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連続コラム:ゲ!偉大!

第一回 沖澤のどか

 


フランス東部のブザンソンで開催される若手指揮者の登竜門としても世界的に知られるブザンソン国際指揮者コンクール。
日本人としては10人目の優勝となった本学音楽学部指揮科出身の沖澤のどかさんが母校である東京藝術大学の澤学長へ表敬訪問を行った。


 

まずはブザンソン国際指揮者コンクールの優勝おめでとうございます。大変な快挙です。

沖澤

ありがとうございます。

あなたが入学した時くらいだったかな、2年間くらい指揮科の常勤の先生が不在の時期があって私が指揮科の主任を担当していたのですが、その頃の指揮科は女性の学生が少なくて。いま東京藝大はダイバーシティということに注力しているので女性の活躍は本当に嬉しいです。そもそも、指揮者を目指したのはいつ頃からだったのですか?

沖澤

高校2年の冬です。本当はオーボエで進学したかったんですけど、音大の受験を決めたのが遅かったので、1年で器楽科の準備をするのは無理だろうと思っていました。そんな中、藝大の受験の要項を見ていたんですけど、指揮科か楽理科だったらもしかしたら1年で準備できるかもしれないって思いまして。それで、楽理科というよりは実際に演奏したかったので指揮科を受けました

指揮科だったら1年で準備できると(笑)。

沖澤

かなり間違った考えでしたね(笑)。入ってからがすごく大変でした。何をすればいいか全く分からなかったです。指揮者という職業についてもよく分かってなかったし。藝大の指揮科の先生方はかなり高度なことを最初から教えてくださったので全くついていけなかったです。

それと、私は地元の普通高校だったので、小さい頃からすでに音楽家として活躍しているような、そういう同級生に囲まれて劣等感にすごく悩まされました。

私も地元の和歌山の普通高校だったんですけど、経済的な事情と、特に父親が「自分の息子が音楽で食べていけるわけない」と東京の音楽高校への進学を反対されて当時は泣く泣く普通高校に進学したんです。でもそのおかげで友人たちにも恵まれて、いま当時の高校の仲間がみんな応援してくれるんですよね。音楽高校に行っていたらみんなライバルだから応援してくれなかったかもしれないけど(笑)。

沖澤

確かにそうかもしれないですね。そういう意味では私も高校時代の友達とは今でも繋がっていますし、コンサートにも応援に来てくれるので嬉しいですね。

高校2年生で指揮科の受験を考えたとのことですが、その準備はやはり東京で?

沖澤

そうです。和声が一番大変でしたね。今まで一度も勉強したことがなかったので一からで。ほとんどの時間を和声に費やして、指揮のレッスンは当時、夏休みに藝大が開催している一般向けの3日間くらいの夏期講座があって、その時に田中良和先生に「指揮科に入りたいのでレッスンしてください!」ってお願いをしまして、それから何度か教えていただいてっていう感じでした。その時に小池ちとせ先生にピアノも見ていただきました。

ピアノは小さい頃からやっていたのですか?

沖澤

3、4歳頃からやっていました。音大に行けるようなレベルではなかったのですが、好きで楽しく弾いていました。藝大の指揮科に受験するとなってから初めてまともにレッスンを受けました。

オーボエはいつ頃から?

沖澤

オーボエは高校1年から吹奏楽部で。あと、チェロを小学3年から高校卒業までやっていました。

やっぱり弦楽器、管楽器、両方経験した上で指揮科に入ったからプレイヤーの感覚というか、それぞれの奏者としての心構えとかを知れたのはよかったですね。

沖澤

そうですね。それはすごくよかったと思います。

学生時代の思い出はありますか?

沖澤

たくさんあります。澤先生にもたくさんご迷惑をかけた通り、不真面目な生徒だったので(笑)。

学部5年生の頃、オーケストラ・アンサンブル金沢にアシスタントで通っていたのでほとんど大学に来れていなくて、そんななか卒業にどうしても必要な授業の単位が取れていないことに自分でも気がついていなかったんです。そして、卒業旅行だと浮かれて指揮科のみんなと越後湯沢にスキーをしに行って、そのスキー場に向かう車のなかで、澤先生から電話があって「何を考えているんだ!」と(笑)。「やることはちゃんとやれ」というお叱りを受けたことを今でもはっきりと覚えています(笑)。

ほかには、藝祭で自分でオーケストラを集めたりとか、大学院の時にオペラ「椿姫」を自分で企画して演出したりとか。その時は美術学部の友達に頼んで衣装を作ってもらったり大道具、小道具も自分たちで作って、自分たちで広告も取りに行って。最終的には赤字だったんですけど、当時の学部生を少し騙して合唱にタダで出てもらったりとかしましたね(笑)。「こんな経験はできないよ!」とか言って(笑)。

やっぱり指揮者になるべくしてなったなという感じがします。指揮者って音楽的なことも重要かもしれませんが、それ以外の部分、マネジメント能力であったり、コミュニケーション能力とかも重要な才能だと思うので。

ベルリンへの留学はいつ頃からですか?

沖澤

2015年からです。藝大の大学院を修了した1年後ですね。今年の10月にハンス・アイスラー音楽大学ベルリンも修了したのでようやく独り立ちというか。

そのタイミングでブザンソンを優勝できたというのはすごいことですね。ブザンソンで優勝した感想はいかがですか?

沖澤

「ああ、これでもうコンクール受けなくてすむ」って思いました(笑)。かなりの数を受けて落ちていたので本当に嫌になってたんですよね。2018年に東京国際音楽コンクールで優勝できた後、ありがたいことに日本では仕事を多くいただけるようになったんですけど、ヨーロッパでは思うように活躍できていなくて。そこで、ブザンソンで優勝できればもう少し道が開けるだろうと思っていたので、タイミング的にも優勝できてよかったです。

向こうのみなさんの反応はどうでした?

沖澤

このコンクールって、向こうでは街を挙げての大きなイベントだったので、道を歩いていてもカフェで勉強していても、とにかくいろんな方が声を掛けてくれるんです。「コンクール頑張ってね!」って。かなりフレンドリーな空気でした。

今回ブザンソンで優勝したので、今後、海外での演奏の機会も増えてくると思います。

沖澤

そうですね。2021年以降ですが、ありがたいことにヨーロッパを中心にいくつかお話をいただいています。

沖澤さんは現在32歳ですけど、指揮者というのはそれくらいの年齢でやっとスタートラインというところがあります。今後10年後、20年後、どういう指揮者になっていきたいと考えていますか?

沖澤

オペラもやっていきたいという想いがあります。コンクールで優勝させてもらうとやっぱりそれがきっかけで、演奏の機会をいただくことが増えると思うんですけど、その時期に自分がどれだけコンサートにはない曲を準備できるかがすごく大事だと思うので、今後アシスタントの機会もありますし、オペラにじっくり取り組みたいと考えています。

いま、ダイバーシティというか、性別や国籍は関係ないって言いますけど、やっぱりアジア人の若手女性指揮者がイタリアオペラをヨーロッパで振ることってほとんどないんですよ。なので、その壁を払えるくらいの実力を身につけたいです。

ここからは現役の指揮科の学生さんも含めてお話しましょうか。せっかくの機会ですから学生から沖澤さんへ質問などありますか?


学生

沖澤さんは藝大の指揮科に入られてから大学院へ進学し、そしてベルリンへ留学されてますが、どういう考えでその進路を選ばれたんですか?

沖澤

大学院へ進んだのは、学部の4年か5年の時に高関健先生が藝大にいらっしゃって、その時にもっとこの先生に教わりたいと思ったからですね。単純に高関先生に習いたかったのが進学理由です。留学はもともと考えていて、興味があったので。ベルリンを選んだのは、コンサートがたくさんあることと、いろんな街に行きやすいと思ったからです。

ベルリンだとやはりベルリンフィルはじめ、オーケストラにしてもオペラにしても環境が恵まれてるというのはあるのかもしれませんね。

沖澤

そうですね。ベルリンフィルも、いまは学生はゲネプロしか入れないんですけど、私がいた頃は2日目からは入れましたしね。しょっちゅう行ってました。


学生

ベルリンで学生生活を送る中で、何が一番変わりましたか?

沖澤

音楽性はそんなには変わっていなくて、ベルリンに行って一番変わったのはメンタリティだと思います。かなり図太くなったと思うし、いろんなマスタークラスを受けに行ってよく言われたのが「礼儀正しすぎる」と。「礼儀正しいことはいいことだけれども、必ずしもオーケストラのメンバーはそれを指揮者に求めていない」と言われましたね。もっと堂々と引っ張っていくような態度、椅子に座るときに足を組んだりとかね。わざとリラックスしてるように見せなきゃいけない場合もあるし、指揮者としての態度っていうものがあると思いました。

確かにそういう部分はありますね。日本でそれをやっちゃうと逆効果だったりもするけれど。

沖澤

そうですね。日本でそんな態度を取っていたら「なんだこの若造!」ってなると思うんですけど(笑)。使い分けというか、どちらもできるような柔軟性が必要なんだと思います。


学生

コンクール期間中の生活とか心持ちについて意識していたことを教えていただけますか?

沖澤

ブザンソンはすごくいい街で、なんとなくリラックスできました。あと、私にとっては睡眠がすごく大事で、一夜漬けみたいなのは絶対無理です。8時間は絶対寝るようにしています。あとは散歩したりとか、美味しいお店を見つけたりとか。行ってから頑張ってもあんまり意味ないかなと思っているので、できるだけリラックスして、集中するときはビシッと集中する。そういうメリハリは大事にしていました。


学生

イタリア語とかドイツ語、英語ってどのように勉強されたんですか?

沖澤

英語は中学、高校の時にもともと好きで結構勉強していて、高校の時に短期留学したり、大学入ってからもずっと勉強していました。あと、アンサンブル金沢は基本的に全部英語なのでその時に鍛えられました。日本人のなかではかなりできた方だと思っていたんですけど、それでもヨーロッパのマスタークラスに行くようになったら会話についていけなくてすごく悔しい思いをしました。それから、「インターネットでの日本語禁止」っていうのを自分の中でルールを作って、まずWikipediaを英語かドイツ語かイタリア語でしか読めないようにしました。あとは海外ドラマをひたすら観ました(笑)。


学生

いままでの音楽活動の中で、「大きく変わったな」と感じる人生のきっかけなどはありましたか?

沖澤

アンサンブル金沢はやはり大きなきっかけでしたね。アシスタントだけでなく事務局員もしていたので、いま考えるとその時期が唯一の社会人経験でした。今までは指揮の勉強をしていても、できるだけ指揮台に立ちたくないと思っていたのですが、金沢に行って、電話を取ったり、エキストラの手配をしたりそういうことで忙しくしていたら、音楽がしたくてしたくてたまらなくなってきて。それがきっかけで、自分でオペラを企画しようと思ったので、そういうハングリーな状態になったことですかね。いまだに金沢に帰ると「おかえり」って言ってもらえる関係もできたし。

アンサンブル金沢はタイトルを取った前と後で変わりましたか?

沖澤

いい意味で変わらないですね(笑)。いつまで経っても「沖澤!」って感じで言ってくれるので。つい先日、金沢に帰った際にみんなで祝賀会をしてくれてすごく嬉しかったです。私にとっては特別ですね。コンクール前から仕事をくれていたのも金沢くらいだったし。


学生

学生のうちにやっておくべきこと、音楽以外のことでも、やっておいてよかったと思うことはありますか?

沖澤

友達は多く作っておいた方がいいと思います。特に美術の友達とか卒業してからもいろいろ交流があって、手伝ってくれることもあるし。学生時代の友達っていうのがすごく大事で、いま仕事を始めるようになって、いろんなオケに行くと、必ず一人か二人は藝大の同級生とか先輩がいるんですよ。たった一人でも知っている人がいるっていうのがすごく精神的に楽になるんですよね。一緒に失敗してきたとか、「あの時こんなひどい演奏会したよね」とかそういう話ができる友達がたくさんいるといいんじゃないかな。


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【プロフィール】

沖澤 のどか
 1987年生まれ、青森県出身。東京藝術大学音楽学部指揮科を経て同大学院修士課程修了。ハンス・アイスラー音楽大学ベルリン修士課程オーケストラ指揮専攻修了。第7回ルーマニア国際指揮者コンクールにて第3位受賞。2011~12年、オーケストラ・アンサンブル金沢指揮研究員。2018年、第18回東京国際音楽コンクール〈指揮〉で第1位および特別賞、齋藤秀雄賞を受賞。これまでに指揮を田中良和、松尾葉子、高関健、尾高忠明、C.エーヴァルト、オペラ指揮をH.D.バウムの各氏に師事。井上道義、下野竜也、P.ヤルヴィ、N.ヤルヴィ、K.マズア、R.ムーティ各氏のマスタークラスを受講。  2019年9月21日、フランス東部のブザンソンで開催された「ブザンソン国際指揮者コンクール」にて日本人として10人目となる優勝。


【参加学生】 音楽学部指揮科より須田陽(2年)、竹内健人(3年)、野村洸太朗(3年)、山上紘生(4年)、米田覚士(4年)、湯川紘恵(修士2年) 【撮影】 新津保建秀