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藝大リレーコラム - 第五十三回 上原利丸「退任記念展、今、思うこと」いつでも0スタート、すべては空である

連続コラム:藝大リレーコラム

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第五十三回 上原利丸「退任記念展、今、思うこと」いつでも0スタート、すべては空である

8年前に古巣の藝大に戻り、学生の指導に当たることになった時、コロナ禍の状況が退任の終盤に訪れようとは夢にも思っていませんでした。人生何が起こるか分からない。

2020年4月に大学が、教員も含めて全面登校禁止になった時は、ウイルスの脅威に社会が機能不全に陥る不安で、心身が硬直していくような感覚でした。しかし、数日が過ぎ自宅の工房で制作や好きな庭いじり、ご褒美の晩酌をしていると、これは案外いいかもしれない。会議はないし、学生の指導もしなくてもいい。退任後はこんな生活か。ところが2週間も過ぎるとメールでの指導、クラスルームでの対応、オンライン会議、SNSで入ってくる事項をパソコンの前で処理する毎日。アナログの人間がいきなりデジタルに放り込まれ、これまで経験のしたこともないストレスが襲ってきました。人生甘くない。

工芸科は対面でないと指導しにくい授業が多く、6月からコロナ対策の基準を満たしながら対面とオンラインを併用して授業を実施。今より相当ピリピリした毎日だったような気がします。それでも直接学生に指導できるありがたさをあらためて感じました。言葉だけでは伝えられないもの、人間の五感を大切にした教育はとても重要だと思います。自分の制作においても五感から得たものを作品のテーマ・コンセプトにして研究テーマの「本友禅染めによる現代的で新しい表現の展開」に落とし込んで制作しています。

今年度で藝大を退任することになり、大学美術館において「上原利丸退任記念展」-本友禅染めの多様性と独自性-を2021年10月28日から11月7日まで開催しました。会場を「文化」「芸術」「教育」の3つのゾーンに構成しました。「文化」ゾーンは日本の染織の意匠に大きく寄与してきた着物の形態の一つ振袖4点と名古屋帯16点、計20点を「芸術性・機能性・社会性」の三拍子が揃った現代アート作品として、「芸術」ゾーンは染色アーティストとして、活動の中心となってきた公募展・個展の平面作品39点、「教育」ゾーンは学生や制作研究を続けている若い作家のために、初期から現在までの作品の時代的な変化、公募展出品作品や着物の彩色下図、拡大下図を現物との比較で制作のプロセスが理解できるように、また着物の制作風景のスライドショーも合わせて作品26点、合計85点の作品を展示しました。

コロナ感染者の減少もあって、短い期間ではありましたが、三千人を超える卒業生や多くの方々がご高覧くださりました。これまでの生活から解放感を味わいたいのか、上野公園も連日多くの人出でしたが、コロナ以前の公園の活気から見るとまだまだでしたね。一度体に染み付いた経験や感覚は簡単には抜けないようです。この先コロナが収束してもマスクは健康以外にファッションの一つとして残るかもしれません。日本人の体質からして可能性は高いような気がします。マスク姿が日常、素顔が非日常、ちょっと怖くて想像したくないですね。

終わりに退任記念展の図録に書いた、あとがきの文章で締めくくりたいと思います。

少し教育の現場に長く居すぎたようです。作家として制作活動で得たものを学生の教育・指導に還元していくことが、美術・工芸の教育者としてあるべき姿と信じて人生を歩んできました。この考え方は今も変わることはありません。

学生には「自学自習」、「0スタート」、「エネルギー」の三つを大切に制作に取り組んでほしいと言い続けてきました。この言葉は、常に自分にも返してきたつもりです。技法や技術は教えることができるけど、表現に対しては刺激になることは言えても教えることはできない。各自の中に内在しているものから引き出し獲得するしか道はない。

私の育った時代と変わって情報化が進み、そのツールもアナログからデジタルへ、媒体もITへとさらにAIの登場とめまぐるしい。新しい社会環境で育った若者が、新しい感性を身につけ、新しい次世代に向けた表現を提示し始めています。頼もしく成長していくことを陰ながら応援し期待しています。私が学生に対して教育者として必要な存在ではもうありません。しかし、これからも本友禅染の染色アーティストとして自分に素直に向き合い、制作活動続けていくことが少しでも後輩のためになればと思います。

(退任記念展 ギャラリトークの様子)


(退任記念展ドキュメンタリー動画)


(一條厚さんとの対談動画)

 

 


【プロフィール】

上原利丸
東京藝術大学美術学部工芸科教授 1955年 鹿児島に生まれる 1979年 第4回新人染織作家展佳賞、シルク博物館20周年記念特別展 シルク博物館賞 1981年 東京藝術大学大学院美術研究科工芸専攻染織修了、東京藝術大学修了制作展 サロン・ド・プランタン賞 1997年 宇都宮美術の現在展(宇都宮美術館) 2001年 日本現代工芸美術展 NHK会長賞(東京都美術館)、日仏現代作家美術展 名誉総裁賞(大森メモリアルパーク) 2007年 展開する友禅5人展(和光ホール・銀座) 2013年 日展特選 2014年 ベストセレクション展(東京都美術館) 2016年 文楽パリ公演・衣装制作(カルチェ財団現代美術館・パリ) 2018年 個展(平成記念美術館ギャラリー) 現在   東京藝術大学美術学部工芸科教授•文星芸術大学特任教授、現代工芸美術家協会本会員•日展会員