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藝大リレーコラム - 第二回 日比野克彦 「3年生の課題」

連続コラム:藝大リレーコラム

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第二回 日比野克彦 「3年生の課題」

2018年から19年にかけて、日本の80年代のアートシーンを振り返る展覧会が続けざまにあった。金沢21世紀美術館などで開催された「起点としての80年代」大阪国立国際美術館での「ニュー・ウェーブ現代美術の80年代」、私も参加しました。また今年の美術手帖6月号でも80年代・日本のアートが特集で取り上げられたりした。そんなタイミングで、先日、私の講義の授業で自分の80年代の作品を当時の学生生活の様子と共に振り返ってみた。今の学生たちにしてみれば生まれる前の話である。改めて時間の経過に驚く・・。私が藝大の教室で授業を受けていたのが80年代初頭であり、絵画棟の横にあった廃材置き場でダンボールを拾って来て作品を作っていた1980年のあの日も、ついこの前のことのようである。上野の藝大の校地の中は、美術館以外はあまり変わってはいないし、なによりその時の授業を行っていた教室も当時と変わっていないから、なおさら記憶の縮尺が無重力になる。

1980年デザイン科の3年生であった私は、6月に古美術研究旅行に行ったあたりから作品制作活動が活発になっていった。クラスメートと2週間の共同生活は互いの制作について語り合う時間が濃密に交わされた。その中で気の合う仲間でグループ展をやろうということになった。場所は自分たちの教室。夏休みに9月の藝祭に向けて部屋を作りこんでいった。まずは何を造作したかというと、カウンターバーを作り、冷蔵庫、食器棚を入れて、教室イメージを一掃して、当時流行り始めたカフェバーギャラリーの雰囲気作りを行った。「DIAMOND MAMA」という名前をスペースに付けて、それがグループ名にもなっていった。


1980年 デザイン科3年生教室 DIAMOND MAMA

 

藝祭でのグループ展での「熱量の高さ」は今でも身体が覚えている。後期の授業が始まっても内装はそのままであったが、この教室が他の学生にも当時の先生らにも評判が良く、授業終わりにはみんなが集まり、懇親を深める場にもなっていった。その勢いもあったのだろう、3年生の最後の課題では自分の転機となる作品が生まれることとなる。課題は「対決」というテーマでの立体作品の制作で、サイズ、素材は問わないというものであった。既成概念とも対決しながら、たどり着いた素材が、廃材置き場のダンボール箱であったのです。梱包用ダンボール箱を解体した素材を使って、男と女が対決していく門出を祝うウエディングケーキを制作した。

1980年 デザイン科3年生での課題「対決」提出作品

 

そして、4年生の卒業制作でもダンボールで平面、立体作品を20数点、大学院ではPARCOが主催していた公募展の「日本グラッフィク展」での「PRESENT AIRPLANE」などの発表を機に舞台空間、商業空間、そして公開制作、パフォーマンスへ広がっていった。

1982年  第3回日本グラッフィック展大賞受賞作品「PRESENT AIRPLANE」(岐阜県美術館所蔵)

 

今あらためて、こうして振り返ってみると、現在東京オリンピック文化プログラムとして行っているアートプロジェクト「TURN」。そして藝大の授業で展開している、芸術×福祉の取り組みであるDIVERSITY ON THE ART PROJECT 「DOOR」などの、社会の課題に芸術がどう対するのかという活動も、3年生の時の課題であった「対決」の延長線上なのかもしれないと、ふと思ったりした。授業を聞いている学生たちに、当時の自分が居るような気がした・・・。

 

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【プロフィール】

日比野 克彦
東京藝術大学 美術学部長