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クローズアップ藝大 - 第十二回 箭内道彦 美術学部デザイン科教授

連続コラム:クローズアップ藝大

連続コラム:クローズアップ藝大

第十二回 箭内道彦 美術学部デザイン科教授

クローズアップ藝大では、国谷裕子理事による教授たちへのインタビューを通じ、藝大をより深く掘り下げていきます。東京藝大の唯一無二を知り、読者とともに様々にそれぞれに思いを巡らすジャーナリズム。月に一回のペースでお届けします。

 

>> 過去のクローズアップ藝大

第十二回は、美術学部デザイン科教授で、本ホームページのプロデューサーでもある箭内道彦先生に、令和2年6月、オンラインにてお話を伺いました。


【はじめに】

30年近く働いたテレビ報道の世界を去ってすでに4年、久しぶりに会う人と「NHKクローズアップ現代」について話をした後に、“今どうしていらっしゃるのですか?”と必ず聞かれます。“「クローズアップ藝大」をやっています”というと、みんな途端に笑顔になって“えっ?それ何ですか?”と尋ねられます。中身よりタイトルに惹かれてホームページをのぞきに行っているらしい。この企画の生みの親が箭内道彦先生。お陰でクローズアップという言葉が私から未だに離れないままになっています。

箭内先生は「NHKクローズアップ現代」のゲストとして何回かご出演いただています。金髪の派手なアピアランス。なんでも前のめりな方なのかと思っていたら、打ち合わせではじっと制作サイドの話に耳を傾けていた姿を思い出します。

SDGsの発信に力を入れていますが、より良い世の中にすることを目的にしたマーケティングで人の行動を変えられるのだろうか、そんなことを考えながらクリエィティブ・ディレクター、箭内教授とのオンライン対談に臨みました。


今回はゲストから逆インタビュー

国谷

いつものようにやっていいんですか? 箭内さんは「クローズアップ藝大」のプロデューサーですから、どうしていいかわからない。

箭内

僕はこのホームページの各コンテンツの一応編集長みたいな感じになっているんで、当分出てこないようにとは思っていたんですよ。「裏方のお前が、1年経ってもう出てくんのか」みたいなのはちょっと格好悪いなと思ったので。ただ、この1年とこれからの1年を一度国谷さんとちゃんと話したほうがいいなと。普段だとそれぞれの先生を訪ねていただいて、それぞれの先生の魅力だったり人間臭さだったりを掘り下げていただいているんですけど、このパンデミックの時代に藝大がやらなきゃいけないことはたくさんあるなって、国谷さんもおっしゃってて。

いろいろ国谷さんと話したいなと思ったんです。だから本当は逆インタビューなんです。今日(笑)。国谷

私も箭内さんに聞きたいこと考えてきました。過去のことも、今のことも聞きたい。

 

国谷理事が、藝大の理事に就任した理由

箭内

「NHKクローズアップ現代」が23年の幕を閉じて、国谷さんはこれからどうするのかと思っていたら、「あっ、藝大にいた!」っていうのがすごくびっくりでした。そもそもなぜ藝大の理事になられたんでしょうか? どういういきさつで、どういう決意というか。

国谷

ちょうど澤先生が学長になられるときに私は「NHKクローズアップ現代」を辞めて、いろんな学校、大学からもお声をかけていただきましたが、一番最初に声をかけていただいたのが藝大だったんです。なぜ声をかけられたのか不思議でした。

実は、あとでお話したら、澤先生が、藝大と社会をもっとつなげたいと。藝大が最後の秘境みたいに世の中と切り離されていてはサステイナブルじゃないと。もっと社会と藝大の接点を増やしたいと思われていたらしくて。ずっと「NHKクローズアップ現代」を見てくださっていて、なにか思われたのでしょうか、声をかけていただいた。初めてご挨拶に行ったときに、とても不思議な縁があることがわかって。澤先生は和歌山ご出身で。私の母も和歌山出身、それで話をしていたら、「お母さまのお名前は」って聞かれて、「和中」っていいますって言ったら顔色が変わった。私の祖父の名前が和中金助っていうんですけれど、「僕の最初の後援会長でした」って。

箭内

えー、そうなんですね。

国谷

はい。祖父が後援会長。それは全くご本人も知らないで声をかけてくださって。とてもご縁を感じたっていうのと、あと藝大ってあこがれがありますよね。自分もアメリカの大学でシルクスクリーンとか、いくつかアートの単位は取ったんです。でも、芸術家の方々は近寄りがたいものがあるし、東京藝術大学っていうのは本当にある意味ではあこがれっていうか遠い存在。一方で、「クローズアップ現代」をやっていて、イノベーションとか素晴らしい発想とか、様々な意味で人を結びつけるアートの力をもっと活用しなければいけないんだということはずーっと思っていたので、あこがれのところから声をかけていただいたならやるしかない、むしろやってみたいと思いました。いろんな素晴らしい面白い先生方がいらっしゃるだろう、人との出会いも楽しみで、そういう場にちょっとでも接点を持てたら学ぶことも多いし、もしお役に立つんだったらって思って。

「クローズアップ藝大」の誕生と狙い

箭内

今国谷さんにおっしゃっていただいたように、その「あこがれの」っていう部分が、僕も藝大OBで、大学にこうやって戻ってきて、入試の倍率が昔のようではなくなっていて。で、自分があんなに3年も浪人して苦労して入った学校が、いつまでも輝いていてほしいなと思ったので、何かそういう手伝いというか、そのことが自分の小さな力かもしれないけれど、藝大をもっとあこがれの場所にして、だけど、みんなから世の中から遠くなるんじゃなくて。どんどん近づいていきながらあこがれの高さは高くなっていくようなふうにしたいなと思っている今日この頃なんです。

国谷

アメリカはスタンフォード大学でもどこの大学でもアートの分野、デザインの分野は、その大学の競争力の源泉みたいになっている傾向が強いですね。イノベーティブな発想とか。藝大ももちろんフルセットで持っていて、日本の伝統文化の守り手、そういうところから、非常に革新的なアートマネジメントとかインスタレーションとか、映像もアニメーションまで。こんなにフルセットで持っていて人材がいるところって他にない。それをどうつなげていったらいいのか。

箭内さんのおかげで、いろんな先生と直にお話したり、取手や横浜の馬車道など、いろんなところを覗かせていただき、アーティストの頭の中をちょっとだけ見るようなこともできていて、少しだけ藝大の一員になれているような気もします。

箭内

まだまだ国谷さんを持ち腐れしているというか、もっともっと活用したいです。でもとにかく「クローズアップ藝大」って、よくあのタイトル国谷さんにOKいただけたなと思ってます。

国谷

皆さんから受けてます。大受けですよ、タイトルをお話すると。よく思いつきましたね。

箭内

あれの狙いは、藝大は人間力っていうのかな、いろんな面白い人がいる宝庫だってことを外に伝えたいってのはあるんですけど。

それ以前に、国谷さんに藝大を見てほしいっていうことから始めさせていただいた。あとは先生方が国谷さんと会うことで国谷さんに「開発」されていくと思ったんですよ。単純に過去から現在までの自分の話をするだけじゃなくて、国谷さんからのド直球だったり変化球だったりするどい突っ込みだったりによって、もう50歳60歳になっている先生方だけど、何か新しい発見だったり、自分の考えが初めて言葉になったり、そういうことがあると、藝大が絶対もっと強くなるなと思ったので、国谷さんを刺客としていろんな先生の所に差し向けているんですよね。栄光をだた語っていただくんじゃなくて。

僕もね、「NHKクローズアップ現代」って、呼ばれて出演した人みんなそうだと思いますが、国谷さんと会う、国谷さんと話すというのはとても楽しいんだけど、自分が今まで経験した知見というか知識というか、それをただ披露するだけじゃ帰さないぞっていう空気があって。国谷さんと話すことによって、新しく自分の中に湧いてくるアイデアであったり提案であったりっていうことを得られる番組だったんで。あの番組を、よく、毎日、23年間もやってた人がいたもんだなって思うんです。

それが、名前が「藝大」と「現代」でちょっと掛詞になっているだけじゃなくて、ああいうボールを藝大のあちこちに投げてほしいなって思った。それが正直な狙いです。

秘境の暗闇の扉を、開ける

国谷

毎回この人に何聞けばいいんだろうかって、すごく考えさせられます。今まで繰り返し話されたことは語ってほしくないので、「ああまたか」っていう顔をされないようにちょっと違う切り口でお聞きしたいとは思っているんですが。反対にプロデューサーから見てもっと注文つけていただいたりしたら。

箭内

もっともっとぐいぐい行って大丈夫だと思います。藝大の本当に秘境の暗闇の部分の扉を開けてもいいんじゃないかと思います。

国谷

えー、どういう部分。耳打ちしていただくといいかな、これからは。

箭内

面白い先生ばっかり続いているんでね。一ヵ月に一回がちょうどいいペースだと思いながら、どんどんいろんな先生と会ってほしいなって思っちゃいますね。

国谷

みなさん、言葉をお持ちです。私の思い込みかもしれないですけれど、芸術家の方は、言葉で語るよりも作品で、できたもので表現しているんだという考えの方々が多いと思っていたんですね。もちろんその部分もおありでしょうけれど、その作品に至るまでの思索っていうか、プロセスの中で「言葉」っていうものと向き合っていらっしゃる。すごくジャーナリスティックな部分も多いなって印象です。

作品を自分の中で作り出すまでに、たくさんの人にインタビューしたり、イメージを刺激する場所に行ったり、何をテーマにしたらいいかとか。そのアンテナというのが極めて先進的です。

小沢先生(美術学部先端芸術表現科教授)をインタビューさせていただいたときに、彼はずーっと前に、ヒマラヤの山の上でプラスチックボトルが転がっているのを見て、それを大量に集めて絨毯を作った。今のプラスチック問題が起きるずっと前に、そのことに気が付いてメッセージを発信しようとしていた。社会はまだ気が付かないうちに。それで先生その絨毯はどこに行ったんですか?って聞いたら、どこに行ったかわからない(笑)。

山村先生(映像研究科アニメーション専攻教授)はひたすら一人で、ほとんどアシスタントも無く、コンピューターもほとんど使わず、ずっと一人で手描きをされている。インタビューで忘れられないのは、世界の存在は果たして本当なのか知りたくてやっている、子どもの頃に宇宙の果てはどこにあるんだろうと考えたことをいまだに思いながら、どうしてこの世界は生まれたのか、なんで僕たちはここにいるのか、それを知りたいと思ってアニメーションに向き合っているとおっしゃっていたことです。自分が生きている間に何か根源的なものに、創造する中で知りうることがあるのではないか、宇宙と対話しながら制作していると。アーティストの頭脳の中を覗かせていただくっていうのは本当に貴重です。

箭内

世の中から見ると浮世離れというか、ちょっとわからないことをやってる人たちっていうレッテルを貼られがちだけど、今の時代いろんなことが立ち行かなくなってきて、その中で考え抜いて手を動かし抜いている。そのアートっていうのは何か額に入れて飾っておくだけのものじゃなくて、世の中が変わっていく良くなっていくことのヒントがすごく変なところに入っているかもしれなくてね。で、それが真ん中で議論をしている人たちには発想できないものだったりするので。社会とアートをつなげることの重要性って、そこにある気がするんですよ。きっとこの数百年の中でアートっていうものが今の時代に必要であることって歴然としていて。

僕がよく言うのは、例えば二つの勢力が対立していて、町内会でもいいですけど、町内の壁の色を塗り替えるっていうときに、「赤くしたい」っていう勢力と「黄色くしたい」っていう勢力があって、多数決で赤になるか黄色になるか、もしくは仲良く赤と黄色を混ぜて、ちょうど間のオレンジ色に塗っておきましょうってなるんだけど、そうじゃなくて、第三の答えっていうか、アートの答えだと、「赤でも黄色でもなくて青のほうがいいかもしれない」って言ったり、もしくは「この壁とっちゃったほうがいいかもしれない」って言えたり、「壁をはがして違うものを作りませんか」って言えたり。それがアートだと思うんです。この行き詰まった社会を変えていく大事な鍵になる。アートを作ってる側の人たちは、「俺はそんなこと考えてないよ」って言うかもしれないけど、そこを国谷さんだったり、僕だったりが、社会とつなげる役割を果たすのが大事かなと思います。

国谷

私は気候危機など地球の持続可能性ということについて啓発活動をやっていますが、箭内先生がおっしゃったみたいに社会が今後立ち行かなくなるとか、複雑になりすぎて今あるような分断、ギスギスした世界的な対立だとか、日本社会においても、自分が心地よい人たちとだけ付き合うみたいな感じがどんどん強まっている。そうなると本当に大事な課題っていうものの解決ができなくなるんじゃないか。だけど、アートは、そういう中にあっても人と人とを心をやわらかくしたり、何かつなげていく力っていうのは持っていると思います。

若手芸術家支援基金 7月31日までのクラウドファンディングに挑戦中

国谷

新型コロナウイルス感染拡大の影響で、若手の芸術家たちが厳しい状況に陥っていますけれども、箭内さんの藝大の教え子や卒業生からも「大変だ」とか「辛い」といった声が届いているのではありませんか?

箭内

はい。本当に困っている卒業生たちは、一刻を争う、一日も早く支援を求めているという状況です。学長の強い思いもあって、「新型コロナウイルス感染症緊急対策 若手芸術家支援基金」が立ち上がって、クラウドファンディングは7月31日までです。今スタートしています。

いろんな意見があると思うし、きちんとしっかり検討した上でとか、準備をした上でとかって話もあると思うんですけど、学長が、「走りながら考えるタイプです」っておっしゃってましたけど、しっかりいろんな検証も、走りながらしていきたいなと思っているところです。

もっとたくさんの人にこの基金のことを知ってほしいし、拡散してほしいし、支援もしてほしい。芸術家の方々って自分のこと以外に興味がないのかなって思う場面にも遭遇して、ちょっと寂しいなとか思っちゃうんですけど、やっぱり自分たちの教え子であったり仲間であったり、未来の芸術を紡いでいくとか繋いでいく存在がここで途絶えてしまったらって考えたら、みなさんも放っておけないんだろうなとは思っております。

国谷

先生方にインタビューをさせていただくと、若い頃に苦労された⽅々も多くいらっしゃいます。非常に貧しかったけれど仲間たちといろんなトライアルをしてだんだん自分の道を切り拓いていったっていう方もいらっしゃるので、もしかしたらその苦しいってことが芸術家にとっては当たり前というか、「みんな俺たちだってすごく明日はどうなるかわからない中でがむしゃらに切り拓いてきたんだ」っていう思いを持っている方も、少なくないと思いますが。

箭内

それはなんかわかりますね。実際に、「苦労が肥やしになる」という部分もあって、絶対に芸術とともにそういうことを乗り越えていくことっていうのは、きっとみなさんの表現にすごい力を与えてくるはずですので。

今回は、それ以上に若手芸術家たちから集まってきている声を聞くと、もう続けることができないとか、経済的に限界であるとか。そういう様々な人たちの「今を救う」っていう部分と、これからの新しい日常で、「東京藝大が何を用意するのか」っていう部分をスタートさせるためにも必要なプロジェクトだとは強く思いますね。

国谷

そうですね。表現の場がなくなる、⾃分たちが作った、創造したものを表現する場がなくなるっていうのは⼀番⾟いことではないかと思います。今おっしゃったようにそういう中で藝⼤が⽤意するものの⼀つとして、集めた資⾦で新しい表現の場を模索することを始めています。⾦銭的にも⼤学全体として豊かではない中で、幅広く⽀えてもらいながら、新しい表現の場を作っていくっていうことにチャレンジをしようとしているわけですけども。

箭内

お金が集まるっていうことももちろん大事なんですけど、気持ちが集まるというか、思いが重なるというか、多分それがひとつ未来への大きな力になると思うんで。この基金を、「そんなのやってたの? 知らなかった。もう7月で終わっちゃった」みたいなことになることだけはもったいないなと思って。

今日もずっと、同級生たちが例えば電通に勤めてる、博報堂に勤めてる、資生堂にいるとか新聞社にいるとか、片っ端から電話していました。

芸術に対する、自分たちの後輩たちに対する、あとは学校に対する思いですよね。

国谷

藝⼤って、卒業したらあまり⼤学への思いがない、っていうふうに言われる方もいますが。

箭内

そんなことないですよ。

鼻にかけるのは良くないと思いますけど、やっぱり誇りには思ってると思いますよ。みんな。

国谷

他の大学の、卒業生のネットワークが強固なところと比べると、本当にネットワーク自体が希薄なので、こういった場面になると、個人の力と個人のネットワークに頼るしかないですよね。

箭内

本当に、いい意味で個が確立している。個を確立させるための大学ですから、群れがちではないですよね。だからこそ、若くて本当の意味で孤立してしまっている芸術家たちに、支援が必要な時なんだろうなって思います。

国谷

そうですね。⼀番⼼配するのは、箭内さんもおっしゃっていますけど、だんだん志望者が減ってきているということがあるんですけれども、苦しい社会状況の中で芸術を勉強しても⾷べられないんじゃないのって親御さんが思ってしまったり、あるいはご本⼈も、将来が不安になり、受験しなくなると、⽇本のクリエイティブの層が薄くなってしまいそうで残念です。藝⼤にとってもチャレンジしてくださる⽅々がたくさんいないと、この切磋琢磨する雰囲気っていうのは維持されないですよね。

箭内

若手が大変だってことをアピールすることは必要なんだけど、それによって、「ほら、やっぱり芸術って食べられないじゃない」って親御さんたちが思って、志望者が減ってくるってことは、藝大のためにっていうか、芸術のために、未来の芸術のために、大きな損害・損失になってしまいますよね。

国谷

藝⼤自身が、⾃分たちは必死で、⼀⽣懸命リスクを冒してやっているってことを⾒せないと、お⾦は簡単には集まらないのでは。

箭内

はい。自分から電話したことなんて一度もなかったのに。「初めて電話来たと思ったら金の話かよ(笑)」って言われました。「3000円からでも支援できるよ」って伝え回って。

国谷

サポートが拡がっていくようまだまだこれから試行錯誤ですね。

 

広告の手法

国谷

今日とても箭内さんに聞きたかったことは、広告の世界に身を置いていらっしゃって、広告は、人の行動を考えるとか、人の考えを変えるとか、人のものの見方を変える力を持っている。私たちがこれから向き合う課題、例えば気候危機の問題、二酸化炭素を減らさないといけないとか、SDGsが目標にしている、もっと他の人と包摂的にならないといけない、格差をなくさないといけないとか、そういう課題が山積みです。利己主義と利他主義ってありますよね。ちょっと本当に青臭すぎて申し訳ないんですけど。

箭内

青臭く行きましょう。

国谷

人間は利己主義なことには割と乗ってくる。トランプ大統領みたいな人もいてポピュリズムみたいな非常に利己主義的な空気が今あります。一方でグレタ・トゥーンベリさんみたいな若い人たちが出てきて、利他主義、他の人のこと、未来の地球のことを考えて行動しないと間に合わないと言い出している。今、すべての人が影響を受けて、特に弱い人が痛みを受けるコロナみたいな状況が起きているのに、やはり利己主義のほうが勝ちやすい。どうやったら人に、利他主義的なことをアピールする、どうやったら人を動かせるのか。私はテレビの仕事を辞めてから藝大に関わるのと同時にSDGsを積極的に啓発してもう4年なんですけど、かなり認知は高まっていますけど行動まではなかなかつながらない。どうしたらいいんだろう、何をどう訴えていけばいいのか。

私は言葉の力を信じる方なんですけど、言葉も軽くなってきて、たくさん流行語はあるけれど、すぐ消えていく。どうやったら人にアピールできるのだろうかと。

箭内

本当にそうです。

国谷

「NO MUSIC, NO LIFE.」じゃないですけど「NO PLANET, NO LIFE.」ですから(笑)。箭内さんのコピーを借りれば。

箭内

「多様であらねばならない」とか「分断を避けなければならない」とか、「ねばならない」っていう話って、頭では賛同できても、そうじゃない自分に気が付くっていうか。僕自身もそうですけど。

広告の手法では、「多様でなければならない」じゃなくて「多様だったとしたらどんなに素敵なことなんだろう」っていうことを見せる。買わなければいけないじゃなくて、買ったらこういう気持ちになったり、こういう素敵なことが始まったりしますよっていう入口を作るのが広告なので。

世の中が、「ねばならない」っていう重い足かせや、重荷を背負って、悲壮感の中で新しい時代を作っていこうっていうのは、気高くはあるけど難しい。多様ってものに触れてみたらこんなに面白かったっていうことが、もっともっとあればいいと思う。

逆に言うと良くないこと、例えば、SNSの中の誹謗だったり中傷だったり。それも「それを止めなさい」っていう広告じゃなくて、止めたらどんないいことが起きるかっていうことをちゃんと約束しなくちゃいけないなっていう風に思いますね。

広告のがんばりどころだけど、なかなかそういうところの場面には広告的な考え方はまだ入ってきていないですよね。

国谷

新聞を見ても、SDGsがらみの広告があふれています。自分の企業イメージを高めたいっていう大手企業がSDGsに向けて一生懸命やっていますっていう広告をたくさん出している。でも企業の宣伝にはなるけど本当に人を動かすっていうところまではいっていない。

人ってどうしたら動くんだろうって、ずっと思っています。箭内さんを見ているとご自身がものすごく動いていらっしゃる。モチベーションがすごい。箭内さんみたいな人がたくさん出てくればいいんですけど。

アフターコロナで何か変わるか

箭内

逆に僕も国谷さんに一番聞きたかったのは、そのSDGsの状況であったりした中で、新型コロナウイルスがやってきて、今いろんな人たちが「アフターコロナ」っていう言葉を使って、この後の社会やこの後の世界、このあとの人間はどうなって行くんだろうってことを論じ合っています。まあどうなってほしいっていう希望・願望も含めてだと思うんですけど、なんか変わんないような気もして変わるような気もして。そんな中で国谷さんはどう見ていますか?

国谷

変わらないと大変なことになる気はするけれど、おっしゃっているように、喉元を過ぎれば変わらないまま進んでいく可能性も高い。日本って、なかなか世界の空気、世界で起きていることに感度が弱い。

この前、まじめなリポートを書いたんです。パリ協定を実現していく上で、各国は5年ごとにどれだけ二酸化炭素を減らしますっていう、国別の目標値っていうのを出すことになっています。日本は、2015年に「2030年までに26%削減します」と出した。それから5年後今年の3月31日に、もっとその目標を高めたものを出すことが期待されているのに、まったく同じものしか出さなかった。この5年の間に気候危機っていうことの深刻さが言われてきたのに、まったく変わらない目標しか出さなかった。そういうのを見ていると、ポストコロナの中で確かに弱かった部分、保健所などを減らしすぎたとか医療体制が弱かったとか、マスクとか備蓄がなかったとか、見えてきた弱さの部分はある程度補充するかもしれないけれど、抜本的に、こういった感染症がもう一度拡がらないようにする、気候危機が進むと他のいろんな感染症もやってくる可能性もあるんですけど、そういった大きなところまで対応しないまま終わってしまうのではないかと危惧しています。

ニューヨークのクオモ知事が使った「Build Back Better」という言葉、BBBっていう言葉が盛んに使われています。「前より良くしよう」と。でも日本では、「Build Back Better」ってどういうビジョンを共有して何に向かって、何がベターなのかという議論がない。だからサステイナブル持続可能な方向に変革できるのかっていう意味では、まずビジョンの共有が必要です。よほど企業や私たちが危機感を持っていなければ、変わらない可能性も強い。

EUはすごい。彼らは自分たちが新しい世界のルールメイキングをしたいと思っている。ビジョンを作りルールメイキングをしていくことによって競争力につなげるという明確な戦略、ポストコロナの時代に競争力を高めようっていう戦略があるんですね。

箭内

先ほどから「分断」っていう言葉が出ていますけど、分断が非常に今進んでいますよね。一時的かもしれないけれど。僕たちは今分断されているし、東京から出ちゃいけないっていうのもあったり。その分断が、前より壁が高くなる、分断されることによって感染拡大を防げるわけだから、この分断が進んだ中で、例えばアメリカでBlack Lives Matter運動が起きたりね、人種の問題が起きたり。これが進んでいくと、変わろうとする人たちと、変わりたくない人たちと、どっちでもいいけどまあ変わらないやっていう人たちの間にまた新しく分断ができるような気がして。すごくこの分断をどう解いていくか、壁をどう壊していくかみたいなことも、僕ら、アートも含めて、ものすごく大きな課題に今なり始めているなっていう感じですよね。

国谷

感染症に関しても2000年代に入ってから、SARSもMARSもエボラ出血熱もジカ熱も鳥インフルエンザも、4、5年おきに世界中に蔓延するような危機が瀬戸際で留まっていた。

蔓延が起きるような感染症の危険があるというリスクは前から言われていたけれども、そのリスクに耳を傾けずに今回こういうことになった。気候危機といったことも、もう科学的なデータとか科学者の警告というのはずーっと出ていて、もしコロナから学べることがあるとすれば、やはりきちっとこういうリスクに対して向き合って対策をとって、乗り越えるっていうことをやるってことが一番の学びだと思うんです。

今、おっしゃったみたいに、変えたいっていう人と、もっと目の前のことが大事で変えなくていいっていう人たちの分断が起きていますけれど、よほどビジョンを持った人が出て、どう作ってどう言うか。全員がそう思わなくてもいいと思うんですよね。多分社会が変わるときって、ティッピングポイントっていうのは、社会の何パーセントかの人たちがそういうふうに思うようになれば、わっと変わると私は思っています。その何パーセントの人たちをどう作っていくか。

分断はしょうがない。分断はある。だけども、心あるっていうか、社会の何パーセントかでもそれが生まれると、私はティッピングポイントをちゃんと作れて変われるんじゃないかと勝手に思っているんですけれど。

箭内

瀬戸際っていう言葉が合うかどうかわからないですけれど、本当に数年前から大きな過渡期が始まって、いろんなものがいい意味で壊れ始めてて、で、最後の頑丈だったものが今回壊れるか壊れないかで、希望的観測をすれば、その先にきっと何かいわゆる新しいことが始まるんじゃないかと思いますけどね。

確かに国谷さんが言うように、ティッピングポイントをどう作るか、どう人々が力を合わせるかってことですよね。