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藝大リレーコラム - 第二十三回 北澤悦雄「大浦食堂の歴史-コロナで今思う事」

連続コラム:藝大リレーコラム

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第二十三回 北澤悦雄「大浦食堂の歴史-コロナで今思う事」

私が大浦食堂の全てを任されて32年、働き始めてから50年にもなります。大浦食堂は昭和12年(1937年)から途中休業年もありますが学生食堂として78年程営業してまいりました。その間には色々なことがありました。
先代大浦英一の妻郁子から聞いたことですが、戦前は現在の場所の近くに梅林があったので屋号は「梅林食堂」として営業、昭和19年頃学生から学徒動員で出陣し食堂としての経営が成り立たなくなりやむなく廃業。戦後学生が復員してきてから復帰運動が起こり昭和24年に再び営業することになりましたが、以前の梅林食堂は他の人が経営しており梅林の屋号は使えなかったので「大浦食堂」として再開し、現在に至っています。再開した当時は食料事情も悪くお米も配給制で学生食堂としてはお米が定まりません。そこで田舎のある人はお米を持ってきて頂いて米櫃にプールし、一食炊き代として一円頂いて提供し学生も食堂も大変助かったと聞いています。
1970年安保騒動の時も大変でした。藝大全共闘が日本大学芸術学部全共闘と共闘し陳列館に立てこもり連日大学側と学生自治を求め連日団体交渉と今では考えられない日々が1年近く続きました。平成8年の春には大学美術館の建築が決まり旧食堂を壊すことになり、藝大としては久しぶりの食堂解体反対の学生運動、立て看板も立てられました。話し合いで旧食堂で連日のイブニングコンサート、学生中心の展覧会、建築科の実測調査等が行われました。平成7年までは土曜日の授業があり、アトリエも夕方まで自由に使えました。現在はアトリエ使用時間も短くなり学生達もそれなりに対応していますが、新型コロナウイルス感染拡大の今、アトリエ使用やレッスン室使用も制限され、一年生に至っては入学しても半年間学内の入構が制限され、非常に可哀想に思います。藝大の授業はオンラインでは不十分だと思います。制作活動をして対面で個人レッスンを受けるのが本来の姿です。藝大生にとって学部学科が違う人との接触交流、コミュニケーションが大切。そこからインスピレーションが湧き新たなコンセプトが生まれ作品につながる機会が奪われたことは非常に残念で悔しい思いです。早くコロナが収まり平常の学生生活が送れる日が来ることを望みます。学生達もモチベーションを落とさず頑張ってください。食堂経営も大変な状況にあります。持続化給付金は頂きましたが東京都の感染防止協力金は要件を満たさず不給付。雇用調整助成金もどのくらい支給されるか解らず、家賃支援給付も大学との契約内容から給付されるか不透明です。学校が再開されたら出来るだけキャッスル、大浦食堂を利用してくださることをお願いいたします。

写真(上):旧大浦食堂(椎の木から西側をみた全景)

 


【プロフィール】

北澤 悦雄
大浦食堂マスター 1970年から大浦食堂に勤め、1988年より大浦食堂のマスターとして営業を続け現在に至る。