

八月になると思い出す、いくつかの格別に暑い夏の場面がある。
〈陽炎〉
信州で生まれ育った私は、16歳の春、家族とともに横浜へ移り住んだ。運良く1人欠員のあった音楽コースのある高校に転校し、それまでのんびり気ままに楽しんできた声楽に、いよいよ腰を据えて取り組むこととなった。そして迎えた都会の猛暑。生まれて初めて陽炎を見た。アスファルトの上におぼろげに浮かぶ景色を眺めながら、これから先、自分はどのような道を歩んでいくのだろうかと思ったものだ。
〈暮らす〉
藝大、藤原歌劇団の研究生、藝大大学院と長い学生時代の後、まもなくして結婚をした私は、初めて実家を出た。しばらくは夫の会社の社宅に住んでいたのだが練習場所の確保がむずかしく、私たちは家を建てることにした。それからの週末は土地探しと建築家探し、ようやく家が完成したのは2年後の夏だった。うだるような暑さの中での引越しには、建築事務所の皆さんや大工さん達まで手伝いに来てくださった。まだ家具も揃わない部屋で皆で汗をかきながらお昼に食べたカレーライス。すでに設置されていたテレビには、甲子園で汗をかく高校球児の顔が大写しになっていた。
「小さな普通の家」を作りますよ、と言う建築家Kさんに私たちは全てをお任せした。打ち合わせでは何を打ち合わせたかは記憶に無いが、毎回彼の愉快な話しに夢中になった。仕上げにKさんは家の周りに何本か木を植え、さあ暮らしてください、と言って引き上げていった。
時は経ち、すぐにも折れそうに見えた木はどんどん大きくなり葉も茂った。切っても切っても伸びる枝、掃いても掃いても落ちる葉っぱ。 移ろいゆく季節の中で、ああ「暮らす」ってなかなか大変なことだなあ、と思いながら表を掃いていると、「暑い中大変ですねえ」「お宅の紅葉、毎年楽しみにしてます」などと道行く人が声を掛けてくれ、いつしか顔見知りも増えていった。ふと気付く。
建築家Kさんは、家だけを設計したのではなかったのだ。その先に続いていく日々の暮らしそのものを設計してくれていたのだなあ、
そう思いながら彼のいる天国を見上げる。
〈母〉
三年前の八月、母が帰天した。私にとって最も強烈に暑い夏だった。
しかしなぜか不思議と心は穏やかで、父や家族で母を囲むかけがえのない夏となった。
冬生まれの私は暑いのが大の苦手だ。それなのに、思い出される夏はどれもが私の大切な一場面なのだ。
“夏が来~れば…”
台所で口ずさんでいた母の声は今も耳に残る。

【プロフィール】
小林厚子(こばやし あつこ)
東京藝術大学音楽学部声楽科准教授
東京藝術大学卒業、同大学院修了。文化庁在外派遣によりイタリアで研修。藤原歌劇団「蝶々夫人」でタイトルロールデビュー後、「イル トロヴァトーレ」「アイーダ」など各地で多くのオペラに主演。イタリアには「蝶々夫人」でデビュー。新国立劇場では「トスカ」で急遽代役を務めた後、「ワルキューレ」「ドン カルロ」に抜擢される。近年では、チョン・ミョンフン指揮「オテッロ」デズデーモナ、NHKニューイヤーコンサートなどで多くのオーケストラと共演。’25年新国立劇場「蝶々夫人」に主演し、成功を収める。

(c)Yoshinobu Fukaya