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藝大リレーコラム - 第十八回 鉾井喬 「不安感の中の期待感」

連続コラム:藝大リレーコラム

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第十八回 鉾井喬 「不安感の中の期待感」

先日、全国で緊急事態宣言が解除された。それまでの1月半、福島の自宅に一人閉じこもり、まだ感染者のいないこの地域でステイホームを続けていた。たまにオンラインで人と会うものの、しばらく対面の会話をしていないせいか、元気が出ない。コロナの状況に対して行動を起こしたいのに、自分に自信が持てず行動に移せない悪循環の日々が続いた。
人はもしかしたら、普段の何気ない会話だったり、その時の相手の表情や仕草など微細なコミュニケーションの蓄積が、お互いの心を満たしたりする大切な要素だったりするのかもしれない。つくづくソーシャルな生き物だと感じる。

2月末まで私はアメリカのアーティストインレジデンスに滞在していた。アメリカ最大のレジデンス「Vermont Studio Center」に世界中から作家が集まり生活を共にし、お互いが影響を与えながら作品を制作するというプログラムだ。そこは作家にとってのまさにユートピアだった。お互いが尊重し合い、刺激し合いながら制作できる環境があった。人種や性別による違いを感じさせない場作りの意識があり、言葉に壁のある私にとっても、国境を感じることがなかった。皆が以前から知り合いだった仲間のような、そんな錯覚さえも感じる素晴らしい滞在だった。様々な価値観に触れ、創造性を刺激されることは芸術家にとって非常に重要なことである。多様な価値観を認め理解をすることで、新しいものを生み出すことができる。
ところが、コロナウイルスの感染拡大以降、各国の国境は閉じられた。国境どころか県、地域の往来さえ以前のようには行かなくなってしまった。もちろんこれは感染を拡大させないための手段である。だが、恐ろしいことはそれと同時に多様性を排除する考え方が広まっていることだ。あらゆる事に線引きをすることで差別が生まれたり、本質を理解しないレッテル貼りが横行する。それが続けばやがて平和な未来は失われるかもしれない。この状況を非常に危惧している。
芸術に携わる者として、多様な価値観を守っていきたいと切に願う。私たちは表現者であり、言葉のみならず、様々な表現を通して人種や国境、言葉を超えて人々の心を動かす力がある。多様な解釈を受け止めて、理解を深めるという芸術の持つ力が、今、世界の危機から脱する重要な役割を帯びていると感じる。

一方でその芸術を学ぶべく大学に入学してきた学生にとって、翻弄されるこの状況はとても負担が大きいと思う。しかし、今抱えている悩みや怒り、苦しみは経験として未来の自分に返すことができるかもしれない。
私は2011年の東日本大震災の当時、新人のNHKのカメラマンだった。3月11日は偶然ヘリの当番日で地震が起きてからすぐフライトして、正に仙台平野を襲う津波を空撮、中継した。その後、混乱の中で福島局のカメラマンとして福島県内の津波被害、原発事故の取材を続けた。
当時の経験は身内に被害がなかった自分にとっても、思い出すことが辛くなるような経験である。家族を亡くしたり被害に遭われた方のことを考えると本当に心が痛む。その後NHKを退職して芸術家としての活動を再開するが、震災を制作のテーマにすることがなかなかできなかった。しかし、風化していく現実、強く生きる人々との出会いが心を動かし、4年後にようやく「福島桜紀行」という桜のある風景とそこに携わる人々を通して今の福島を伝える映像作品を制作し始める。だが、もちろん今も震災の経験を完全に乗り越えたわけではなく、葛藤と共に生ている。
今になってだが、経験が後々に表現に結びつくことがあるかもしれないということを強く感じている。もちろん辛さや苦しさを思い出すこともあるが、経験と共に生きていくような。

これは今のコロナの状況にも共通していることだと思う。もちろん悩みすぎたり、考えすぎたりすることはよくない。でも、今自分が晒されている異常事態や困難という実体験に対して、冷静に向き合う事によって、その中から気付きを見出したり新たな発想を得たりするかもしれない。今すぐにではなくても後にどこかで自分の表現に結びついてくるかもしれない。それが表現者の素晴らしいところであり、もちろん芸術家だけでなく全ての人間が持っている、生きる術だと思う。だからこそ今、芸術は必要なんだと思う。
すぐに行動できる人はするべきだ。でも無理はしなくてもよい、焦らなくてよい、タイミングは人それぞれ。この混乱に呑まれることなく、創造の闘志を絶やさず共に燃やし続けていきたい。


(オープンスタジオ Vermont Studio Center・2020年)

 

写真(上):風と土の接点(中之条ビエンナーレ・2017年)

 


【プロフィール】

鉾井喬
美術作家・東京藝術大学美術学部デザイン科立体工房非常勤講師 1984年神奈川県生まれ。東京藝術大学大学院修了後、NHKにカメラマンとして就職。東日本大震災で仙台平野を襲う津波を空撮、中継。退職後に制作活動を再開し、学生時代に熱中した人力飛行機やその後の震災の経験から、風やエネルギーなど見えないものを可視化する作品を制作。国内外のアーティストインレジデンスや地方芸術祭に参加。2016年からデザイン科立体工房非常勤講師。