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藝大リレーコラム - 第三十五回 籔内佐斗司「日本人の当たり前の知恵に気づく」

連続コラム:藝大リレーコラム

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第三十五回 籔内佐斗司「日本人の当たり前の知恵に気づく」

私が小学生だった頃のことですから昭和30年代の昔話です。給食時間になると廊下に消毒液が入ったホーロー引きの洗面器がふたつ並べられ、みんながそこに並んで両手を浸してから食事をしたものです。美味しそうな給食の香りとともに、消毒液の鼻につくにおいが思い出されます。そして給食当番は、ガーゼマスクに頭巾とエプロンという重装備で配膳をしていました。手洗いやうがいも、日常的に習慣づけられていましたし、風邪の季節にはマスクをするのが当たり前でした。

また、今の学校ではどうかわかりませんが、そのころは、教室や廊下、窓ガラスはもちろん、便所まで生徒が当番制で掃除をしたものです。こうした保健衛生や清掃は学校教育の一環でした。昨今の新型コロナウイルス騒動の際の日常的な予防対策を聞くにつけ、そんな子ども時代の当たり前が蘇ってきました。

目に見えない身分社会が残る欧米では、学校の食事の給仕や掃除は専門の職員の仕事で、生徒にそんなことをさせようものなら、保護者や労働組合から厳重な抗議が寄せられることでしょう。しかし、自分自身や身の回りを清らかに保つことは、古来から「穢れ(けがれ)を払い(はらい)浄める(きよめる)」文化をもっている日本人には当たり前のことでした。年末の一家総出の大掃除や畳替えは懐かしい思い出です。社寺にお参りする際には、必ず手水舎(ちょうずや)で手を洗い、口を濯ぎます。また茶の湯でも、席入りの前に蹲(つくばい)の水で手や口を浄めます。そして、席主は客人の前でかいがいしく茶器を清拭したり羽箒で畳を掃いたりする姿を洗練された作法で披露します。神仏にお茶や食事をお供えする際に、神官や僧侶の息がかからないように白布で口を覆い、お膳を目の高さまで捧げている姿を目にします。武士の魂である刀剣を扱う際にも、二つ折りにした懐紙を口に咥えて、刀身に直接息がかからないようにするのが作法です。

日本での新型コロナウイルスの感染拡大が欧米に比べて際立って小規模だった理由はまだわからないようですが、私たちの生活様式が大きく影響しているのではと指摘されています。日本人が私的空間で履き物を脱ぐ習慣は、水田耕作と高床式住居に暮らし始めて以来と考えられ、中国文明の受容期や明治時代の欧化政策下でも、戦後の連合軍の占領下でも、頑なに維持されてきました。そして今なおほとんどの小学校では、上履きに履き替えて教室に入り、便所では専用スリッパを使っています。旅先の多くの旅館や飲食店でも、便所ではスリッパに履き換えます。欧米でスリッパを使うのは寝室などの私的空間に限られ、ある外国からの客人が訪問先の玄関で靴を脱がされ、スリッパを勧められて面食らったと聞きました。

新型コロナウイルスの感染判明者の数が連日報道されて、その増減に第二波だ、第三波だと、まるで芸能人の醜聞と同レベルの大騒ぎですが、感染の拡大は、感染者数とPCR検査数の比率を比べなければ判らないことは明らかです。また、もっとも重要なことは、重症者の増加による医療現場の崩壊を防ぐことであって、無症状の感染者数ではありません。その数だけを取り上げて扇情的に「感染が急拡大!」と騒ぎ立てる自称専門家や行政担当者、マスコミの姿勢には大いに違和感を抱いています。そして感染症への極めて有効な手立ては、日本の社会における日常の当たり前の行動規範だと改めて感じます。

何ごとによらず海外事情に詳しいひとやグローバルを喧伝するひとたちほど、「アメリカでは・・、ヨーロッパでは・・。それに引き替え、日本では・・」という「出羽の守(ではのかみ)」的文脈で自説を展開しますが、このコロナ騒動禍は日本人が自らの文化のなかで育んできた当たり前の知恵の効用を見直すよい機会になると思っています。

任侠坊 葡萄童子

 

写真(上):手洗いひらまくん

 

 


【プロフィール】

籔内佐斗司
東京藝術大学大学院美術研究科文化財保存学 教授 1953年 大阪市生まれ 1980年 東京藝術大学大学院美術研究科修了 1988年 「Satoshi Yabuuchi Exhibition」(ニューヨーク) 1993年 「籔内佐斗司の博物学的世界」展 (日本橋高島屋) 1999年 「籔内佐斗司の世界・色心不二」展 (三越エトワール/パリ、日本橋三越、各店) 2002年 大仏開眼1250年奉賛「籔内佐斗司in東大寺“太陽と華と”」(東大寺金鐘会館) 2003年 「第21回平節田中賞」「倉吉;緑の彫刻賞」受賞 2004年 東京藝術大学大学院美術研究科文化財保存学教授に就任 2005年 特別展「籔内佐斗司in醍醐寺」(京都・醍醐寺霊宝館ギャラリー) 2006年 「籔内佐斗司彫刻展 神霊的童子」(香港崇光百貨店有限公司/香港) 「三越美術百年記念 籔内佐斗司彫刻展 百年童子」(日本橋三越、各店) 2007年 高島屋美術部100周年記念展「籔内佐斗司~笑門来福~」(日本橋高島屋、各店)