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藝大リレーコラム - 第二十一回 侘美真理「ステイ・ホーム」の今に思うこと

連続コラム:藝大リレーコラム

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第二十一回 侘美真理「ステイ・ホーム」の今に思うこと

 疫病と文学のつながりは深い。ペスト、コレラ、スペイン風邪など多くの感染症が文学作品に描かれてきた。感染症をきっかけに心身の不調で苦しんだ作家や芸術家も多い。私の担当する文学と英語の授業で取り上げてきた作家に「ブロンテ姉妹」(シャーロット・ブロンテ、エミリ・ブロンテ、アン・ブロンテ)という三姉妹の作家がいるが、彼女たちも感染症の蔓延に苦しんだ者たちである。
 19世紀英国北部にあるハワースという小さな村で育った三人姉妹は、『ジェイン・エア』(シャーロット・ブロンテ作, 1847年)、『嵐が丘』(エミリ・ブロンテ作, 1847年)など、映画や舞台にもなった名著を世に送り出した。自由や魂の解放を求めた3人の強靭な精神性は、後世の小説家や芸術家に大きな影響を与えた。しかし、3人とも若くして亡くなっている。
 『嵐が丘』を出版したエミリはその翌年、急死した兄ブランウェルの葬式後に風邪のような症状を発し、3か月後に兄を追うように30歳で亡くなった。2歳下の妹のアンはさらにその5か月後に亡くなった。兄妹3人の直接的な死因はいずれも結核とされている。弟ブランウェルを看病時に1週間寝込んだとされる姉シャーロットはひとり生き延びたものの、6年後に死去した。当時のハワース村は毛織物産業が発展し人口が急増していたにもかかわらず、下水処理など基本的な衛生環境が整っていなかった。19世紀当時の衛生環境において、チフス、コレラ、結核といった様々な感染症が蔓延し、若い人々が亡くなるのはまったく珍しいことでなく、そのような悲劇は日常の一部に組み込まれていた。
 夭逝した天才たちの名を高めるにふさわしいともいえる出来事が、新型コロナウィルスが世界的に蔓延した今、妙に現実味を帯びて迫ってきたように思う。これは家族間での感染拡大という1つのケースではないか。兄と妹が3人続けて亡くなったのは家族感染によるものだろう。実際、幼いころから兄姉妹は牧師館の自宅にこもる生活を送っていた。教育は父親のもとで受け、室内で過ごす兄姉妹間の唯一の楽しみが創作活動だった。牧師館でひっそりと家族仲良く暮らす生活は、外界からの感染リスクを極力避けるためだったのだろう。姉妹の中でもっとも内向的な性格で、外に出ればホームシックになったと伝えられるエミリも、慎重な予防策を講じるために自ら社会と隔絶した生活を送ったのかもしれない。しかし、大人になり社会に出ればリスクは高まるわけで、不運な運命を遂げることになった。
 もちろん、現在は衛生状況も医療水準も別次元にあり、ウイルスのファクターも異なり、これが過去の遠い話であることには変わりはない。とはいえ、漠とした不安は拭いきれない。感染の危険は言うに及ばず、現在提唱されている「新しい生活」や「ニューノーマル」と呼ばれる状況には、程度の差はあれ、慣れるまで心身のアンバランスを伴うことだろう。大学では遠隔授業が実施されているが、ヴァーチャルな対面は時に奇妙な感覚をもたらす。「濃厚接触」を避け、「ソーシャル・ディスタンス」を求める世の中で、ふいに画面上に大写しに映し出される顔や、耳元に迫る声の濃淡は、かえって相手との「距離」を縮めすぎているようにも思う。コロナ疲れとも言われる心身の不調は、過去の世紀とはまた違う課題を提示していくのではないか。
 こうした観点から言えば、ブロンテ姉妹の「ステイ・ホーム」生活が何をもたらしたかと言えば、それは抑圧された魂の解放、あるいは肉体からの解放を観念的な世界へと導くものであり、さらにその束縛や制限からの解放を求めるエネルギーが三姉妹の作品に開花されたと言える。そうであるならば、現代のコロナによる「ステイ・ホーム」の状況は、今後の世界の変化への内に秘めたるエネルギーの起爆剤となるのかもしれない、とも思うのである。

 

写真(上)ブロンテ姉妹作品集(Thornton Edition)

 


【プロフィール】

侘美真理
東京藝術大学音楽学部言語芸術・音楽文芸准教授 2010年 東京大学大学院人文社会系研究科(英語英米文学)助教 2013年~ 東京藝術大学音楽学部言語芸術講座准教授 専門はヴィクトリア朝小説 共著書・翻訳に『村上春樹「かえるくん、東京を救う」英訳完全読解』(NHK 出版)、『ブロンテ姉妹』(集英社)、『セクシュアリティとヴィクトリア朝文化』(彩流社)など