変えられないところもあります。そういった場所では地域の人々の連携を強化し人々が動き出すきっかけが必要なのですが、先生が地域で行うプロジェクトがそうしたきっかけを生み出すことになっていますか?

※ 持続可能な開発目標(SDGs)とは、2001年に策定されたミレニアム開発目標(MDGs)の後継として、2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」にて掲げられた2016年から2030年までの国際目標です。持続可能な世界を実現するための17のゴール・169のターゲットから構成され,地球上の誰一人として取り残さない(leave no one behind)ことを誓っています。SDGsは発展途上国のみならず、先進国自身が取り組むユニバーサル(普遍的)なものであり、日本としても積極的に取り組む必要があります。

大巻

そういう場では、基軸になる人がいないと動かない。今まで色々とやってきて、やはり核となる人が数人いる。仕事とは関係なく、継続するためには、外からの力だけでは駄目。誰かにすがっているようでは駄目です。

再開発で、実家の外壁一面が倒された、ばぁっと崩れ倒された。

国谷

先生は、大分では1 年かけて歩き回り軸になる方を見つけていかれました。簡単には真似できないですよ。でも、そういう一見元気がなくなっているような街には、本人たちが気付いていない魅力がたくさんあるのではないですか。

大巻

そう。本人たちは、『何もない。水が美味しいって言ったって、それだけだ』とか言いますね。私事ですが、自分には実家があった町が、まるごと無くなってしまった経験があるんです。岐阜の問屋街で、 300m も続く古い町並みでした。

『そこが開発区域になっているから行こう』と友人に言われて、今までやってきたことが役に立つかもと思い、駆けつけてみると『お前、何しに来たんだ。お前の家は、この町からみんな出て行った。よそ者が何しに来たんだ』と、30~40人に取り囲まれました。

それは幼い頃、自分をかわいがってくれた近所のおじさんたちだった。確かに親父は、その街を離れたところに住んでいたし、自分も兄弟も東京にきている。でも…話も聞いてもらえないというのはショックでした。

国谷

そんな大変な体験をされたのですね。ふるさとで役に立ちたいと思って行ったのに、親しかったおじさんたちから、よそ者だと言われ辛かったのではないですか?

大巻

住んでいた家が取り壊される瞬間も、その場で見ていました。テレビの密着取材をされていて、家の外壁一面が倒された、ばぁっと崩れ倒された瞬間に、メディアから『今、どんなお気持ちですか』とマイク向けられました。それは腹が立ちましたね。表情でわかるじゃないかと。そんなことを聞くなと。

国谷

無神経ですね。

大巻

その跡地に何ができるのかというと、ホテルと駐車場だという。ああ、そんな事のために街がなくなったのか。もっと街を再生させるいい方法があるのに。壊すのは一瞬だと感じました。

学生時代は、教員から「もう作るな。」と言われた。

国谷

先生は何人ぐらい教えていらっしゃるのですか?

大巻

彫刻専攻とGAP専攻(大学院美術研究科グローバルアートプラクティス専攻)合わせて 20 人ぐらいです。ただ、GAP専攻の1 年生は、教員全員で学生を指導することになっていて、担当教員がいません。私は、学生には担当教員がいた方がいいと考えています。敵になってもいいから、羽ばたくためには担当教員がいた方がいい。敵になるのは嫌われるから、本当は嫌なんですけどね。

国谷

教員が敵になるとは具体的にはどのようなことでしょうか?

大巻

学生は卒業後、社会に出て、どう挑戦していくか、どう安全に作品を作るか、どう仲間を増やせるかという壁にぶつかります。まず、大学という場で、教員が乗り越えるべき敵にならないといけない。それが教育です。一方的に教えるのではなく、敵になって学生に考えさせる。どうやって安全にできるか、どうやって仲間を集められるか、どうやって教員を説得できるかです。やはり、新たに物を作ることには、危険性という側面もあるわけですから、そこを一つ一つ乗り越えていきながら、味方を増やして壁をこえられるか。

国谷

彫刻科の学生時代はどのような作品を作られたのですか?

大巻

学生時代は、大きな作品を作りました。この部屋2つぐらいの大きさの彫刻です。当時助教授だった深井隆(対談時、美術学部教授)先生には、呆れられて、『もう作るな。』とまで言われました。扉から搬出もできないような作品で。でも、当時教授だった山本正道先生が『作りなさい!』と。続けて『でも、あなたの作品はわかりません!』とも言われましたけれど。山本先生は、最後には自分の小さな作品を買ってくれましたね。『わかりません!』というのは一つの答えだったのかな。

国谷

先生の学生時代は異端だったのですね。現在、指導されていて、そういう学生はいますか?

大巻

僕は異端だったのでしょうね。当時は、ここでしかできないことをやりたいと思っていました。今は、『わかりません!』という作品には出会わないですね。異端と感じる学生は、藝大から出ていくかな。それと、今の学生はすぐに答えを求めたがる。自分で輪郭をひいてというより、早く正解に要領よくたどり着きたいとか、有名になりたいとか。

まったく仕事なんてなかった。お金はなくても、借りてでもやろうと動きだした。

国谷

先生が卒業されたのは、日本の証券業界で四大証券会社の一つとされていた『山一證券』が破綻した頃で、日本経済が大きく傾いた時期です。

大巻

そう。まったく仕事なんてありませんでした。お金はなくても、借りてでもやろうと動きだしました。そうしていると、お世話になっていた画材屋さんが、お金を貸してくれたんです。何の担保もない僕に、1800万円貸してくれて。

国谷

1800万円? 出世払いで貸してくださったのですか?

大巻

はい。でも、すぐに返せました。大きな作品を作ってほしいという依頼がきて。学生時代作っていた大きな彫刻。そんな大きい作品を作っていたのは自分だけだったから。

貸してくださった方からは「返してもらえるとは思ってなかった」って言われました。

国谷

学生時代の作品を見てみたいです。藝大では卒業時に自画像も描きますよね。

大巻

ええ。それをこの間、見せられて、ひどいものでしたよ。


【対談後記】

大巻先生と話し始めると時間があっという間に過ぎました。実家が目の前で壊され親しかった近所の人たちに取り囲まれた忘れ難い経験は今、大巻先生の国内外での活動の原動力になっていると思えました。そして一番熱っぽく語ってくれたのは「教員は大学で学生が乗り越えるべき敵にならないといけない」という部分でした。

「何がアートになるのか。アートに何が出来るのか。アーティストとは何なのか。」という大巻さんの自問は今後の「クローズアップ藝大」をつらぬく大事な問いかけにしたいと思います。


【プロフィール】

大巻 伸嗣
美術学部彫刻科教授 1971年岐阜県生まれ。1997年東京藝術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了。 「トーキョーワンダーウォール2000」に『Opened Eyes Closed Eyes』で入選以来、『Echoes』シリーズ(資生堂ギャラリー、水戸芸術館、熊本現代美術館、東京都現代美術館等)、『Liminal Air』(東京ワンダーサイト、ギャラリーA4、金沢21世紀美術館 、アジアパシフィック・トリエンナーレ2009、箱根彫刻の森美術館等)、『Memorial Rebirth』(横浜トリエンナーレ 2008)など、展示空間を非日常的な世界に生まれ変わらせ、鑑賞者の身体的な感覚を呼び覚ますダイナミックなインスタレーション作品やパブリックアートを発表している。

http://www.shinjiohmaki.net/