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藝大リレーコラム - 第四回 片山まび「上野のカケラ」

連続コラム:藝大リレーコラム

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第四回 片山まび「上野のカケラ」

私はうつむきがちな人間である。いきなり暗い印象かもしれないが、陶磁器の歴史を学ぶ人間は、どこにいってもなめるように地面を見て、何か落ちていないかと探る癖がある。私にとっては子供の頃からの習慣で、今も通勤途中に江戸時代の徳利のカケラを拾ったりする。カケラには足が生えているわけではないので、誰かがどこかで作り、それを運び、使われてきた物語が記されている。ここ最近は上野と韓国の釜山を往復しつつ、江戸時代の日本人町であった釜山の草梁倭館から出土した陶片整理にあたっている。カケラから異国の地に暮らした遠い昔の人々の話を聞くことは実に楽しいひと時でもある。

1987年の藝大入学当時、芸術学科には日本で唯一の工芸史研究室があり、中学生のころから韓国の高麗青磁に興味があった私には魅力に思えた。入学後は華やかな実技の学生と優秀な芸術学科の先輩にまぎれて、練馬の石神井寮と大学を往復する実に平凡な学生であった。私の指導教授であった中野政樹先生は正倉院金工を専門とされ、遠くの地からもたらされた工芸に思いをはせる面白さを知ったのは先生の講義であった。特にご自身が滞在しておられた韓国、統一新羅時代の金工から正倉院金工への影響については熱弁をふるわれ、今もその口調が頭に浮かぶ。卒論には韓国陶磁を取り上げたかったが、先生は韓国語取得を条件とされた。残念ながら語学の勉強は足りず、代わりに唐津焼について書いたものの、さほど良い成果ではなかった。おそらくお情けで大学院の進学が許されたのではないかと思うが、修士が始まると同時に本格的に韓国語を学び始めた。今でこそ韓流ブームの世の中となったが、当時、韓国語の本は朝鮮語と表記され、大きな書店をくまなく探してようやく1冊あるかないかというような状況であった。それでも言葉を学ぶのは楽しく、中野先生は韓国調査旅行に連れていってくださった。さらに92年には韓国政府教育部(当時)国費奨学生の募集があり、その試験を受けるに至った。

当時、日本では韓国は軍事政権の影響がまだ残る、しかも反日感情の強い恐い国という印象が強かった。韓国に留学して考古学や歴史を学ぶ日本人留学生はいたが、美術史は皆無で、まったく情報もない。藝大以外の知り合いからは無謀なこととさんざん言われたが、藝大生は面白い、がんばってと励ましてくれた。特に中野先生は1年間の在韓中に多くの発見があったこと、大切な人々との縁について話してくださった。96年まで5年間弱にわたるソウル大学校博士課程の留学は大変なことも多かったが、先生の助言どおり、数えきれない発見があり、大切な人々や研究テーマなど人生の宝物を得ることができた。

藝大は学生数が少なく、先生との距離が昔から近い。そんな環境だったからこそ、私は宝物を得ることができたのだろう。その経験は、今、藝大の教壇に立ち、世間からみてそれがどんなに無謀なことであっても学生の夢を応援したいという思いにつながっている。また、あきれるぐらいに平凡な学生であったからこそ、カケラを丹念に拾い、その物語に耳を傾けるように、今の人の話にも耳を傾けたいとも思うのだ。

 

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【プロフィール】

片山 まび
東京藝術大学美術学部芸術学科工芸史研究室教授 岡山県生まれ。 1993年、東京藝術大学大学院美術研究科修士課程芸術学専攻修了。 1996年、大韓民国ソウル大学校人文大学博士課程考古美術史学科修了、文学博士。 大阪市立東洋陶磁美術館学芸員等を経て、2008年より東京藝術大学美術学部准教授、2017年より現職。 専門分野は東洋陶磁史、韓国・朝鮮美術史。