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藝大人たち - 第四回 福嶋麻衣子

連続コラム:藝大人たち

連続コラム:藝大人たち

第四回 福嶋麻衣子

藝大出身の著名人に現役の学生が質問をぶつけ、その対話の中から芸術と教育の接続点について探る。本連載、「藝大人たち」は、そんな目的を持った対談インタビューだ。第四回は、でんぱ組.incやわーすた、虹のコンキスタドールなどのアイドルや、PUFFYをはじめとして多くのアーティストのクリエイティブ及び楽曲プロデュースを手掛ける“もふくちゃん”こと福嶋麻衣子さんに、音楽学部音楽環境創造科4年の森下響さんと3年の森本真伊さんがインタビューを行った。

森下

はじめまして。私はいま音環(音楽学部音楽環境創造科)の4年生で、熊倉先生のところの研究室にいます。

福嶋

なんか熊倉先生のとこの学生さんって雰囲気見たら分かるよね(笑)。やっぱ、しっかりしてそうです。

森下

私は作品の作り手ではなくて、アートマネジメントを専攻しています。実際にアートプロジェクトの現場に入り、アーティストと参加者の間に立つことで、そのプロジェクトがプロセスも含めてより魅力的になるようなマネジメントを学んでいるところです。

 

――森本さんはアルバイトとして、福嶋さんと一緒に働いてらっしゃるんですよね?

森本

そうです。私はもともと音響のゼミにいたんですけど、PAとかが出来る人誰か来てくれないかっていうアルバイト募集の連絡がきて。正直、最初はでんぱ組.incとかもそれほど詳しくなかったんですけど、ライブハウスのPAはやっていたので試しに行ってみたら、いつの間にかいろいろな仕事をすることになってました。

福嶋

藝大生あるあるですね。特に音環の子って使い勝手がいいんですよ(笑)。うちの会社(㈱ディアステージ)の女の子達って自分たちでイベントをやることが多いので、いろいろできるのが一度バレると、ピアノ弾いて!とかレコーディングやって!とかいろいろ頼まれちゃってますね。

森本

でも、演奏や音源流通、イベント企画など色々な経験ができて楽しいです。

森下

藝大入学までの幼少期から高校生まではどんな子どもだったんですか?

福嶋

子ども時代は3歳からピアノを習っていて、いわゆるクラシックの勉強をしていました。音大とかに行く人って、美術とは違って、かなり早い段階からその道を歩み始めないといけないから、それもあって私もなんとなくだけど小学校高学年から中学生くらいには音楽高校に行くのかなって考えてた中で、家から近かったので国立音大の附属高校に入りました。

高校に入るまでは本当に厳しかったので、ポップス聞いちゃダメ、クラシックとジャズしか聞かせてもらえないみたいな感じで育ってたんです。だからその反動で、「高校に入ったら好きな音楽が聴ける!」って、それが本当に楽しみでした。

受験のときもそれしか考えてなくて、なんとか合格したその帰り道に調布駅のCDショップに入ったんです。そこでは初めて聞く音楽がいっぱいでめっちゃ楽しくて、たくさんCDとかレコードを買ったのを覚えています。

森本

藝大受験を考えたきっかけって何だったんですか?

福嶋

中学二年の夏休みに1ヶ月半くらいひとりでロンドンに行ったんですね。そこで毎日のように美術館を見て回って、高校生のときにもまた短期留学で行ったんですけど、ロンドンって美術と音楽とファッションが密接に結びついている文化なんだなーって思ったんです。

そういうのがあったから、大学受験を考えるときに、このまま音大に行くのは絶対嫌だって思ったんです。それで思いついたのが藝大なんですよ。音楽だけの勉強というより、美術と音楽どちらも学べる大学ってどこだろうって考えました。そんなときちょうど見つけたのが、当時一期生を募集していた音楽環境創造科でした。正直内容はよく分かんなかったけど、どうやらここに入れば美術と音楽との架け橋ができるらしいぞということで。一期生になれるということもあって頑張って受験勉強しましたね。

森下

たしか当時、音環のキャンパスって取手でしたよね?

福嶋

そう!騙された!と思って(笑)。でも先端(美術学部先端芸術表現科)の学生たちもいたから、それは今思えば本当に良かったなって思います。先端の子たちって当時はすごいヒリヒリしてて、みんなすごいライバル心があったんですよ。誰も群れないし。面白かったし、刺激になりましたね。

森本

先端の学生と一緒に作品を作ったりとかはしなかったんですか?

福嶋

やってる子もいましたね。「なんかこれ音流したいんだけどさ」みたいな感じで無理やり借り出されたりとか。当時メディアアートが流行ってたのもあって、音環の子はプログラミングで音楽を作ったり、先端の子はプログラミングで作品に動きを付けたりとか。一緒になって勉強してましたね。

ねぇ、もっと取手の話しようよ! 地獄の4年間の話を(笑)。私たちが卒業した後に千住キャンパスができた話とか!

森下

事前に先生方に「福嶋さんのインタビュー行くんです」って話をしたら、「でも取手時代の話とか思い出したくないんじゃない?」っておっしゃってました(笑)。

福嶋

(笑)。でも取手の4年間でかけがえのない体験をしたなと思います。そもそも空っぽのプレハブだったからね(笑)。音環の一期生は20人いたんだけど、20人全員ちゃんと4年間で卒業してるんですよ!

森本

すごい…優秀ですね…!

福嶋

みんな早く卒業したかったんだろうね。でも、授業が本当に全部面白かった。上野の授業とかにも出てましたね。歴史的な機材とか本当にレアなシンセサイザーとかが普通にあるような大学なので、「これはなんとかしてあのシンセを触るためにあの授業を履修したい!」って思って。それは今でも自慢できますね。今もシンセの授業ってあるの?

森下

ありますあります。チームに分かれて授業中に音作ったりとか。

福嶋

そうそう(笑)。めちゃくちゃ古くて。たぶん藝大くらいしか持ってない機材とかもありましたよね。 貴重だよー。

森下

藝大の音環時代の同期との繋がりって今もあったりするんですか?

福嶋

20人いましたけど、仲が良いという雰囲気ではなく、全員独立してましたね。全員がライバルって感覚だったのかなぁ。本当に独特な人が多かったですね。

なにより作品の講評の時間が恐怖の時間でした。作品を出す。こき下ろされる。「これはどういう意図なんだ?」とか20人全員が突っ込んで、20人全員しょんぼりして帰るみたいな。「こんなことも知らないの? なんで分からないの?」とか面と向かって本当に言うんですよ。漫画の世界だけじゃなくて(笑)。

森下

卒業制作で「喪服の裾をからげ」っていうライブストリーミングをしていたと思うのですが、当時コスプレして、生配信をするっていうそのインスピレーションってどこからきたんでしょうか?

福嶋

時代なんですけど、私が中学生くらいの頃ってインターネットがすごく面白くて。みんな知らないよね、Windows95が発売されたときの秋葉原とか。

森本

生まれる前かもしれないです…。

福嶋

そうだよね~。当時、Windows95が我が家にきて革命だ!って思って。そこからインターネットがぐわってきた。音楽もアートもインターネットの台頭によりすべての考え方が変わるだろうなって思いました。これはいち早くビックウェーブに乗るしかないって思って、中学の頃からプログラミングの勉強をして自分でゲームを作ったりしてましたね。

2000年代前半にニコニコ動画とかが出てきたときに、このままいくと回線も太くなって、一人ひとつずつテレビ番組を持つようになるなって思ったんですよね。それが、当時の作品に結び付いたんだと思います。で、せっかく世界と繋がれるんだから英語でやろうと思って。さらに、「コスプレとか絶対外国人好きやろ」って思って(笑)。そうやって始めたら反響がすごくて、やっぱりインターネットの時代なのかなって確信しましたね。

森下

卒業して、すぐに今のアイドルのプロデュース業をスタートしたわけではないですよね?

福嶋

今の仕事に行きつくまでにいろいろやりましたね。最初はインターネットの配信を見て、面白いって声をかけてきてくれたギャラリーの人がいて、そのご縁でアートギャラリーに勤めたんですよ。そこでギャラリーの勉強をして、アートフェアに行って色々売ったりとかね。ギャラリーのビジネスを勉強できたのは良かったです。

その反動で、また反動なんですけど(笑)。当時の秋葉原は、まだホコ天がすごい自由な雰囲気だったんですよね。路上でみんなでコスプレして遊んだり、アニソン歌って踊ったりしてて。ギャラリーの仕事をしてる時にニューヨークとかロンドンとかでいろんなホコ天を見たんですけど、秋葉原のホコ天が一番面白いって思ったんです。日本の中央通りにこんな面白いホコ天あったんだって衝撃を受けました。

そこで、突然仕事をやめて、その後ちょっと写真集の仕事とか、商業的な世界も見たかったのでやってみたりしたんですけど、心はもう秋葉原のホコ天に持ってかれちゃってたので、そこからはもうずっとそっちにどっぷりで仕事してますね。

森下

今後の秋葉原の文化とかアイドルのイメージはありますか? こういう流れになってほしいなとか。

福嶋

そのホコ天の頃から秋葉原は見てるけど、やっぱり街は時代によって変わるし、来年もオリンピックがあるからまた雰囲気がいろいろ変わるだろうし。良くも悪くも街って息をしてるんだなって思いますね。昔はやっぱりアニソンばっかりだったけど、アイドルの時代になって、今は個人がひとりひとり発信していくようなコンテンツも出始めてるし、そういう人に焦点を当てた店も出てくるだろうし。そういう変化にもある程度対応しつつ、秋葉原ディアステージ(運営に携わるライブ&バー)っていうストリートのベースもあるから、私がなにかしたいっていうより、そういうハングリー精神のある人と、一緒に文化を作っていきたいなと思ってます。若い人とかが次に秋葉原のストリートを使ってなにするのかな?って。それを応援できればいいなと思います。

森本

学生時代、中学・高校も含めて、やっておけばよかったなってことはありますか?

福嶋

逆に、やっておいてよかったと思うことは結構あって。例えば音楽でもアートでも、いろんな作品を見たこと。本物の作品を一回見るとやっぱり興味が出てきて、そこから自然とその作品の歴史を調べたり、文脈や流れがあるからこういう文化になって…とかが理解できたり。それを藝大に入る前からある程度やっていたのがすごい武器になったなって思います。

今の学生さんとか若い人たちを見てると、文脈を知らない人が結構多いのかなと思います。老害みたいなこと言うけど(笑)。今は細かく多分野に分かれている時代だから別にいいとは思いつつ、自分の武器となる分野とか好きな分野にめちゃくちゃ詳しくなるとか必要かなと思います。そういうのを意識しておけば、自然とその分野の歴史とかにも興味が出てくるはずだから。そういう風にしていろんなものを知っていくことは、ありとあらゆるところで役に立つなと思いました。

森下

秋葉原のストリート性に魅力を感じられて、今のディアステージなどのライブ的なものに繋がっていったと思うんですけど、その過程でなにか意識していたこととかはありますか?

福嶋

やっぱり秋葉原の強いところって他の街にはない、明確なイメージを持っていることだと思うんですよね。秋葉原のオタク文化って共通項があるんですよ。「自分だけが好き」って決めつけて家でじっと思っててもなんの広がりもないけど、すごいニッチな趣味だとしても、秋葉原にきて路上でそれを披露すると「それおれも好き!」みたいな人たちがわーって集まってきて、初めて会った人でもそのコンテンツで盛り上がれるみたいな。それが当時の秋葉原にしかないストリート性だった。めっちゃニッチでも誰か一人がめちゃくちゃ熱くなってるコンテンツって、たぶん世界に100人くらいは同じように好きな人がいるんですよ。そういう人たちが集まった時の熱量とかを大事にしたいから、とにかくうちの女の子達には「自分の好きなことやんな!」って口を酸っぱくして言ってます。自分の好きなことだったら共感してくれる人は絶対いるからと。

森下

アイドルとかアーティストを世の中に売り出していく上で、一番意識していることってなんですか?

福嶋

さっきの話と被るかもしれないけど、自分がいいと思ってることを薄めない方がいいなと思います。でんぱ組.incにしてもでんぱソングとかってすごくニッチなジャンルのはずだったのに、それを歌うアイドルを作って極めたら、意外と好きな人がいたとか、「面白いね」って言ってくれる人が出てきたりとか。

なんとなくマーケティングで「これ売れそうだな」って考えて作ったコンテンツってなんかどこかでガタがくると思ってて、自分がそもそも疲れるし、つまんないってなると思うし。自分たちがいいと思ってるものを出すべきかなって考えてます。その点は一貫してるかな。

森本

プロデューサーのお仕事っていろんな人とコミュニケーションを取って、形にしていくことが大事だと思うんですが、藝大生って例えばすごくいい絵を描くとか、すごくいい演奏をする人っていっぱいいると思うんですよ。でもそれを伝えるのが苦手というか。

福嶋

ほんとにそう! そういう人たちを救いたいなっていう想いもかなりあって、自分がプロデューサーになったらそういう人たちを使おうと思っていたから、今すでに売れてる人を使うというより、なるべく若手を使おうっていうルールがあって、今仕事なくて困ってる人、お金はないけどやりたいことがあるとか、なるべくそういう人に一番最初に声をかけるようにしてます。

この10年くらいでそれが少しはできたかな。そうやって売れていった人たちを見るとほんとによかったなって思います。単価が高くなって帰ってきて大変って思うこともあるんですけど(笑)。藝大生にしても、才能はすごくあるのになー、もう少しコミュ力があればなーって思うことはありますね。

森下

それはどうすればいいですかね?

福嶋

言葉を喋れないと世の中ではすごく厳しいなって思いますけど、大学ではそこまで教えてくれないもんね。でもひとつ思ってるのは、「プロデューサーを育てる」こと。たまーに、コミュ力の高い藝大生が出てくるじゃないですか。一方で、ほんと全然喋れないけど絵を描かせたらめっちゃ上手い人ってたくさんいるから、コミュ力の高い人を育ててプロデューサーにして、そういう人と一緒に共同作業ができるようになっていったらいいのかなと思って。

特に、音環とかが中心となって、プロジェクトを立てて、アーティストをアサインして、予算も管理して、コミュニケーションを取りつつ円滑に最後まで進められる人を育てられたら、藝大生100人食わせられるのでは!と思います。

全体的に、プロデューサー不足なのかなと思いますね。どの分野でも。藝大に才能のあるプレイヤーは毎年たくさんいるから、どんどんプロデューサーを育てていって様々な分野で彼らと一緒に戦っていけたらいいなって思います。

>>過去の「藝大人たち」


【プロフィール】

福嶋 麻衣子
東京都出身。音楽プロデューサー/クリエイティブディレクター。 東京藝術大学音楽学部卒業後、ライブ&バー「秋葉原ディアステージ」やアニソンDJバー「秋葉原MOGRA」の立ち上げに携わり、でんぱ組.incやわーすた、虹のコンキスタドールなどのアイドルや、PUFFYをはじめとして多くのアーティストのクリエイティブ及び楽曲プロデュースを手掛ける。


【インタビュアー】 森下 響 (音楽学部音楽環境創造科4年) 森本 真伊(音楽学部音楽環境創造科3年)